2019/06/14 - 2019/06/14
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Weiwojingさん
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杉原千畝(1900~1986)をご存知だろうか。日本のシンドラーと讃えられた元外交官であった。
第二次世界大戦末期バルト3国のひとつリトアニヤの在カウナス領事館の領事代理をしていた杉原千畝は、ナチスの迫害から逃れようとしてヴィザを求めてやってきたユダヤ人に2000ものヴィザを発給した。
1940年7月18日朝早く杉原は領事館前にたくさんの人が集まっているのに気が付いた。それはポーランドや周辺の国々からナチスの迫害からリトアニヤに逃れて来たユダヤ人たちであった。人々はアメリカや安全な国々へ逃れるためのヴィザの発行を求めていた。そこで杉原は外務省に何度もヴィザの発行許可を求める電報を送ったが、答えは「否」であった。
彼は決断した。「助けを求めてきている人々に手を差し伸べることをしないことは神の教えに反することだ」と。そこでこの地を離れるまでの2週間の間に2000以上のヴィザを発行した。
数年前カウナスの旧領事館を訪ねたことがある。今回、杉原の出身地である八百津の町にある記念館を訪ねて、カウナスでのその時の感動や思い出が蘇ってきた。
- 旅行の満足度
- 4.5
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岐阜駅から高山本線で美濃太田駅に到着した。ここからバスを乗り継いで八百津町へ向かった。八百津には日本のシンドラーと言われた杉原千畝の業績を顕彰する記念館がある。今回はそこを見学に出掛けたわけである。
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美濃太田駅は小さいながら、なかなか近代的な建物である。しかし、あまり人の姿は多くない。
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駅前広場に坪内逍遙の銅像があり、美濃太田が彼とゆかりがあるとは全く知らなかった。彼はこの地で生まれ育ち、学業のために東京へ出た。
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時間があったので街中を少し歩いて見た。道路際に様々な彫像があり、地元の人々の街作りへの意気込みみたいなものを感じた。
駅前大通りを歩いて行くと、星座を表わした「うお座」が先ずあった。 -
次にこちらは「おひつじ座」である。通りを進んで行くと、もつとあるようだがあまり遠くまでは行けないので、この辺で断念した。
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美濃加茂国際交流協会の建物の中にはモロッコ名誉領事館のデスクがあった。このような小さな町に領事館があるなどとは想像もしなかった。
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バスに乗り、1時間位で八百津についた。しかし、ここからさらにバスに乗らけなければならない。時間表を見たら2時間後まで待たなければならない。タクシーで行くことにした。その前に昼食をとった。
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食事を終えて、バスセンターへ向かう途中に、杉原千畝が生まれた場所を示す看板があり、しばし、眺めた。今は直接関係のない人が住んでいるようである。
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八百津の街の様子。人の姿が全く見えない。
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バスの便が良くなかったので、タクシーに乗った。10分程乗ると、人道の丘に着いた。ここに目指す杉原千畝記念館がある。
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いくつも記念碑がある。
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「自治三訣」と書かれたものがあった。
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その英訳したものがある。
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シンボルモニュメント
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この方が杉原千畝であり、正に小生が尊敬する日本人の一人である。この像は地元の八百津町が建てたものである。
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早稲田大学が造った顕彰碑(In Honor of Chifune Sugihara )がある。杉原は早稲田大学を中退している。
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この建物が杉原千畝記念館である。千畝生誕100年に当たる2000年に開館した。
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記念館入口。岐阜産のヒノキを用いていわば新伝統構法による記念館を目指したそうである。
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ヒノキがふんだんに使われている。記念館の内部にもたくさん使われている。
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記念館の隣には講堂(右側の建物)があり、ここでビデオを通して杉原の人となりや業績を知るようになっている。
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記念館前に記された「杉原千畝記念館」の文字が見える。
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何だか地元の人々がたくさん集まっていた。こんな辺鄙なところで何かあるのかと思っていたら、大阪から来る高校の修学旅行の一行を待っているところだそうだ。
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この写真は千畝が中国ハルピンにいた頃の写真である。背後に中国全土の地図が掲げられている。
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カウナス領事館執務室を再現した「決断の部屋」には、デスクや様々な調度品が置かれている。
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イスラエルを始め、様々な国々から贈られたメダルが紹介されていた。
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『愛の決断 八百津町出身の外交官 杉原千畝』というパンフレットが販売されていて、興味を覚え、購入した。
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数年前、千畝を題材とした映画「杉原千畝」が一般上映されたが、その時日本にいなかったために小生は見ることが出来なかった。しかし、その後ある国へ出かける際に搭乗した飛行機の中で偶然見ることが出来た。
大変感動的な映画であった。多くのユダヤ人にヴィザを発行し、シベリア経由で日本へ入国するするための手助けをし、数多くのユダヤ人の命を救った。正に日本のシンドラーである。 -
記念館の庭の片隅に「アンネのバラ」が美しく咲いていた。「アンネのバラ」は日本でも少しずつ広まり、いくつかのバラ園で見ることが出来る。ここでも花を咲いているのを見た。
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3年前バルト3国を旅行した。リトアニアのカウナスに保存されている旧日本領事館を見学する機会があった。市の中心部からやや離れたところにあったが、途中道に迷っていたら地元の人が何人も丁寧に教えてくれた。
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旧領事館の執務室。この中央の机で千畝は数千人ものユダヤ人に日本通過するためのヴィザを発行した。
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これが発行された通過ヴィザである(複製)。几帳面な文字でひとつひとつ書き込んで居r。
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カウナスでいただいた旧日本領事館の入場券。
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時間があったので記念館の周辺を歩いて見た。「久田見開拓団之碑」と刻まれた記念碑があった。
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「久保見開拓団之碑」のすぐ隣に、詳しい説明が記されている。それによると中国満州(東北部)にこの村からたくさんの開拓団が出かけたが、終戦で帰郷出来たのは半分にも満たないほどであった。
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この紫色の植物は何なんだろうか。
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記念館のある周辺はこんな感じのところで、正に過疎の町といった具合である。年々町の人口が減っているそうだ。
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記念館から見たふもとの八百津の町は静かに眠ったような様子で、千畝が生きていたころとあまり変わらないのではないだろうか。
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記念館近くにはこのようなお墓や地蔵尊がある。
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バスで美濃太田まで戻るのに、バスの本数が極端に少なく2時間に1本程度しかない。記念館の係員に尋ねたところ、「一度乗り替えなければならないが、もうすぐ来るバスに乗るといいですよ」と教えてくれた。
八百津の街の中心部には古い町並みを残す一角がある。 -
この辺りは昔からの造り酒屋が何軒かあるようで、今でも製造販売をしているそうだ。
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白壁の建物が美しい。時間があれ中を見たかった。
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もう1年も半分以上が過ぎたというのに、未だに新年の飾りが軒先にぶら下がっていた。地方によっては1年中玄関先に飾っているという習慣があると聞いたことがあるが、ここでもそうなのだろうか。
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この店は時計店で、店内には新しい時計だけでなく、かなり古いものもあった。
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