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蝶々夫人です…。

  • 5.0
  • 旅行時期:2017/09(約7年前)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)

長崎市 クチコミ:57件

日本初のオペラ歌手として成功した三浦環(みうらたまき)。明治36(1903)年7月23日に旧東京音楽学校奏楽堂で行われた初の日本人の手によって執り行われたオペラ公演に出演し成功を収めます。

その後結婚を経てドイツ・イギリス留学に留学した後渡米し、『蝶々夫人』の公演によって名声を得ます。大正11(1922)年に帰国し長崎に滞在しつつ、蝶々夫人所縁の土地土地を訪ね歩いて演奏会を行って成功を収めます。その後アメリカを経てイタリアで活動し、昭和10(1935)年にシチリア島で蝶々夫人出演2,000回を達成し、それを機に日本への永住帰国を決断します。第二次世界大戦中に山梨県に疎開するも、ピアノを持ち込み子供達に教えていたと言われています。

終戦後日比谷公会堂で4回のリサイタルを敢行するも、翌年には膀胱癌により体は衰弱の一途を辿りますが、それでも3月には2回のリサイタルと3回の録音をこなしています。昭和21(1946)年5月26日午前5時20分死去。同6月7日に日比谷公会堂で音楽葬が執り行われました。

なぜ蝶々夫人像が長崎にあるのか?それは長崎を主題としてイタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニが作ったオペラ『マダムバタフライ(蝶々婦人)』を30年もの間世界各国で歌い続け、その美しい名曲を通じて広く海外に日本婦人の愛の美徳を紹介したということに繋がります。その功績を称えるべくグラバー園敷地内にプッチーニとともに三浦環像が建立され現在に至っています。

改宗しクリスチャンとなった蝶々夫人が、禁じられている『自害』によって幕引きとなるこの『マダムバタフライ』。その頃の日本の風潮を伝えるものとして、三浦環像が残っているようにも見えました。

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
5.0
グラバー公園内自由亭横にあります。
人混みの少なさ:
3.0
修学旅行の集合場所となっているのか結構子供達がいました。
バリアフリー:
4.0
舗装はしてあります。
見ごたえ:
4.0
背景の水の流れがうるさいようにも思います。

クチコミ投稿日:2017/10/06

いいね!:13

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