e4max511さんへのコメント一覧全9件
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素晴らしい銀杏並木
こんばんは!
青空に広がる黄色の銀杏並木、黄色の絨毯、大好きです!!
私もこの時期日本にいたらいつも写真を撮りに近くの公園に出かけます。
今年は見れなくて残念です。
マサラRE: 素晴らしい銀杏並木
私もいつもの街が輝くこの季節が好きです。
この後すっかり落葉したケヤキの大木が大空に手を広げているような姿を見るのが楽しみです。
今は日本を離れることができませんが、季節の移ろいをいろんな場面で感じています。
2024年12月16日09時48分 返信する -
連れて行ってください(笑)
いらっしゃいました~。
憧れのリゾート!
メコンのシーパンドンもいいけど、
やっぱり水の綺麗さはやっぱり海ですよね~。
メコン川はカフェラテですから。
久々に海に行きたくなりました。
プーケットもパヤム島もペナンとかいつもビーチリゾートは安さで
オフシーズンに行くからこんな綺麗な海って
自分の旅行では行かないんですよね。
でもフィリピンのボラカイは良かった。
でも仕事だったから満喫は出来なかったのが本当に心残り。
今だったら仕事でも満喫しちゃうと思うけど。
結構お写真残っているようで楽しいです。
またね~
摩訶不思議姉妹 モエRE: 連れて行ってください(笑)
いらっしゃいませ〜
鰯の大群で有名なボラカイでお仕事されたんですね。
会社勤めしてたときはリゾートに憧れていました。
別世界のようなリゾートで社会生活のノイズを遮断して単にぼーっとする時間が欲しかったのだと思います。
仕事の制約から解放された今はリゾートに関心が向かなくなりました。
それにお金がかかるリゾート滞在は、バリバリ働いて高い収入を得てそれをちょっと派手に使うみたいな生活スタイルだと思うので、今めざしている身軽な断捨離生活と合わない気がします。
それよりも旅の空の下で居心地の良い暮らしをしてみたい、だからシーパンドンのような場所に憧れます。
摩訶不思議姉妹さんの旅は貧乏どころか高貴な(言い過ぎかw)すがすがしさを感じています。
まだバブリー(笑)なリゾート画像が残っていますが、リゾート卒業の気持ちでUPしていくのでよろしく!2024年11月07日09時47分 返信する -
正しいリゾートの過ごし方
いらっしゃいました~。
セブ島に行くならちゃんとしたリゾートホテルに泊まるのが正解ですね。
格安ツアーで行って安いリゾートでお金をケチってお部屋を
アップグレードしなかったおかげで、
海も見えない独房みたいな部屋で、
部屋にいたくないから街に出れば客引きやぼったくりトライシクルに絡まれ
あまりいい思い出はありません。
自業自得です。
快適なリゾートステイを望むならちゃんとお金を出さないとって実感した旅でした。
朝食を前にしている男性はe4maxさんですか?
RE: 正しいリゾートの過ごし方
いらっしゃいませ〜
ちゃんとしたビーチリゾートに泊まったのはこの時が初めてでした。初めてだったのでHISさんに相談しながら部屋を決めて、高いなーと思いながらも退職記念で奮発しちゃいました。(だからお金が貯まらないのですが)
朝食の写真は9年前の私です。2024年11月04日17時33分 返信する -
街の波長
街によって波長が合う合わないってありますよね。
旅行者目線で良い街と暮らす前提で見る良い街っていうのもまた違いますしね。
私は貧乏バックパッカーとして沈没するならウドンタニーは宿も食も安くて良いなぁって思いますけど、やっぱりある程度経済的に余裕がある人がロングステイするならチェンマイの方がQOLは高くて良いような気がします。
でもその時の気分でも変わっちゃうかな?
今の気分で言えば一番住んでみたいのはナーンです(笑)
RE: 街の波長
波長に共感してくれてうれしいです。
私は旅するとき、ここなら住んでみたい、ここなら寿命を全うできるみたいなことを感じるか少し意識しています。だから一般的な観光地に余り興味が無いのかもしれません。
ウドンタニーやチェンコーンは摩訶不思議姉妹さんの動画から波長を感じたので滞在してみたいです。
今、急な仕事でバタバタしていて「ナーンをバイクで巡る旅」をまだ観れていませんが、しっかり時間を取って全編を通しで観ますね。
2024年10月31日01時34分 返信する -
chakuza
こんばんは!
順調に旅行記アップされて嬉しいです♪
チェンマイ大学の教授から聞いたタイ族南下や雲南とのつながりのお話が気になりすぎます(笑)
日本の歴史には一切興味ないのですが、
雲南、ラオス、ミャンマー、タイに分布する民族については興味があるんですよねぇ。
前世がそっち系だったのかしらん?
最後に出てきた緑茶ソーダは今はもう幻商品ですね。
なんとなく味は想像出来ますが、美味しかったですか?
RE: chakuza
マサラさん、こんばんは。
13世紀頃の「タイ族の沸騰」と呼ばれる雲南地方からの南下は後のタイ王朝の源流になると世界史で大昔に習ったことがあり、その後タイに興味を持つにようになって、もやもやしていたことがありました。
それは下のような疑問でして、先生に尋ねてみました。
南下した時の「タイ族」とは何者なのか?13世紀にモンゴル帝国に降伏した白族の大理国の人々なのか?もしそうなら13世紀半ばに建国されたスコータイ朝と大理国の文化や建築様式などに関連性があるのか?スコータイ朝に建国以前の由来を記録したものがあるのか?大理国の前に雲南を支配していた南詔国の民族は白族だけでなく烏蛮や漢人混血説もあるがなぜ大理国が白族支配と言われるようになったのか?等々です。
これらの疑問に一つ一つに先生は熱く話してくれました。結論から言うと全貌は未だに霧の中です。何しろ文献が無きに等しいそうで、元の時代の「雲南史略」しか古いまとまった資料がなく、しかも漢人による記録です。
タイは先史時代から人類が住んでいた遺跡があり様々な地域で部族の興亡が連続していた中で、突如13世紀に雲南から「タイ族の南下」によって王朝が誕生したことに否定的な考え方を近年タイの人々(特に政府)が持っていて、タイの起源は日本の皇室の歴史と同じような感じでちょっとセンシティブなテーマだと言っていました。
13世紀の日本は鎌倉時代です。当時の資料は腐るほどあるし、日本人による記録は古事記や日本書紀まで遡れます。
しかしスコータイ朝以前の歴史書が1924年のダムロン親王の「シャム国史」しかタイには無きに等しく、しかも歴史の連続性を把握するのが難しいそうです。
エネルギーがある学生時代だったら研究テーマにしたい面白い分野だと思います。
いつかどこかでお目にかかって話せる機会があれば共有したい話をたくさん聞きました。
「タイ族によって雲南と現在のタイがつながっているのは間違いない事実です。いつ、誰が、どこで、どのようにタイに移り住んで何をしたのかはっきりさせるのが歴史の研究の目的です。」と先生が言っていたと記憶しています。2024年10月31日00時56分 返信するRE: chakuza
マサラさん、2回目のこんばんは。
CHAKUZAは2種類の絵柄があって1本ずつバスターミナルの売店で買って持ち帰り、チェンマイ女子のお土産にしました。私は清涼飲料水を余り飲まないので飲んでないです。
後日「レモン味のがあった」と聞きましたが、それ以外の感想は聞いていません。。。
激マズでもなく、なんとも表現しがたい話のネタにならない味だったのではないかと思います(w)2024年10月31日01時07分 返信するRE: chakuza
> 日本の歴史には一切興味ないのですが、
> 雲南、ラオス、ミャンマー、タイに分布する民族については興味があるんですよねぇ。
> 前世がそっち系だったのかしらん?
日本の歴史、特に戦国時代なんてちまちました争いで全然つまらないですね、同感です。
日本人の7人に一人は4万年前に中国南部に発生したグループ(ハプログループB)だそうです。
このグループはインド西岸から海岸沿いに東進し、インドシナ半島を北上して中国南部(雲南)に入ったと考えられています。
マサラさんの祖先もこのルートを辿って雲南に住んでいたのかもしれませんね。2024年11月01日09時38分 返信する -
やっぱり中国良いなぁ
とても見応えのある中国滞在記でした!!
e4maxさんは文才がお有りなので文章からその時の情景がありありと思い浮かびます。
高校で第二外国語、しかも中国語ってe4maxさんの時代かなり珍しかったのではないでしょうか?
私の高校は仏教系の高校だったので修学旅行は杭州と寧波に行ったんです。
それもきっかけとなって大学では中国語を専攻して、卒業後3年台湾で働きました。
初めて行った海外旅行も小学生の時父の会社の社員旅行で行った香港&広州でしたし、何かと昔から中国と縁がある人生です。
宴会で革命歌を歌って一瞬その場緊張感が走ったのはドキドキしましたね。
ラオシャンビールは青島に行った時飲みました!!
あまり印象に残っていませんが青島ビールよりもあっさりしていたような。
あ~早くトランジットとかじゃなく普通にビザ無しで中国行けるようにならないかな?
次はどこの旅行記書いてくださるのか楽しみにしていますよ~(笑)
Re: やっぱり中国良いなぁ
マサラさん、コメントありがとうございました。
マサラさんそして摩訶不思議姉妹さんの中国への造詣の深さは小学生時代にまで遡るんですね。
親交のあった国際法の先生が以前寧波の大学でも教えていて、”日本仏教の源だし今でも歴史を感じるとてもいい所だ、君も行ってみたらどうか”
と言っていたのを思い出しました。
マサラさんは社会人生活が台湾だったのですね。
観光と違って異文化社会での仕事だったから楽しかったことやそうでなかったことなど多くの経験をされたことと思います。
中国のビールって全体的にあっさりしてますね。
昔「世界ふれあい街歩き」の青島編だと思いますが、
プラスチック袋に生ビールを入れてもらい持ち帰って家で飲むシーンを見て一度体験したかったですが、さすがにもうないだろうと思います。
中国は今の指導者の下で力による覇権を急ぎすぎました。
そして世界を分断することになり、旅行者は自由に安心して行き来できず自国も窮乏する結果となっています。
改革開放を進めた鄧小平が発したとされる
”冷静観察、站穏脚踵、沈着応付、韜光養晦、善於守拙、絶不当頭”を建国100年まで維持していたら力に頼らずとも中国は世界を導く国になっていた可能性が大きいと思うので残念です。
2024年10月26日17時26分 返信する -
非常に興味深い滞在記でした
いらっしゃいました~
すごいなぁ文章と写真から石炭の香りがこちらまで漂ってきました。
そしていろんな過去がちょこちょこ解禁となってきましたね~。
高校時代に第2外国語が中国語って。
相当先見の明がある高校ですね。
そして毛沢東語録!
お仕事もお車関係かなぁと思っていたのでビンゴでした。
それぞれのエピソードを深掘りしたい滞在記でした。
また、昔の写真引っ張り出して旅行記作って下さいね~。
摩訶不思議姉妹 モエRe: 非常に興味深い滞在記でした
モエさん、いらっしゃいませ~天邪鬼会へようこそ(笑)
コメントありがとうございました。
普通の都立高校だったんですが、制服や校則がなくて授業の多くが選択制で、第二外国語も独仏露中から選べました。
それぞれの言語の先生が大学から派遣されてきた臨時講師でいずれもユニークな方々でした。
中国語の先生は東大から来た二十代の女性講師で”毛主席語録は学校に行ってない中国人にも理解できる平易な文章だから副読本に最適”と言っていました。が、授業内容は中国語と社会主義思想が半々で、革命歌を歌ったり全共闘世代の名残を感じて面白かったです。
孤独が好きな自分は全体主義には馴染めなかったので社会主義思想には染まりませんでしたが(笑)
今思うとかなり変わってる学校で、ひねくれている自分にはぴったりの場所でした。
生徒指導もなく、3分の2出席して赤点を取らなければ単位をもらえたので図書館にこもったり喫茶店でタバコを吸ったりして気ままに過ごしました。
西村博之さんや津田大介さんも後の卒業生なので変人には向いていた学校だったと思います。
2024年10月26日17時23分 返信するRe: 非常に興味深い滞在記でした
◎w2024年10月27日00時22分 返信する -
旅行記一作目おめでとう~♪
摩訶不思議姉妹モエです。
(知ってるか(笑))
いやぁ懐かしく拝見させて頂きました。
全然人がいなくていい!
今再訪したらビックリしますよ。
全然違う街です。
私も初めてルアンパバーンに行ったのはやはり15、6年前で
行くたびにどんどん変わってしまい、
もう行かなくてもいいかなぁって思っています。
これからもデーターが残っていれば是非旅行記作って下さい。
楽しみにしています。
摩訶不思議姉妹 モエRe: 旅行記一作目おめでとう~♪
モエさん、ご覧いただきありがとうございます。
オーバーツーリズムの波はルアンパバーンにも押し寄せたのですね。高速鉄道もできて中国からのグループ旅行者も多いだろうなと想像しています。
良い時に行けたと思って記憶の中に留めておきます。
行き過ぎた断捨離で昔のデータも相当処分してしまいましたが、残っているものを整理してまたUPしますね。2024年10月24日10時20分 返信する -
感激!!
こんばんは!
早速見に来ました。
2010年の写真データなんて良く取ってありましたね!しかもすごく綺麗。
ちゃんとしたカメラで撮影されてるんですね!素晴らしい。
しかし2010年、全然観光客がいなくて静かな感じで良い感じ。
こういう雰囲気だったらまたルアンパバーン行きたいと思うけど、もう今は人が多すぎて行く気になれませんね(^_^;)
中国とかの写真とかお有りだったら拝見したいです!!
マサラ
Re: 感激!!
マサラさん、ありがとうございます。
あのときはハノイの建物の写真を撮りたくて大きいカメラを持って行きました。
後に断捨離で手放しましたが、ルアンパバーンのデータの一部が奇跡的に残っていました。
当時のルアンパバーンは本当にのどかな街で、人々も穏やかでラオスが好きになったきっかけになりました。
中国は1年の短い期間で仕事漬けだったので写真は数えるほどしかないと思いますが探してみます。2024年10月24日10時11分 返信する



