亡き息子の記念に建てられた学校です。
- 5.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
東山手9番地にあった旧英国領事館跡地に明治20(1887)年に建立された旧スチイル記念学校は、アメリカ人牧師であるスチイル博士が18歳で亡くなった息子のウィリアム・ヘンリーを記念するために寄贈した資金により開設された学校です。来日したばかりのアメリカ・オランダ改革派教会の来日宣教師であるアルバート・オルトマンスが校長を務めて男子校である『スチイル・アカデミー』神学部を設立し、その後明治24(1891)年に大儀見元一郎が最初で最後日本人院長となりました。それから間もない明治25(1892)年に東山(とうざん)学院となり、神学部と普通部の2部で構成された学院では神学部に進むために普通部で一般教養を学ぶ必要があったそうです。
しかし数年後神学部の生徒が激減したことにより、明治30(1897)年には神学教育が廃止されます。建学以来私立東山学院、私立中学東山学院、明治学院第二中学部東山学院と校名は改称されましたが、一貫して英語教育と特色ある学風で財政難から昭和8(1933)年に閉校するまでの46年もの間長崎の教育史にその名を刻みました。建物自体はスチイル・アカデミー、私立東山学院、私立中学東山学院、明治学院第二中学部東山学院の校舎として利用され、閉校後学生達は諫早の鎮西学院に移っています。
現在の建物は昭和47(1972)年に所有していた海星学園より長崎市が寄付を受けて現在地に移築したものになります。学校という名が残る建物そのものが博物館となっており、明治時代には800棟もの洋館が市内と近郊にあった史実を今に伝えています。昭和の初期に於いても多数の洋館が永らえ旧居留地の町並みを形成して、日本の異国長崎の面影を色濃く留めてはいたものの、明治32(1899)年に長崎は『要塞化』されており、戸外の写真撮影だけでなく風景を描くことさえ制約がありました。そして昭和に入ってその制約は一層厳しくなり、昭和初期以降の洋館の写真は少なくなりわずかに残っていた『絵はがき』等に残ったものから複製されたものが多数展示されています。
現在長崎に残る洋館が70棟余りとされている中では大変貴重な歴史資料がたくさん置かれています。グラバー園のいちばん奥という場所的なものもあり、時間都合などで訪れないまま帰られることも少なくないと聞きました。しかしある意味何をするにもお金がかかる『長崎の街』のアクティビティーの中でこちら程の資料を備えているところも決して多くはありません。特に今回のように天気が悪く、歩きたくない気持ちがあるときには特に訪れて損はない場所だと思いました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- グラバー園のいちばん奥です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 雨が降っているにも関わらず多くの観光客が訪れていました。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切られています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 建物は移築ですが、中の展示物は一級です。
クチコミ投稿日:2017/10/25
いいね!:15票
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