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織田作之助文学碑 「木の都」

名所・史跡

織田作之助文学碑 「木の都」 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判

1~12件(全12件中)

  • 口縄坂の情景を

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/03(約3年前)
    • 0

    天王寺七坂のうちのひとつである口縄坂を上がると右手にある石碑です。口縄坂の情景が描かれた著作の一部が書かれています。この作...  続きを読む品自体は知らないのですが、その描き方など、地元愛の強かったということはよくわかります。  閉じる

    投稿日:2023/05/16

  • 口縄坂を上りきった右側に碑があります

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/05(約4年前)
    • 0

    天王寺七坂のうちのひとつ、口縄坂。まるで蛇のように曲がりくねっているという理由で命名されたようですが、実際に行ってみてそん...  続きを読むな感じはしませんでした。そんな歩行者専用のこの坂の石段を上がりきったところに織田作之助の文学碑がありました。作品「木の都」の一説にこの口縄坂が出てくるようです。散策の最後になるように行程を組んだら、ちょうどこのあたりから夕陽が見えて大満足でした。  閉じる

    投稿日:2022/06/06

  • 織田作之助♪

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    こちらの方の文学碑は他の場所にもあり、生田魂神社の中には銅像もありました。こういった分野には疎いので初めて知った方ですが、...  続きを読むこの方の中でも有名な作品が石碑となっているので、よい勉強になってよかったです。  閉じる

    投稿日:2022/06/25

  • 地元出身の作家織田作之助の文学碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2022/04(約4年前)
    • 0

    坂の下から眺めると「くちなわ(蛇)」のようだといういわれのある口縄坂(天王寺七坂のひとつ)を登った先に文学碑があります。地...  続きを読む元出身で大阪を心底愛した作家織田作之助。『木の都』の一節が刻まれ、黒御影石の碑には口縄坂の情景が描かれています。思わず見入ってしまいました。  閉じる

    投稿日:2022/05/15

  • 口縄坂の上にあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/05(約9年前)
    • 0

    口縄坂の上にこちらの文学碑がありました。「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。私は石段を降りていきながらもうこの坂...  続きを読むを登り降りすることも当分・・・」とこの地・坂が作品の中に登場するようです。

    こちらは本当に小説に出てきそうな風情のある坂道です。
    「木の都」どんな話か気になります。  閉じる

    投稿日:2017/06/04

  • 口縄坂の東の頂付近。

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/04(約9年前)
    • 0

    大正から昭和にかけて、特に終戦後太宰治らとともに並び称された小説家の方の文学碑のようで、ご出身が現在の天王寺区上汐4丁目ふ...  続きを読むきんだったことに由来して、木の都という作品の文学碑が口縄坂の頂にこじんまりと作られています。ちなみに法善寺横丁には夫婦善哉の碑があるようです。坂の雰囲気とも合っていて、つい全文読んでしまいました。  閉じる

    投稿日:2017/04/30

  • 上町台地出身の作家 織田作之助の文学碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/03(約9年前)
    • 0

    「夫婦善哉」でも有名な織田作之助は上町台地出身の作家です。
    その作之助の「木の都」の文学碑が口縄坂の坂上にあります。
    ...  続きを読む昭和19年「新潮」に発表された作品「木の都」は、
    古き大阪への作者自身のノスタルジーが色濃く漂い、
    大阪的庶民気質や大阪人情への深い共感が読み取れる優れた作品です。
    近年、全国ネットワークのテレビ局の間違った大阪のイメージにより、
    貶められているように感じます。
    下品なお笑いも増えているのも原因です。
    しかし、本当の大阪は文学や浄瑠璃など文化的にも先進的でした。
    そのような面を知ってほしいと思います。
    この文学碑がある口縄坂は、天王寺七坂で真田幸村最期の地である安居神社や、
    聖徳太子が創建した四天王寺にも近いです。
    夕陽も美しい坂なので、先に安居神社や四天王寺を参拝してから立ち寄ってください。  閉じる

    投稿日:2017/03/19

  • この界隈に点在する織田作之助関連の史跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/01(約10年前)
    • 0

    代表作「夫婦善哉」で有名な大阪の天王寺出身の有名な作家だけに地元であるこの界隈には氏の関連の史跡が点在していますが、そのう...  続きを読むちに一つです。上町台地の西側の夕陽ヶ丘地区と松屋町筋をつなぐ、天王寺七坂の一つである口縄坂の上がったところにある文学碑でひっそりと建っています。御影石の台座と石板が同じ石から切り出されてつくられた文学碑で氏の作品の「木の都」の一節のうち、口縄坂が出てくる部分が刻まれています。非常にやさしい文字で刻まれているのが印象的です。口縄坂は天王寺七坂の中でも緑豊かな環境で氏がこの雰囲気を好んだのが良くわかります。  閉じる

    投稿日:2016/02/21

  • 足を止めるひとは少ない

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    織田作之助は大阪市の生まれで33歳の若さで急逝した昭和を代表する作家のひとりです。
    この文学碑は口縄坂の上にありこの碑に...  続きを読む刻まれた「木の葉」は昭和19年『新潮』に発表された作品で大阪的庶民気質や大阪人情の共感が読み取れる優れた作品といいます。
    しかし、文学に興味がある人でなければ足を止めて見る人もいないので寂しいですね。  閉じる

    投稿日:2015/01/25

  • 口縄坂を愛していた織田作之助の碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    織田作之助文学碑 「木の都」 は、口縄坂を上ったところ。織田作之助は、法善寺の近くに「夫婦善哉」の碑がありますが、大阪人に...  続きを読むは特別の作家なんでしょう。織田作之助が口縄坂を愛していたことが、「木の都」の一節から偲ぶことができるという意味の文学碑です。  閉じる

    投稿日:2014/12/30

  •  この文学碑は口縄坂の上にあり、黒御影石に 「木の都」 の一節が刻まれています。
     一方、生國魂神社の境内に、生誕百年を...  続きを読む祝して顕彰した銅像が建てられています。
    それ程大きくはないが、マントを羽織り歩いている姿です。
     解説板には、大阪を愛し、三十三年の生涯は太く短かった。 云々
     と記されています。
     なお、この銅像は、オダサク倶楽部が2013 (平成25) 年10月に寄贈したものです。  閉じる

    投稿日:2014/08/25

  • 口繩坂の織田作之助「木の都」文学碑

    • 4.0
    • 旅行時期:2011/09(約14年前)
    • 2

    織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説...  続きを読む家。口繩坂は織田 作之助の思い出の場所で「木の都」に情景が描かれており一部が口繩坂の織田作之助「木の都」文学碑に刻まれている。
    (「木の都」の一部)
    口繩(くちなは)とは大阪で蛇のことである。といへば、はや察せられるやうに、口繩坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といつてしまへば打ちこはしになるところを、くちなは坂とよんだところに情調もをかし味もうかがはれ、この名のゆゑに大阪では一番さきに頭に泛ぶ坂なのだが、しかし年少の頃の私は口繩坂といふ名称のもつ趣きには注意が向かず、むしろその坂を登り詰めた高台が夕陽丘とよばれ、その界隈の町が夕陽丘であることの方に、淡い青春の想ひが傾いた。夕陽丘とは古くからある名であらう。昔この高台からはるかに西を望めば、浪華(なには)の海に夕陽の落ちるのが眺められたのであらう。藤原家隆卿であらうか「ちぎりあれば難波(なには)の里にやどり来て波の入日ををがみつるかな」とこの高台で歌つた頃には、もう夕陽丘の名は約束されてゐたかと思はれる。しかし、再び年少の頃の私は、そのやうな故事来歴は与(あづか)り知らず、ただ口繩坂の中腹に夕陽丘女学校があることに、年少多感の胸をひそかに燃やしてゐたのである。夕暮わけもなく坂の上に佇(たたず)んでゐた私の顔が、坂を上つて来る制服のひとをみて、夕陽を浴びたやうにぱつと赧(あか)くなつたことも、今はなつかしい想ひ出である。

      閉じる

    投稿日:2013/03/01

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
織田作之助文学碑 「木の都」
住所
  • 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5 口縄坂
アクセス
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」2番出口より徒歩3分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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