松尾芭蕉の句碑
名所・史跡
3.32
クチコミ・評判
1~20件(全26件中)
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投句箱も設置されています。
- 3.5
- 旅行時期:2022/10(約3年前)
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誰も気に留めない
- 2.5
- 旅行時期:2022/08(約3年前)
- 1
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句が刻まれた石碑があります。
- 4.0
- 旅行時期:2022/06(約4年前)
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芭蕉と弟子たちとの惜別の場
- 4.5
- 旅行時期:2022/01(約4年前)
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俳句ポストもありました
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
- 0
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「麦の穂を」の句碑
- 4.5
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 2
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京急沿線沿い
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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芭蕉が門弟達と別れた場所にある句碑
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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京急本線八丁畷駅が最寄り駅。
八丁畷駅西口から北東へ約110mのところにあります。
京急本線の線路沿いにある小さな小屋... 続きを読むの中に句碑が置かれています。
説明板によると、芭蕉は元禄7年(1694)、江戸深川を立ち、伊賀へ向かう途中に川崎宿で門弟達と別れたそうです。
その時詠んだ句が石碑に刻まれたもの。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
芭蕉の死後百三十余年後の文政13年(1830)8月、俳人一種は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のひとりに数えられた師の桜井梅室に筆を染めてもらい、この句碑を建てたそうです。
芭蕉の時代、川崎宿もこの辺りまで来ると人家はなくなり街道の両側は一面の田畑でのどけき風景であったようですが、今や街道のすぐ脇を鉄道が走り、車の往来も頻繁で、「わび」も「さび」もあったもんじゃありません。
ちょっと無粋な気がします。
閉じる投稿日:2021/10/25
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京急本線八丁畷駅近くにあります。
- 3.0
- 旅行時期:2021/01(約5年前)
- 0
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周囲を緑が取り囲んでいました
- 3.0
- 旅行時期:2020/07(約5年前)
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背後に京急電車が走る
- 3.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 0
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八丁畷駅が近いです
- 3.5
- 旅行時期:2019/07(約6年前)
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長崎へ旅立つときに門人たちとの別れを惜しんだ時に詠んだ句
- 3.0
- 旅行時期:2019/05(約7年前)
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伊賀に向かう芭蕉が別れを惜しんだ
- 3.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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芭蕉が門人たちとの別れの句を詠んだ場所
- 3.5
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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「麦の別れ」が刻まれています
- 3.5
- 旅行時期:2018/12(約7年前)
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芭蕉が江戸を離れた際、弟子たちとの別れをした茶屋の跡だそうです
- 4.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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大切に守られていました
- 4.0
- 旅行時期:2017/05(約9年前)
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川崎宿、京入り口から八丁畷へ向かう旧東海道を歩いていると八丁畷の駅が見えたところの右側(線路側)の一帯が綺麗に整備されてた... 続きを読むのですぐにわかりました。
(八丁畷駅からは徒歩1分程度)
松尾芭蕉が長崎へ旅立つとき、(1694年)芭蕉との別れを惜しむ江戸の門人の利牛、野坡、袋水は多摩川を渡り、川崎宿まで見送りにきて八丁畷の榎だんごという店で最後の別れをかわしました。この時、芭蕉が詠んだ句が「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。
松尾芭蕉って江戸末期の俳人だと思っていた私は大馬鹿ですが^^;この句を芭蕉が読んだ後、約130年後(1830年)に句碑をここに建立したというのがすごいです!それからさらに187年が経ちますが朽ちることなくここにあります。
駅からも近いのでぜひ! 閉じる投稿日:2017/05/06
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八丁畷駅の近く
- 4.0
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
- 2
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芭蕉最後の旅、門人達との別れの場
- 3.5
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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