当時の京都
- 3.0
- 旅行時期:2018/06(約8年前)
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by はちのすけさん(男性)
二条・烏丸・河原町 クチコミ:217件
当時、舟運交通の要衝だった高瀬川周辺にはヒト、モノ、情報の交錯が盛んだった。対立する論を封じるために暗殺という手段が使われていたこの時代、佐久間象山と大村益次郎が似たような場所で襲われても不思議ではない。象山は1864年に、益次郎は1869年に襲撃された。象山はその場で絶命、益次郎は近くの旅館で襲われて一命を取り留めたものの、深手を負ったため、転院先の大阪で息を引き取った。幕末の京都の雰囲気を今に伝える二つの碑だ。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2018/08/26
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