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東京新詩社跡 (第四萩の家跡)

名所・史跡

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東京新詩社は、先に、渋谷の道玄坂に設立され、新詩社跡の標識柱も、立てられています。

  • 3.5
  • 旅行時期:2020/02(約6年前)
さいたまさん

by さいたまさん(男性)

信濃町・千駄ヶ谷 クチコミ:33件

東京新詩社は、先に、渋谷の道玄坂に設立され、新詩社跡の標識柱も、立てられています。
与謝野鉄幹は、明治34年、麹町から逃げるようにして道玄坂に転居し、新詩社を設立します。
そこに、堺から上京して来た与謝野晶子と生活し、東京新詩社の機関誌「明星」を十二号から発行し、晶子も歌集「みだれ髪」を刊行しました。
現在も、渋谷教育委員会が作成した東京新詩社跡の標識柱が立てられています。
この間、有名な「君死に給うなかれ」を発表することになったのです。
しかしながら、その文筆活動により、道玄坂において2度の転居をせざるを得ず、続いて明治37年に、千駄ヶ谷に転居することとなったのです。
千駄ヶ谷への転居後、新詩社は、発展することとなりましたが、機関紙明星の刊行100号を最後に廃刊となり、明治42年に神田駿河台に移ることとなりました。
与謝野鉄幹・晶子の住居も活動拠点も、転々とすることとなり、現在も、旧居跡として諸処に石碑や標識が立てられています。

施設の満足度

3.5

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
3.5
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
3.0

クチコミ投稿日:2020/02/16

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