和歌山市大谷、県道粉河加太線のすぐ北側の丘の上に「大谷古墳」があります。
この古墳をGoogleMapの航空写真などで見...
続きを読むると非常に綺麗な前方後円墳の姿を確認することができますが、これは5世紀末期頃に造られた全長70mという県内では比較的大規模な古墳です。
この古墳からは馬冑(ばちゅう)が発掘されたことで一躍有名になりました。馬冑というのは、馬にかぶせる鉄製の兜(かぶと)のことですが、それまで日本国内では出土例が無く、大谷古墳で初めて発見されたものだったのです。後に、朝鮮半島南部で同型式の馬冑が十数例発掘されたことから、この発見はこの地域において古墳時代から朝鮮半島と密接な交易が行われていたことを示す第一級の史料になりました。
その後、国内では同形式の馬冑が埼玉県の将軍山古墳で発見されたほか、最近になって福岡県の船原古墳からも出土されたという発表があったため、発掘例としては全国で3例ということになりますが、今でも完全な形で発掘されたのは大谷古墳の馬冑だけなのです。
大谷古墳は昭和32年に本格的な発掘調査が行われるまで盗掘された形跡がなく、銅鏡、ガラス製の勾玉(まがたま)、埴輪(はにわ)などの副葬品が多数発見されました。その多くが朝鮮半島由来のものか、朝鮮半島の影響を受けたものと言われていますので、和歌山では他の地域に先駆けて朝鮮半島、中国大陸との間で密接な交流が行われていたことがうかがえます。
天気の良い日に大谷古墳の上に立って前方後円墳の正面方向を眺めると、紀の川の流れの先に紀伊水道の海が広がり、古代人がこの海の先に朝鮮半島を、そして中国大陸を、意外と身近に感じていたのではないかという思いがわき上がってきます。
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投稿日:2015/09/16