この神社は、伝説的なスーパーマンであった武内宿禰(たけのうちの すくね)の生誕地として知られています。
武内宿禰は、...
続きを読む「古事記」「日本書紀」の時代にあって多くの天皇に仕え、国政を補佐したと言われる伝説的人物です。父は天皇家の皇子、母は日前宮を祀る紀伊国造の娘と言われており、紀氏の一族であるとともに、「巨勢」「平群」「葛城」「蘇我」などの諸豪族の祖との説があります。
非常な長命であったと伝えられ、没した時には280歳であったとも360歳であったとも言われています。この間5人の天皇と1人の皇后に忠臣として仕え、景行天皇時代には勅命を受けて東北諸国の形勢・民情の視察を行い、成務天皇には大臣に任じられ、仲哀天皇とともに熊襲征伐に向かい、仲哀天皇崩御の後は身重の神功皇后を補佐して朝鮮半島に進出し、応神天皇時代には朝鮮半島の人々を指揮して「韓人の池(奈良県田原本町)」を掘らせ、晩年には仁徳天皇の政道に参与したと伝えらます。
明治時代には、忠臣の象徴として紙幣の肖像画に登場したことでも知られています。明治22年の一円紙幣、明治32年の五円紙幣、大正5年の五円紙幣、昭和18年の一円紙幣、昭和20年の二百円紙幣と合計5回も紙幣に登場しており、これは聖徳太子の7回、菅原道真・和気清麻呂の6回に次ぐ記録です。
武内宿禰の生誕地については諸説あるのですが、享保16年に当時の第71代紀伊国造俊範によって、和歌山市松原にある井戸が宿禰の産湯の井戸であると考証されました。それ以後、長寿で知られる武内宿禰にあやかるため、紀州徳川家に子供が生まれたときには、この井戸の水を産湯として用いることとしたそうです。
武内宿禰誕生井は、安原八幡神社の奥宮とされる武内神社の境内にある長寿殿という建物の中にあります。
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投稿日:2015/09/02