イタリアの作曲家です。
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- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
長崎市 クチコミ:57件
ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ(Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini)はイタリアの作曲家であり、その作品である『トスカ』、『蝶々夫人』、『ラ・ボエーム』などのオペラは今日でも上演の機会が多いことで知られています。
プッチーニの代表作である『マダムバタフライ(蝶々夫人)』は、日本のオペラの先駆者である三浦環が大成功を収めたオペラ作品として知られています。
イタリアで生まれてベルギーで亡くなったプッチーニは生涯一度も日本を訪れたことはありません。ではなぜ日本の長崎を舞台にした『蝶々夫人』を手掛けたかとなりますが、イギリスでデーヴィッド・ベラスコの戯曲である『蝶々夫人』を観劇し、えらく感動したことによって次作に選んだそうです。そして日本音楽の楽譜を調べ、レコードを聞き、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集めるなど、徹底的に日本の雰囲気をもつ異色作の完成を目指して熱心に制作に励んだそうです。
また当時の駐イタリア大使夫人の大山久子に再三会って日本の事情を聞いて民謡など日本の音楽を集めました。また1902年に行われた『パリ万博』に於いてはプッチーニは渡欧していた日本一の芸妓『川上貞奴』に会って情報を集めたとも言われています。そして出来上がった『蝶々夫人』は初演こそ失敗はするものの、公演ごとに改定され第6版が現在でも上演されているものとなっています。
その『蝶々夫人』を三浦環が演じるようになって大成功をし、プッチーニは名声を得るも数々のスキャンダルを起こしたりしていたそうです。咽頭癌が発覚し治療のために滞在していたベルギーのブュッセルで1924年手術後に死去しますが、三浦環はプッチーニの死後イタリアを拠点とするようになり、昭和10(1935)年にはシチリア島で出演2,000回を達成しています。
直接のつながりがあったのかどうかはわかりませんが、この二人による『蝶々夫人』が長崎を有名にしたことも事実でしょう。グラバー公園内に付かず離れずの位置関係に置かれている二人の銅像には、一言で言い表すことのできない『関係』みたいなものを感じました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- グラバー公園にあります。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- この場所は修学旅行の集合場所にされているようです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 舗装はしてあります。
- 見ごたえ:
- 3.0
- あまり建立意図がわかりません…。
クチコミ投稿日:2017/10/06
いいね!:12票
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