旧リンガー(弟)住宅とも呼ばれます。
- 5.0
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
旧リンガー住宅を建立したフレデリック・リンガーは中国茶の熟練検査官でしたが、グラバー商会に招かれたことをきっかけに慶応元(1865)年頃に来日しています。数年前グラバー商会勤めた後、明治元(1868)年11月に退職し、英国人のホームとともに『ホーム・リンガー商会』を設立しました。
リンガーは製茶業を手始めに石油備蓄や発電などの事業等幅広い活動を行った他に明治・大正・昭和初期を通じてウラジオストクをはじめとする海外各港との貿易事業や各国商社代理業務に携わりました。
?また居留地の英字新聞である『ナガサキプレス』を刊行した他、捕鯨業やグラバーの息子である倉場富三郎とともに日本初のトロール漁業、そして長崎市の上水道敷設等長崎の殖産興業にも尽力しています。そしてベルギー・スウェーデン・ノルウェー・デンマークと言った国々の名誉領事にも就任して長崎の国際交流にも力を注ぎました。
フレデリック・リンガーは明治40(1907)年にイングランドに一時帰国した際に亡くなりますが、その後邸宅に一緒に住んでいた次男のシドニー・アーサー・リンガーが明治42(1909)年に長崎に戻り邸宅住まいを再開させました。
日本国籍を取得したとされるシドニーですが、二人の息子がスパイ容疑で逮捕されたコックス事件に連座させられて昭和15(1940)年にホーム・リンガー商会の長崎本社の閉鎖を命じられ、昭和17(1942)年には上海への亡命を余儀なくされますが、結局日本軍の捕虜収容施設に収容されることになりました。戦後長崎に戻ってはきたものの資産を徐々に売却していき、最後に邸宅を昭和40(1965)年に長崎市に売却し、イングランドへと戻っています。
フレデリック・リンガーが来日して間もない頃の明治元(1868)年頃に建てたとされる旧リンガー住宅は木骨石造建ての平屋建ベランダ付で寄棟造桟瓦葺という日本には例の少ない石造りの洋風住宅であり、重厚な中に優美さが漂っている特徴があります。それが明治初期の居留地建築の代表的な姿だと言っても過言ではないでしょう。そういった特徴から昭和41(1966)年6月11日には国の重要文化財に指定されています。またなぜ(弟)が付くのかはシドニーの兄であるフレッドが一時期旧リンガー住宅の隣の旧オルト住宅に住んでいたために便宜的に呼ばれるようになったそうです。
現グラバー園内にある建物の多くは移設復元されたものですが、世界遺産登録の構成資産である旧グラバー住宅、そして旧オルト住宅とこの旧リンガー住宅は元々この地にあったものになります。それがなぜ世界遺産登録が旧グラバー住宅だけになったのかは疑問に思うところもあります。修復が入ってるいることが理由なのかも知れませんがよくわかりません。
確かにグラバー園内に建立されている多くの建物自体が元々は長崎市街にあった歴史ある建造物を移築して作られたものであるため、手が加えられたテーマパークという扱いなのかも知れません。しかし移設復元されていないものはそれはそれで評価をするべきではないか?そう思う節も確かにあります。
国と国同士の駆け引き論がある世界遺産登録だからかも知れませんが、建物を見ながらその違いがわからないから凡人なのかとふと思ってしまいました。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- グラバー園内にあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 雨天でも観光客は多いです。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープは切られていました。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 当時の建築様式を今に伝えてくれています。
クチコミ投稿日:2017/10/11
いいね!:17票
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