八幡神社
寺・神社・教会
3.12
クチコミ・評判
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神功皇后が三韓征伐の帰途で応神天皇を預けた地
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- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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安原小学校を東に少し行ったところに八幡神社(安原八幡神社)があります。
八幡神社の祭神は「八幡神(やはたのかみ)」と言わ... 続きを読むれますが、別名「誉田別命(ほんだわけのみこと)」とも呼ばれており、これは応神天皇のことを指します。
応神天皇の母である神功皇后は、夫である仲哀天皇が九州で急死した後に妊娠したまま朝鮮半島に出兵し、勝利を挙げた帰途に誉田別命を産んだと言われます。ところが、誉田別命の異母兄にあたる忍熊王(おしくまのみこ)らが誉田別命を亡き者にしようと反乱を企てました。
そこで、神功皇后は大阪から大和へ入るルートを避けていったん紀水門(和歌山市)に上陸し、臣下である武内宿禰(たけのうちの すくね)に誉田別命を預けて、自らはさらに南下して衣奈(日高郡由良町)まで迂回をしました。その後、再び皇后は安原の地を訪れますが、その際に仮の宮殿を造って滞在した場所がこの安原八幡の地であると伝えられています。これは、この地域が武内宿禰の生誕地であり、彼の一族が支配する土地であったために安心して皇子を託すことができたからだと言われています。
やがて忍熊王の反乱が平定されると、神功皇后は誉田別命とともに紀の川に沿って大和の都へ戻ります。その際、海南市旦来、紀美野町小畑、貴志川町岸宮、橋本市隅田など各地に立ち寄ったと伝えられており、後にそれぞれの場所に誉田別命を祭神とする八幡神社が造営されることとなりました。これがそれぞれ、且来八幡神社、野上八幡宮、貴志川八幡宮、隅田八幡神社などの造営の由来とされています。
神宮皇后の旅程には諸説あるものの、安原八幡宮は神功皇后の紀伊国での旅程の最初の地であると伝えられていることから、江戸時代に描かれた「紀伊国名所図絵」には「当社は日本最初の御旧跡なり」と紹介されています。
神社の名称が正式には「八幡神社」であり、「安原」という地名が付けられていないのは、この神社が和歌山で一番の八幡神社であるということの証なのでしょうか。 閉じる投稿日:2015/09/04
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yoshimune-kunさん