2021/04/06 - 2021/04/06
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chiaki-kさん
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一晩中、私は考えた。考えつくした。
私のしたことは、外交官として
間違ったことだったかもしれない。
しかし、私には頼ってきた何千人もの人を
見殺しにすることはできなかった。
大したことをしたわけではない。
当然のことをしただけです。
これは第二次世界大戦直前、リトアニアの在カウナス日本国総領事館に赴任した杉原千畝(以降:千畝と表記)が語った有名な言葉だが、当時、枢軸国側で日本の同盟国でもあったナチス・ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきたユダヤ人など難民たちの窮状に同情した千畝は、1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、難民を救ったことで知られる。
道路を挟んで、記念館の反対側は”人道の公園”となっており、千畝の胸像があった。なお、館内の撮影は出来ないので、代わりに2016年に行ったリトアニア・カウナスの記事・写真を掲載しますので、ご承知おきください。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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2021年4月6日。岐阜県八百津町にある杉原千畝記念館へ。
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八百津町は岐阜県、美濃加茂市の東にあり、町の中央を木曽川がゆったりと流れる人口10,000人の静かな町。
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記念館は町の中心から4kmほど離れた”人道の丘”と呼ばれる丘というより山の上にあり交通の便はすこぶる悪いので、なるべく車での来館をお勧めする。車の場合、東海環状道・可児御嵩ICから県道83号線”やおつトンネル”を抜ければ20分ほどで到着。
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入場料は大人300円。月曜日は休館。
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記念館入り口にあったモニュメント。
*館内の撮影は禁止なので、この後は2016年に行ったリトアニア・カウナスで撮影した画像が続きます。 -
2016年6月2日にリトアニア・カウナスで立ち寄った杉原記念館(旧・日本領事館)。
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記念館入り口を示すプレート。
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そして、史跡プレートも。
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1939年8月28日、千畝はリトアニアの在カウナス日本領事館領事代理となり、カウナスに一家で着任する。
当時リトアニアには日本人は一人もおらず、赴任した千畝の主な仕事はドイツやソ連の動きを探る諜報活動だった。 -
杉原一家と領事館職員など。
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一歩誤れば命に関わる危険な業務だったことは容易に想像できる。
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1940年7月、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館に、海外へ逃れるためのビザを取得しようとしていた。しかし、リトアニアはすでにソ連軍に占領されており、各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に名目上の行き先(オランダ領キュラソーなど)への通過ビザを求めて殺到した。
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6時少し前、表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。私は急ぎカーテンの端の隙間から外をうかがうに、なんと、ヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った。(杉原千畝談)
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ユダヤ人迫害の惨状を熟知する千畝は、「発給対象としては、領事が最適当と認めたもの」を代替案とし、さらに「ソ連横断の日数を20日、日本滞在30日、計50日」を算出し、情状酌量を求める請訓電報を打つが、本省からは、行先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の携帯金を有する者にのみに査証を発給せよとの発給条件厳守の指示が繰り返し回電されてきた。
領事館は千畝が立ち退いた後、何度も改造・修復されているが、唯一残ったのが、この門。 -
杉原夫人が、難民たちの内にいた憔悴する子供の姿に目をとめたとき、「旧約聖書の預言者エレミアの『哀歌』が突然心に浮かん」だ。そして、「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」という千畝の問いかけに、「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうして上げて下さい」と同意。そこで杉原は、苦悩の末、本省の訓命に反し、「人道上、どうしても拒否できない」という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても独断で通過査証を発給し始めた。
領事のデスクと椅子があるが、当時のものでは無い。ただ後ろの壁にある日章旗は本物らしい。 -
大量のビザを手書きして万年筆は折れ、ペンにインクをつけては査証を書き続ける日々が続く。一日が終わると、そのままベッドに倒れ込む状態になり、痛くなって動かなくなった腕を夫人がマッサージしなくてはならない事態にまで陥った。
机の上にあるものは全て後から設置したもので、ビザは本物のコピー。 -
ソ連政府や本国から再三の退去命令を受けながら一カ月余寝る間も惜しんでビザを書き続けた千畝は、本省からのベルリンへの異動命令が無視できなくなると、領事館内すべての重要書類を焼却し、家族と共に今日まで残る老舗ホテル「メトロポリス」に移った。千畝は領事印を荷物に梱包してしまったため、ホテル内で仮通行書を発行した。
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そして9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、千畝は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。
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やがてドイツとソ連は開戦、ナチスに占領されたカウナスでは、設置されたゲットーに約3万のユダヤ人が押し込められ、わずか2カ月で1万人ものユダヤ人が殺害された。なお、リトアニア人はナチスをソ連からの解放軍と見て、ユダヤ人狩りにむしろ協力的だった。そんな理由もありリトアニアのユダヤ人20万8,000人の内、殺害された犠牲者数は19万5,000人から19万6,000人にのぼった。
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日本の通過ビザを手にした難民たちのその後も苦労の連続だったが、次々と起こる奇蹟のリレーによりウラジオストック、敦賀、神戸を経て、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、インドネシアなどへ、そして太平洋戦争勃発後は上海へ逃避することが出来た。
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奥様の杉原幸子さんは2008年10月に94歳で亡くなっている。
1939年から1940年という千畝のカウナス赴任は、それより早くても遅くても、難民救済に効果を発揮しなかった。「その赴任の時期は、状況と場所と夫という人間が一点に重なった幸運な焦点でした。私たちはこういうことをするために、神に遣わされたのではないかと思ったものです」と生前、幸子さんは述べている。 -
2008年1月、私はこの記念館に一度来ているが、その時に撮影したバラ。「アンネのバラ」との表示があった。
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そして2021年4月6日、花は咲いていなかったが、大きくなったバラがそこにあった。ただ、なぜか「アンネのバラ」の表示は無し。
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そして、こちらには・・・
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2019年に来日したリトアニア共和国大統領来町記念のプレートが設置されていた。
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セラミック素材のパイプオルガンをイメージしたパイプが160本、並んだ噴水があるが、この160という数字は1990年当時の国連加盟国数だそうだ。
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記念館前に駐めたスティングレー。そして向こう側には社外マフラーを装備したアルトターボ。なお、記念館の隣には山荘風の建物が建っているが非公開だった。
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記念館の玄関横に「人のおせわにならぬよう、人をお世話するよう、そしてむくいはもとめぬよう」の碑があった。これは台湾総督府民政長官。南満州鉄道(満鉄)初代総裁の後藤新平の言葉だが、杉原の学んだハルピン学院のモットーでもあった。想像だが千畝はこの言葉を座右の銘としていたのかもしれない。
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記念館を後に再び「やおつトンネル」を抜けて可児市へ。可児御嵩IC手前にあった道の駅「可児ッテ」に立ち寄る。
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道の駅館内にあったレストラン「ナチュラルキッチン」でランチ。
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私は「鶏ちゃん野菜炒め定食」
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妻は「味噌カツ丼」。どちらもおいしかったが、ご飯が少々粥っぽかったのが残念。
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食後、館内のお土産屋さんで八百津町名物の「八百津煎餅」をどっさり購入して「可児ッテ」を後にする。このあと東海環状道→中央自動車道をひた走り、白樺湖を超えて帰宅。片道約250km、往復約500kmのドライブを終了する。いつものことであるが自分にお疲れ様。
これで「2021年 杉原千畝記念館訪問記」は終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。 -
OMAKE
今回、家にあるスズキ・ワゴンR・スティングレーで家から八百津町まで無給油で往復(489.8km)したが、帰ってきてから給油すると27Lのタンクに23.39Lのレギュラーガスが入ったので、燃費は20.94km/Lと過去最高記録をマークした。どちらかというと軽自で高速道は燃費が悪いのだが、ほとんど走りっぱなしだったことと、オートクルーズコントロールが効いたと思われる。
電気自動車(以降EVと表記)考
話は変わるが、もしこれが400万円クラスのEVだったら、行きは良いとして、帰路は電費の悪い高速道はやめ、エアコンもヒーターもオーディオも止め、ヒヤヒヤしながらの走行になったことは間違いない。
道の駅やスーパーなどに充電ステーションは徐々に増えてきているとは言え、最短で30分程度の充電時間は避けられず、運悪く他EV車で一杯だったりすると、余計に無駄な待ち時間まで生じてしまう。ということで、まだまだEVでの遠出はリスクが多いと言わざるを得ない。もし、どうしてもEVが欲しければ通勤・買い物など近距離のみの使用として、充電は家でゆっくり200Vで行い、遠出にはHV車など別の車を使用するのが、残念ながら現在考えられる最も現実的なEV使用方法ではないだろうか。
2021年4月10日 chiaki-k 記す
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この旅行記へのコメント (4)
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- salsaladyさん 2021/10/01 11:03:02
- 杉原千畝~アンネの薔薇~八百津~
- ☆リトワニアの千畝の快挙は学生時代にふと知り、推定6千通ものビザを手書きで発行したと聞いた事があります。(でも2139通の方がリアルですが)~
☆諜報員として赴任した1939年の正装と家族連れと云うだけで素晴らしい人となりも感じます。(隠れ蓑の意味も有るでしょうが、多分クリスチャンであろう奥様の後押しが強力だったのでしょうね)。。日本政府はその行為に関して全く冷ややかだったとか~
☆90年以上経過して、彼が正しいことをしたと認める八百津の記念館は嬉しい存在!
☆世界はこれからも民族紛争が続きますが,「知命」の大事さを今一度。。。
- chiaki-kさん からの返信 2021/10/01 20:57:23
- 2人ともクリスチャンでした
- ・
salsaladyさん、こんばんは。「2021年 杉原千畝記念館訪問記」に
いいね”を、ありがとうございます。
>推定6千通ものビザを手書きで発行したと聞いた事が・・・
当時の通過ビザは一枚で家族全員に通用するものだったので、平均
3人として、およそ6,000人という計算になったようです。また、
2139枚というのは記録に残っているものだけで、記録の無いものは、
もっとあったと推測されています。
>多分クリスチャンであろう奥様の後押しが強力だったのでしょうね
杉原千畝、そして幸子さんは、ともにキリスト教のひとつである正教
の信徒です。したがって、二人の思想の根底には人間愛があったので
はないかと私は思っています。
>八百津の記念館は嬉しい存在・・・
Wikipediaによると千畝の出身地は岐阜県武儀郡上有知町(現在の美濃
市)で、その後は福井県越前町、三重県四日市市、岐阜県恵那郡中津町
(現・中津川市)と、八百津町の名前が出てこないのです。
記念館のHPには八百津で生まれたとなっているのですが、残念ながら
本当のことは分かりません。まあ、千畝の功績は世界史に残るものな
ので、些細なことは不問とするほうが良さそうですね。
では、また。
chiaki-k
-
- Decoさん 2021/04/12 16:11:00
- 杉原千畝
- chiaki-kさん、こんにちは。
杉原千畝、私は随分前にテレビ(「知ってるつもり」だったかな?)で取り上げていて、感動した記憶があります。当時は多くの命を救ったことで。
今、こちらの旅行記を見て思うのは、外交官という立場で(しかも諜報的な活動をしていて)国の条件を満たしていなくてもビザを発給したということは、とてもプレッシャーがかかっていたのだろうということです。組織(特に国)を背負うと、それだけ難しいところがありますから。
あのときビザを発給しなかったら多くの人は助からなかったでしょうし、それは人間として耐えられないことなのだろうと思います。そこには大きな葛藤がありギリギリの判断だったのかなと思いますが、最終的に発給されたことに救いを感じます。彼としてはできるだけのことをしたのでしょうが、それでも発給できなかった人を後にしたのは辛かった…でしょうね。
さて、最後に電気自動車の話が出ましたが、私も同感です。遠出したときに充電のことを考えると、ドライブが楽しめなくなりそうです。行楽シーズンの観光地など、電気自動車が増えたら充電待ちだけで数時間とかありうるかも知れません。現段階ではPHEVの方が現実的かなと思います。でも車のお値段を考えたら、私はやっぱりガソリン車かせいぜいHVになります(^^;
マイルドHV乗りのDecoより
- chiaki-kさん からの返信 2021/04/13 14:04:01
- EV軽トラックを妄想中
- ・
マイルドHV乗りのDecoさん、こんにちは。”いいね”及びコメント
ありがとうございます。
TVや映画ではいつも杉原千畝だけがクローズアップされています
が、この奇蹟には多くの人々が関わっています。まず、当時ビザ
無しで入国できるオランダ領キュラソーの情報をくれたオランダ
の領事、ウラジオストックから日本の船に乗る乗船許可証を発行
した日本領事代理の根井三郎、敦賀港での入国に携わった人々、
敦賀から神戸までの列車の手配をした人、神戸で難民の世話をし
た人達、そして海外各地への渡航の手続きをした人々などです。
2000年に河野洋平外務大臣の演説により千畝の名誉は回復されまし
たが、日本政府からは戦争中の勲5等の勲章のみで、戦後、これと
いった表彰は無いはずです(出身大学や関係する自治体を除いて)
海外ではイスラエルからは「諸国民の中の正義の人」に列せられる
ヤド・ヴァシェム賞を受賞、さらにポーランドやアメリカなどから
も受賞したり、賞賛されているのですが、2000年以降の日本政府の
対応は今ひとつのような気がしてなりません。
さて、車の話ですが私の家にはスティングレーともう一台、来月に
車検を迎えた14年目のサンバー・トラックがあります。先日ディー
ラーで見積ってもらったらマフラー交換、フレーム一部腐食・溶接
修理などにより30万円近くかかることが判明、新車に買い換えるこ
とも考えましたが、このまま乗り続けることもエコだと思い、車検
を受けることにしました。そして2年後、あるいは4年後には短距離
専用で150万円程度ののEV軽トラックでも購入しようかと妄想して
います。
では、また。
chiaki-k
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