2019/07/10 - 2019/07/10
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Weiwojingさん
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仙台を訪れ、小生が所属する団体のイベントが終了後、参加者と共に東日本大震災の復興地石巻と南三陸を訪ねた。もちろん初めての訪問で、出かける前はまだ震災のツメ跡が残っているのではないだろうかと危惧していたが、すっかり復興を遂げた姿を見てほっとさせられた。
どこでも現在は震災の爪痕はほとんど見ることは出来ないが、被害を受けた建物や河川等そのまま残されているところもある。そうしたものを見ると大きな衝撃を受けた。しかし、そこに住む人たちの明るい笑顔に救われる思いがした。
今回、訪ねた場所は次の5カ所である。
1.南三陸町立立戸倉小学校
2. 石巻市立大川小学校 (震災遺構小学校)
3.南三陸商店街
4.サン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)
5.ハリストス正教会
6.旧観慶丸商店 (石巻市指定文化財)
- 旅行の満足度
- 4.5
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仙台からグループでバスに乗り、出掛けた。外国からの参加者も多く、初めて震災地へ出掛けるため、皆興奮気味であった。
南三陸に入ると、この方が震災の語り部として同行され、震災時のことやその後の復旧の様子を語っていただいた。生々しく語られたその体験から2011年の惨状を思い出された。 -
昼食のため「南三陸ホテル観洋」へ来た。ここもかなりの被害を受けたのだろうが、今はすっかり改装されている。
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震災の被害を受けた戸倉小学校は、海から300メートルの高台にあったが、津波の襲来の際91名の児童は先生方の誘導で近くの五十鈴神社に避難し一夜を過ごした。早退した児童1名と帰宅していた教師1名が犠牲となった。
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小学校前にはモアイ像が建っている。
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バスで移動の際、注意して周りの風景を見たが、どこも工事中で震災時の様子をしのぶところはない。
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津波で大きな被害を受けた「高野会館」がそのまま残されている。現在ここは「震災伝承施設」として、保存されていて、事前に申し込みをすれば実際に内部を見ることが出来るが、今回はその機会はなかった。
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バスの車窓から見た高野会館は廃墟に近い状態で、ここも取り壊す計画もあったようであるが、戦災遺構として保存されている。
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高野会館は結婚式場施設として南三陸の人々にはなじみのある場所であったのだろうが、今は荒れ果てた姿をさらしている。しかし、今は震災施設として全国から観光客がバスを連ねて来ている。
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津波がここまで押し寄せたという印が見えるが、建物の2階窓の上の部分まで来たものと思われる。
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最後に大川小学校に来た。ここでは2011年3月11日、全校児童108人中、津波で70人が亡くなり、4人が今も行方が分からない。新聞等で失くられた児童の保護者が学校の対処に対して訴訟を起こしたという報道を何度も目にした学校である。
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震災後、大川小学校は震災遺構として残された。現在はこの小学校を訪れる人が増え、現に小生たちが来た時にも多くの人々の姿が多く見られた。
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この小学校で自分の子供を亡くした男性が語り部として当時の様子を話していただいた。
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イチオシ
写真を見せながら、当時の様子を説明された。
説明によると、児童たちは地震が発生後校庭に集合し、先生方の指示を待ったが、どこへ避難するか紛糾した。裏山に逃げれば安全だったのが、先生方の指示で逆の海の方に避難してしまった。しかし、あっという間に津波ガ押し寄せ、70人もの児童が犠牲になった。 -
校庭には亡くなった児童たちを悼む祭壇が設けられ、常に花が手向けられている。
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大きな被害を受けた体育館。
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南三陸の町には「防災対策庁舎」が鐵骨がむき出しのまま残されいて、その周辺はすべてきれいに整地され、今では被災時の姿を想像することが出来ない。この庁舎は?メートルの高さであるが、津波の高さは15.5メートルもあり、43人が犠牲になった。
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側を通った川の沿岸はかさ上げされた堤防がある。
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「がんばろう釜石」の大きな看板が見える脇には、鐘が置かれ、亡き人をしのぶかのように人々が鐘を鳴らしていた。
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再建された南三陸の商店街 ( サンサン商店街 )を歩いてみた。あまり人の姿は多くないが、観光客の人々がいた。この商店街は10メートルかさ上げされたそうである。
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買ったものを自由にその場で食べることが出来るコーナーがある。観光客ばかりである。
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案内所があったので、いろいろなパンフレットを頂いた。
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仮設の店が並んでいるが、あまり客の姿は見えない。
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南三陸の周辺の海ではホヤが獲れ、あちこちで収穫されたものを見ることが出来た。
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かつてはこの辺は民家が立ち並び、多くの人が住んでいたものと思われる。
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今は民家は見られず、かさ上げされた堤防が目を引くだけである。
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昔の面影はもうなさそうである。
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南三陸の美しい風景を切り取った絵葉書が販売されていた。数枚購入してみた。
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一旦仙台に戻った後、翌日石巻駅へ来た。今度は単独で来た。乗り換えの時間が少々余裕があったので駅の外に出てみた。
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駅の外に出ると、何やらこのような大きなフィギュアがいくつも並んでいて、驚かされた。
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駅の待合室には何やらステンドグラス風の絵が描かれている。
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石巻駅からJR石巻線で渡波駅まで行った。ここから「サン・ファン館」へ行くつもりである。
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ここからバスで行く積りであったが、ところがバスの便が悪く、1時間以上待たなければならなかったので、やもう得ずタクシーを利用した。歩くと25分も掛かるようだった。
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ここでの目的は「サン・ファン館 (宮城県慶長使節団ミュージアム)」を訪れることであった。
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この方が支倉常長である。仙台藩主伊達政宗の命で1613年( 慶長18)、月の浦からメキシコを経由してスペインさらにローマへ出かけ、法王パウロ5世に拝謁し、政宗の親書を手渡した。しかし、初期の目的を達することなく、帰国せざるを得なかった。
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夜、ライトアップされたサン・ファン号が美しい。
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残念なことにサン・ファン号は来年作り変えられるようである。それももっと小さな形のなるそうだ。
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石巻市内に戻って来た。「石巻ハリストス教会」を目指して歩いていると「石ノ森漫画館」が目に入った。奇抜な建物なので、すぐ目についた。ここは漫画家石ノ森章太郎のミュージアムで、館内には原画やオリギナルアニメの上映などもあるようであった。しかし、あまり興味もなかったので外観を見るにとどめ、教会を目指した。
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石ノ森漫画館のすぐそばに旧石巻ハリストス正教会( 聖使徒イオアン会堂 )があった。
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この教会も震災の影響を受け、内部の見学は中止されていた。
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旧北上川の中州には「北上川改修百年記念之碑」と記された碑がある ( 昭和55年)。
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駅に戻る途中、仮設の飲み屋街(?)があった。昼間なので、開いている店は全くないが、夜になると賑わうのだろうか。
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石巻師市指定文化財「旧観慶丸商店」に来てみた。石巻駅構内に置かれていた観光案内地図に載っていたので、興味を覚え来てみた。
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旧観慶丸商店は、1930年(昭和5)の建設で、石巻で最初の百貨店としてオープンし、その後は陶磁器店となった。
「観慶丸」という名前は、もともと船の名前であった。創業者の伝承では江戸時代に「観慶丸」という名前の千石船の沖船頭 (船の責任者、船長、積荷の売買その他一切を任されていた)として、荷物を運んでいた。江戸に荷物を運び、その帰りに、陶磁器を積んで帰って来たと言われている。 -
観慶丸商店では、デパートとしてオープンした当初は1階で陶磁器を販売していた。これらは、説明によると、色絵や染付の油壺とのことである。
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2階に来てみた。
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2階には和室が2部屋あり、これらは従業員用に使われたそうである。
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地元の画家浅井元義が描いた絵「陶芸店」(1984 年)がある。
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