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岡倉天心生誕の地

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横浜

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岡倉天心生誕の地 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11358666

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クチコミ 2ページ目(54件)

  • 横浜市中区本町の横浜市開港記念会館の脇に記念碑が立っています。日本を代表する画家・岡倉天心が文久2年(1862年)に生まれ...  続きを読むた場所です。すぐ隣に横浜町会所跡の記念碑と横浜商工会議所発祥の地の記念碑も立っていますので、横浜散策の際には訪れておきたいスポットです。   閉じる

    投稿日:2022/09/02

  • 岡倉天心生誕の地

    • 4.0
    • 旅行時期:2020/05(約4年前)
    • 0

    東京芸術大学の設立に貢献した岡倉天心の生誕碑が、横浜市開港記念会館の横にあります。開港期から明治初年まで、天心の父親が支配...  続きを読む人をしていた生糸店があり、その後に町会所になったところです。建物や石碑を眺めながら、少しだけ歴史に触れることができました。  閉じる

    投稿日:2020/05/06

  • 岡倉天心の父親は、福井藩商館・石川屋の手代(支配人)で、覚三(天心)は、この商館で生まれたことになっています。石川屋の所在...  続きを読む地は、開港場の一等地の本町 5 丁目(現本
    町1丁目)で道路を挟んで、関税をつかさどる幕府運上所(現神奈川県庁)があったとされています。したがって、正確な場所はわかりませんが、現在の横浜開港記念館がある場所の一角にあったことは間違いありません。岡倉天心の生誕の地の碑は、しかるべき場所に置かれているようです。岡倉天心に関心がなければ、石碑の一つぐらいの意味しかないのでしょうが。  閉じる

    投稿日:2019/10/04

  • 横顔のレリーフ

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/09(約5年前)
    • 0

    横浜市開港記念会館の入口付近にありました。横顔のレリーフというのは珍しいのではと思いますが岡倉天心は東京藝術大学の前身とな...  続きを読むる学校の設立に貢献するなど美術界で活躍した人なので、敬意を払ってより芸術的なものになっているということでしょうか。  閉じる

    投稿日:2019/09/21

  • 神奈川県庁のはす向かいのジャックの塔の名前で親しまれている横浜開港記念会館の入口の左手に、『岡倉天心生誕の地』の石碑があり...  続きを読むます。
    開港当時、この場所には元福井藩士だった岡倉天心の父親が藩命により生糸商を営んでいた石川屋があって、ここで生まれたそうなので天心の生誕地になっているそうです。
    そんな関係で、幼少のころから横浜で宣教師から英語を学んで、明治4年まで横浜に住んでいたそうです。
    この辺には至る所に○○発祥の地とか生誕の地とかの碑があって、それらを見つけながらの街歩きも楽しいですね。
      閉じる

    投稿日:2019/06/27

  • 美術界の重鎮

    • 3.0
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    美術界の重鎮である岡倉天心の生誕の碑です。
    横浜の開港記念館会館入口のすぐ脇にあります。
    岡倉天心が横浜生まれというの...  続きを読むは知りませんでした。また、かなりの一等地でもあります。
    碑は横顔のレリーフがあり、美しい碑です。  閉じる

    投稿日:2019/11/20

  • 横浜開港記念会館の入口近くに石碑がある

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    横浜開港記念会館の入口近くに岡倉天心生誕の地の石碑がある。石碑は比較的大きな直方体で中央に天心の顔の像がある。お勧めの点は...  続きを読む、岡倉天心は明治時代の美術指導者であること、1863年、現在の横浜市開港記念会館がある場所で生まれたこと、父が支配人を務めていた商館、石川屋(石川生糸店)には多くの外国人が出入りし幼少期を過ごした天心は自然と英語を身に付け後に米国人教師フェノロサの通訳として日本美術研究を手伝うことになったこと、東京美術学校の設立に大きく貢献したことである。訪問時の感想は、岡倉天心がこの付近で生まれ、外国人が多く来訪する環境のなかで育ったことが天心の業績につながったことを初めて知り訪問して良かった。  閉じる

    投稿日:2019/09/29

  • 横浜開港記念会館にあります

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/04(約5年前)
    • 0

    みなとみらい線日本大通り駅すぐ。横浜三塔のジャックがある横浜開港記念会館に建立されています。横浜商工会議所発祥の地ともなっ...  続きを読むており、会館横には、「岡倉天心生誕の地」「町会所跡」「横浜商工会議所発祥地」が並んでいます。  閉じる

    投稿日:2019/04/04

  • 横浜市開港記念会館前にあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/03(約5年前)
    • 0

    横浜市開港記念会館の前にあります。岡倉天心は横浜生まれとは知りませんでした。特に説明書きなどはありませんでしたが、石碑に岡...  続きを読む倉天心の横顔レリーフが埋め込まれています。同場所には横浜町会所と商工会議所発祥の碑もあるので、併せての見学がおすすめです。  閉じる

    投稿日:2021/01/05

  • 現在の横浜市中区本町、「横浜市開港記念会館」付近に岡倉天心の生誕地の記念碑がありました。
    岡倉といえば専修大学や東京美術...  続きを読む学校(現・東京藝術大学)の設立に貢献したことで知っていましたが、なんとなく「東京のど真ん中生まれ」の印象でしたが思わぬところで生まれていました。
    福井藩の下級藩士の父が、藩命で武士の身分を捨て福井藩が横浜に開いた商館「石川屋」の貿易商となり、この地で生まれたようです。岡倉は、店を訪れる外国人客を通じて幼少時より英語に慣れ親しんでいったといいます。
    様々な遺構の残る横浜の町ですが、このようなエピソードもあったりして楽しいです。
      閉じる

    投稿日:2019/03/08

  • 横浜市の美術先生に対する姿勢が♪

    • 4.0
    • 旅行時期:2019/02(約5年前)
    • 0

    開港記念会館にあるのが[岡倉天心生誕の地]…当時の貿易商館で誕生しての記念碑です。小学校でも教えてもらったこともある`日本...  続きを読む美術院`(公募展は`院展`)の創設/東京美術学校校長も;横山大観/菱田春草//の指導と副校長はフェノロサ(^^) 会館は工事中にも関わらず記念碑は周囲を整えられて、流石!横浜市の美術先生に対する姿勢が♪  閉じる

    投稿日:2019/02/19

  • 建物の傍らにあります

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/10(約6年前)
    • 0

    横浜市開港記念会館の正面入口の左側に、明治期に美術界の基礎を築いた岡倉天心誕生之地の碑があります。

    大理石にブロンズ...  続きを読むの肖像をはめてあるものです。昭和34年5月に横浜開港100年を記念して設立されました。

    元福井藩士であった父が藩命によって生糸貿易を営んでいました。石川屋というお店です。天心はその息子でした。

    東京美術学校(現在の東京芸術大学)の設立に力をそそぎました。

    小さい頃から英語も堪能でとても頭のよい人だったと聞いています。

    日本の美術が発展してきたのも、彼のおかげだと思います。  閉じる

    投稿日:2018/11/06

  • まさか横浜生まれだとは

    • 3.5
    • 旅行時期:2018/07(約6年前)
    • 0

    岡倉天心と言えば明治時代を代表する日本画家ですが、茨城出身というイメージを持っていました。でもこの碑を見て横浜で生まれたと...  続きを読むいうのを初めて知りました。「岡倉天心生誕之地」という横文字と本人の横顔が彫られているだけの簡素なものですが、碑になるほどの人物ということに改めてそのすごさを思ったのでした。  閉じる

    投稿日:2018/07/19

  • 美術史学研究者!!

    • 3.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    横浜開港記念館の横に大きな石碑があり岡倉天心生誕之地と書かれています、東京美術学校の設立に貢献し方で近代日本における美術史...  続きを読む学研究の第一人者です、石碑がある場所は当時を思わせる物は何も無いですが、岡倉天心が横浜生まれだったことに驚かされる場所です。  閉じる

    投稿日:2018/08/10

  • 立派な石の記念碑です。

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/11(約6年前)
    • 0

    日本大通り界隈を散策し開港記念会館を見学した際、その植え込みの中に大きな記念碑がありました。岡倉天心といえば、東京美術学校...  続きを読むの創立などフェノロサと共に近代日本の美術史に多大な功績を残された方ですが、かれがこの場所にかつてあった商館で生まれたことを伝える碑でした。幕末1863年、開港間もない横浜で生を受けたのですね、まさに明治という時代を体現するような方だったのだと思いました。  閉じる

    投稿日:2018/01/07

  • 大きな記念碑でした

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/10(約7年前)
    • 0

    日本大通り駅すぐ横にある開港記念会館の建物横に大きな横長の記念碑がありました。近代日本における美術史学研究の開拓者であった...  続きを読む岡倉天心が当時ここにあった商館で生まれたことを記念した碑で、天心の横顔を示した銅製のレリーフが付いていました。  閉じる

    投稿日:2017/10/29

  • 岡倉天心は 福井藩出身の武家であった父が藩命で 福井藩が横浜に開いた「石川屋」{現開港記念会館}の貿易商となりその商店の角...  続きを読む倉で生まれたことにより当初「角蔵」と名づけられた。
    母が妹を生んだ後なくなりその葬儀が行われた長延寺(現オランダ領事館跡)に預けられ、そこで英語を学び フェノロサの弟子となった。
    誕生の地の碑を見たときはなぜここに?という疑問がありましたが こういうことだったのかと納得がいきました。  閉じる

    投稿日:2017/07/09

  • 横浜開港記念館のすぐ横に

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/06(約7年前)
    • 1

    岡倉天心と言えば東京美術学校の創立等、日本の美術史になくてはならない人ですが、横浜生まれとは知りませんでした。
    おまけに...  続きを読む亡くなったのは50歳。短い間に随分と功績を残されていあM酢。わが身を反省したくなりますね。
    碑は横浜開港記念館のすぐ横にあります。  閉じる

    投稿日:2017/06/20

  • 波乱万丈の人生を歩んだ人

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    みなとみらい線、日本大通りの駅をでたすぐの開港記念館の脇に碑がひっそりとありました。特に立ち止まる人もいないような歩道です...  続きを読む
    この付近で生まれたという事でした。
    東京藝術大学の設立に貢献した人でもあるそうです。

    この場所は昔から外国人も多くそのためか幼少のころから英語に親しんでいたので英語が堪能だったそうです。
    明治~大正の時代を生きた方だそうで、祖先は戦国時代の浅井長政の一門だったとか?

    ここへ行くまでまったく名前の知らない人でした。
    横浜もゆっくり歩くといろいろ目に留まり楽しいですね。  閉じる

    投稿日:2016/12/24

  • 横浜市開港記念会館のそばにあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/10(約8年前)
    • 0

    岡倉天心は明治時代~大正時代にかけて活躍した日本の文人であり、近代日本美術史学研究の開拓者であったそうです。その岡倉天心が...  続きを読む生まれたのが、横浜開港記念会館付近であり、そのことから横浜開港記念会館のすぐ脇に、岡倉天心生誕の地という碑が建立されたようです。  閉じる

    投稿日:2016/10/27

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