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東京新詩社跡 (第四萩の家跡)

名所・史跡

東京新詩社跡 (第四萩の家跡) クチコミ・アクセス・周辺情報

信濃町・千駄ヶ谷 観光 満足度ランキング 33位

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クチコミ・評判

1~7件(全7件中)

  • 渋谷道玄坂にあります東京新詩社跡の記念標識が建て替えられています。
    与謝野鉄幹と与謝野晶子が、東京渋谷の道玄坂に東京新詩...  続きを読む社を運営していました。
    与謝野鉄幹
    与謝野鉄幹・晶子夫妻は、いろいろな場所に居を構えていました。渋谷道玄坂にも3ケ所に旧居跡があります。その他、千駄ヶ谷、東京逓信病院そば跡等に、旧居跡があります。
    渋谷道玄坂の東京新詩社跡は、旧居跡に、東京新詩社の運営場所も併せていたのでしょう。
    今回、その記念碑が建て替えられているのに気が付きました。5年前は、木製でしたが、現在の記念標識は、金属製です。
    また、5年前のものは、毛筆による手書きでしたが、現在は、機械による文字になっています。
    時代の変遷を目の当たりにしました。  閉じる

    投稿日:2025/08/10

  • 与謝野晶子のゆかりの場所です。

    • 3.0
    • 旅行時期:2022/01(約4年前)
    • 0

    この東京新詩社跡 (第四萩の家跡)は総武線千駄ヶ谷駅から南に5分強の建物です。今はビルの一角に支柱がたてられているだけです...  続きを読む。この場所に与謝野鉄幹と晶子が道玄坂から20世紀初めごろに移住してきました。ここで機関紙「明星」や晶子の「みだれ髪」などが発刊されています。2人にとっては精力的な活動して場所です。  閉じる

    投稿日:2022/02/01

  • 東京新詩社は、先に、渋谷の道玄坂に設立され、新詩社跡の標識柱も、立てられています。
    与謝野鉄幹は、明治34年、麹町から逃...  続きを読むげるようにして道玄坂に転居し、新詩社を設立します。
    そこに、堺から上京して来た与謝野晶子と生活し、東京新詩社の機関誌「明星」を十二号から発行し、晶子も歌集「みだれ髪」を刊行しました。
    現在も、渋谷教育委員会が作成した東京新詩社跡の標識柱が立てられています。
    この間、有名な「君死に給うなかれ」を発表することになったのです。
    しかしながら、その文筆活動により、道玄坂において2度の転居をせざるを得ず、続いて明治37年に、千駄ヶ谷に転居することとなったのです。
    千駄ヶ谷への転居後、新詩社は、発展することとなりましたが、機関紙明星の刊行100号を最後に廃刊となり、明治42年に神田駿河台に移ることとなりました。
    与謝野鉄幹・晶子の住居も活動拠点も、転々とすることとなり、現在も、旧居跡として諸処に石碑や標識が立てられています。  閉じる

    投稿日:2020/02/16

  • 与謝野鉄幹・晶子ゆかりの地

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/11(約6年前)
    • 1

    東京新詩社跡は、青空駐車場の片隅に古びた木の杭が立っています。
    これは、与謝野鉄幹・晶子ゆかりの地。与謝野鉄幹は明治34...  続きを読む年、麹町から渋谷に移り住み、晶子と結婚。東京新詩社の機関誌「明星」を発行し、晶子も歌集「みだれ髪」を刊行し活発な文学活動を行いました。東京新詩社はここ千駄ヶ谷に移り、最盛期を迎えたということです。  閉じる

    投稿日:2020/12/14

  • 気がつきにくいと思います・東京新詩社跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/11(約10年前)
    • 0

    明治時代にはこの住宅地の中のパーキングの敷地に与謝野鉄幹が創立した「東京新詩社」があったようです。

    与謝野鉄幹と言え...  続きを読むば与謝野晶子ですが、東京新詩社創立当時の明治32年はまだ、与謝野鉄幹は他の女性と結婚していたようです。

    その後与謝野晶子と出会い不倫関係に陥り明治34年に晶子と再婚。

    みだれ髪もこのころ出版されたものだそうで、いろいろ大変なことが起こった地だったようですね。  閉じる

    投稿日:2015/11/22

  • JR千駄ヶ谷駅の南西、渋谷千駄ヶ谷郵便局のあるブロックの南東の駐車場の角にこちらの標柱が立っている。標柱のすぐ横に駐車して...  続きを読むいる車輛や精算機があるため、標柱は目立たない。平日午後だったせいか、前の歩道は人通りが少なく、この標柱に目を留める人はいなく周りはひっそりとしていた。標柱のみなので観光要素は少ないが、晶子とともに渋谷に住んでいた与謝野鉄幹は東京新詩社の機関誌、明星を刊行するなど盛んに文学活動に取組んでいたが、その後この地に移り、東京新詩社は最盛期を迎え、晶子も恋衣や夢の華等の歌集を刊行した。特に与謝野鉄幹や晶子に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2015/01/21

  • 道玄坂にもあります…

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/06(約12年前)
    • 0

    千駄ヶ谷にたる跡地の碑です。明治37年11月に与謝野鉄幹、晶子夫妻は道玄坂からこの地に移り住んだとのことですが、道玄坂にも...  続きを読む似たような碑があります…違いはわかりませんが…
    この頃が東京新詩社の活動の最盛期だったようです。  閉じる

    投稿日:2015/01/17

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基本情報(地図・住所)

施設名
東京新詩社跡 (第四萩の家跡)
住所
  • 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-23
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
Toratora さん

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