維新発祥之地碑
名所・史跡
3.25
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
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元治元年(1864年)の高杉晋作の功山寺の挙兵をもって
- 3.5
- 旅行時期:2024/02(約2年前)
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近代国家樹立はこの地から ~ 維新発祥之地碑
- 2.5
- 旅行時期:2022/09(約3年前)
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サンデンバスで城下町長府バス停下車、徒歩で3分も掛からない三叉路に自然石の見事な石碑が建ってます「維新発祥之地碑」です。
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が周囲に余りにも何も無いのでちょっと寂しい気がしますね?…。
下関市長府は古より長門の国府として長府と呼ばれ中世を経て、慶長5年に毛利秀元が長府5万石の城主として入府以来城下町として栄え平穏に藩政時代を過ごしてきました。
元は周防国・長門国を領国とする外様大名・毛利家を藩主とする長州藩50万石、その支藩が長府藩に成ります。
でかの有名な思想家・吉田松陰率いる松下村塾の多くの塾生達が尊王攘夷にかられ討幕運へと繋がっていくんですね。
やはり中心人物は桂小五郎・久坂玄瑞・伊藤博文・井上馨と高杉晋作など勤王の志士となりその後の激動の中を駆け抜けて行きます。
その主人公である高杉晋作はご城下の名刹・功山寺にて数十名の同志達とクーデターを起こすことになる維新回天の挙兵を挙げる功山寺決起です。
だからこの地が維新発祥之地として石碑が立てられたのでしょう。
その後、晋作らの見事な奇襲にて長州は目覚め、その後の戊辰戦争へと突き進むわけですね。まさに男の本望であり男の浪漫というものです。 閉じる投稿日:2022/11/11
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大きな通りに面した目立つ場所にあります
- 3.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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忌宮神社の近くにあります。
- 3.5
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
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高杉晋作の功山寺挙兵が維新に繋がる
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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