大美御殿跡
名所・史跡
3.26
クチコミ・評判
1~6件(全6件中)
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尚清王が世子だった頃の別邸
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- 旅行時期:2024/07(約1年前)
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首里高等学校の前に石碑(旧跡の案内表示)がありました。
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- 旅行時期:2023/01(約3年前)
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首里城御内原の別邸
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- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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首里高校の敷地にあったそうです。
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- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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今は首里高校
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- 旅行時期:2021/04(約5年前)
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ペリー提督が宴会をした
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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首里高校の前、寒川通り(県道50号線)沿いに「大美御殿跡」の石標が建っています。
石標には、古地図とともに、『もとは... 続きを読む尚清(しょうせい)王の世子(せいし)時代の別邸。
1547年に増築し、首里城内の女性の休養・産所、また冠婚葬祭などの礼式を行う場所となった。
1853年5月に来琉したアメリカのペリー提督一行が6月に首里城を訪問した際、大美御殿を摂政邸と称して、宴会が催された。1879年の廃藩置県後、建物の一部に首里役所が置かれたが、明治後期に敷地・建物ともに払い下げられ、1925年に県立第一中学校の運動場となった。沖縄戦後は、首里高校の校地として引き継がれている。』と表記されています。
石標に表示されている古地図を見ると、首里城の第一の坊門であった中山門から、第二の坊門であった守礼門までの間の道が示されていて、その周辺には、“大美御殿”や、“中城御殿”、“玉陵”、“御客屋”などの施設の表記があり、このあたり一帯は王府関連の建造物が建ち並んでいたことが想像できます。現在は、残念ながら玉陵を除いてその遺構は何も残っていませんが古都首里を思いながら周辺を散策しました。
この辺りには、古都首里の遺跡がたくさんあります。私は、首里城公園管理センターで頂いた“首里城首里巡り”という絵図マップを参考に散策しました。首里の歴史に興味ある方は、首里城を訪れたら、絵図マップを入手して散策されると良いと思います。 閉じる投稿日:2016/06/02
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