熙政堂 ヒジョンダン もともとは王の寝殿 宝物第815号
- 5.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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by konomiさん(女性)
ソウル クチコミ:329件
もともとは昌徳宮の王の寝殿で、王はここで生活を送っていましたが、元々の執務室である宣政殿がたびたび国葬のための魂殿(遺体を安置する場所)として使われたので、寝殿であった熙政堂が執務室の機能をするようになったのだそうです。
仁政殿は対外的な昌徳宮の象徴で、大造殿と熙政堂は王が生活し、多くの時間を費やした本当の意味での王宮と言えるかもしれません。
元々の名称は崇文堂でしたが、1496年(燕山2)に熙政堂と名称が変わりました。
近代になると熈政殿は応接室として使われ、今でもに応接セットが残されています。
今の熙政堂は、1917年に火災で焼失したものを1920年に景福宮にあった康寧殿を移して建てられたそうです。
国宝東闕圖に描かれた熙政堂は石柱の上に建てた優雅で淡白な高床式建物で、今の姿とは全く違います。南に描かれている斉政閣(チェジョンガク)も今はもうありません。
ここは純祖(23代王)の息子で憲宗(24代王)の父である孝明世子が崩御した所でもあります 。
利発さや端麗な容姿、学究熱心なところが祖父である正祖(第22代王)に似ていたと伝えられる人です。
父の純祖時代に19歳で摂政を務めるなど、若さに似合わない才能を発揮し、外戚である安東金氏の勢力と対抗して、王権を強める斬新な人事や、改革政治を行いました。
王位につくことなく、22歳の若さで夭折したのは本当に惜しいことです。
この事件に関しては陰謀説もあるようですが、定かではありません。
現在 宝物第815号に指定されています。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/05/21
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