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力石

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浅草

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力石 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11342503

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クチコミ 3ページ目(57件)

  • 本当に持ち上げたの?

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    江戸時代後期には酒樽や米俵などを持ち上げるのを競う事が流行いたが、大きな石を持ち上げる事も行われた。浅草寺に置かれている「...  続きを読む力石」は境内で行われた「力くらべ大会」で実際に持ち上げられた物です。「力石 熊遊の碑」は明治時代に熊次郎が持ち上げた石で370kと言うから驚きです。  閉じる

    投稿日:2016/12/22

  • 「力くらべ」に使った重い石

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    浅草寺の本堂の西側、小さなお堂や祠、石碑などが立ち並ぶ一角にありました。
    江戸時代に流行した「力くらべ」に使った重い石が...  続きを読む並んでいました。
    今でも各地の神社やお寺で見ることができますが、大勢の人が集まる浅草寺ではさぞや盛り上がったことでしょう。
    一番重い石は百貫あったとか、約375キロ!! 唖然とするしかありません。   閉じる

    投稿日:2016/12/20

  • 力くらべ大会

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/03(約8年前)
    • 0

    浅草寺には、様々な碑や銅像が建てられています。そのうちの一つである「力石」は淡島堂の近くにある「新奥山」の一角にあります。...  続きを読む江戸時代後期に境内で行われた「力くらべ大会」に使用した石で、こちらの力石は約375キロもあるということです。本当だったら驚きです。  閉じる

    投稿日:2016/05/11

  • 熊次郎さんは怪力の持ち主でした

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/12(約8年前)
    • 0

    都内最古の寺院で知られ国内外からの参拝客が多い「浅草寺」があります。境内にはたくさんの碑や名所が残されています。境内を散策...  続きを読むしていてみつけたのが「力石」です。江戸時代から明治時代にかけ娯楽が少なく力仕事が多い時代だったことから力試しが盛んだったようです。。地方によって様々な形の石があるようですが、ここ浅草寺の力石は記念の【熊遊・くまゆう】碑です。案内板には明治7年に熊次郎さんと言う男性が持ち上げた、約375kgもある巨石を石碑にしたとのと。怪力の持ち主だったのですね。
      閉じる

    投稿日:2016/02/17

  • 重さ百貫

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/10(約9年前)
    • 0

    江戸時代には力比べが流行していたそうです。米俵や、酒樽を持上あげて、曲芸のようにして競い合っていたそうです。ここにある石は...  続きを読む「さし石」とも呼ばれて、境内でおこなわれた力くらべ大会で、競い合い持ち上げられました。百貫ほどもある力石です。  閉じる

    投稿日:2015/10/28

  • 力試し

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/07(約9年前)
    • 0

    浅草寺の本堂の西側にある新奥山という所にあります。力石とは力試しに用いられた大きな石のことで、江戸時代後期に酒屋、米屋の人...  続きを読む足たちの間で酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、力を競うことが流行したそうです。  閉じる

    投稿日:2015/10/12

  • 力くらべ大会

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/06(約9年前)
    • 0

    浅草寺の境内にある「新奥山」というエリアに、この力石があります。江戸後期に酒屋や米屋の人足たちの間で、酒樽や米俵を曲芸のよ...  続きを読むうに持ち上げて、その力を競うことが流行したそうで、この力石は境内で行われた「力くらべ大会」で競い持ち上げられたものだそうです。

    この石は、明治7年(1874年)熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375キロ)ほどの力石であり、新門辰五郎(しんもんたつごろう)らがその記念として建てたそうです。

    幕末の歴史の中で目にしたことのある名前、新門辰五郎さん、ここに登場ー。京都で山本角馬さんにいろいろ援助されてた方ですよねー。  閉じる

    投稿日:2015/07/26

  • この石そのもの。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/03(約9年前)
    • 0

    浅草寺の境内の西のはずれに塚や石碑などが集まっているエリアにある史跡の一つで、江戸時代末期に力自慢の人足たちが重いものを持...  続きを読むち上げるのを競う大会の際に使われた石でその時に優勝した熊治という男をたたえて作られた記念碑。この石だけでなく足元に敷き詰められた石も大きい石で良い感じの石碑です。今も昔も人の考えることは似たり寄ったりであることがよくわかるところです。  閉じる

    投稿日:2015/03/04

  • これだけの石を持ち上げたとは

    • 4.0
    • 旅行時期:2015/01(約9年前)
    • 0

    多くの観光客が集まる東京を代表する観光地、浅草・浅草寺境内にある史蹟のひとつ。かつて江戸後期に酒屋や米屋が重いものを持ち上...  続きを読むげる力比べをしたときに用いられていた石だそうです。実際に熊次郎という人物がこの石を持ち上げたと伝えられています。
      閉じる

    投稿日:2015/10/07

  • 力くらべに使われた石

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/12(約9年前)
    • 0

    「力石」とは昔、力くらべのために持ち上げて競った石ですが、浅草にあるのは浅草境内で行われた力くらべの際に使用された石のよう...  続きを読むです。意外と大きく、かなり重そうな石です。あまり目立たない場所にあるため、見落としがちですのでご注意を。  閉じる

    投稿日:2015/01/17

  • 力くらべの石

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/11(約10年前)
    • 0

    江戸時代に流行した力くらべに使用した石だそうです。
    浅草寺の境内をぐるっと一周、まわっていたら偶然、見つけました。
    丸い大...  続きを読むきな石でポツンと置いてありました。
    この場所は観光客がほとんどいなくて街灯もないので、夕方は気を付けた方がいいと思います。
      閉じる

    投稿日:2014/12/10

  • 浅草寺の西端にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    花やしきの側から浅草寺の境内に入り、右手に数々の史跡が並んでいる一画にあります。
    夜の散歩で通りかかったのですが、照明も...  続きを読む無く真っ暗だったので翌朝再訪しました。一瞬お墓かと思うような外観でしたが、緑に囲まれたその脇に「力石」の木製看板がありました。
      閉じる

    投稿日:2014/09/14

  • 江戸時代の「力くらべ大会」の名残

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/04(約10年前)
    • 0

    浅草寺の本堂向かって左手、戸田茂睡墓のそばにある丸い石です。
    正面に建つ大きな石の他、その周囲に転がっている石にも文字が...  続きを読む刻まれ、それぞれが江戸時代の「力くらべ大会」で持ち上げられた歴史を伝えています。
    (正面に建つ石には「熊遊」と刻まれ、熊次郎という男が持ち上げた百貫(約400キロ)の重さの力石とのこと)
    周囲の史跡と一緒に見ていくくらいでいいでしょう。  閉じる

    投稿日:2014/04/16

  • 力自慢が持ち上げた石。

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/04(約10年前)
    • 0

    浅草寺境内の中を散策しているときに見つけた力石。立て看板を見たら、説明が書いてありました。江戸時代後期には力自慢がはやった...  続きを読むようです。
    この石は明治7年に「力くらべ大会」が行われ、力自慢が持ち上げた石とありました。1貫(375?)あるそうです。
    昔も色々工夫した庶民の楽しみがあったのですね。
    浅草寺の境内はゆっくり歩くと、色々発見があります。  閉じる

    投稿日:2014/04/09

  • 江戸時代の娯楽

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/02(約10年前)
    • 0

    力石はさし石とも言うらしいですが、江戸後期に酒屋や米屋の人達の間で、酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが...  続きを読む流行したらしいです。
    流行にあやかって?、この力石は、境内で行われた力くらべ大会で使われた石らしいですが、江戸時代の庶民の娯楽を伝える面白い展示?です…  閉じる

    投稿日:2014/06/11

  • 力くらべに使われた百貫の石

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/02(約10年前)
    • 3

    江戸後期、酒屋・米屋の人達の間で酒樽や米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが流行した、この力石は、力くらべ大会で...  続きを読む競い持ち上げられたもの、明治7年(1874年)に熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375キロ)程の力石、力石は浅草寺観音堂(本堂)の西側、奥山門のそばにある  閉じる

    投稿日:2014/03/24

  • 375kgの石を一人で持ち上げた?

    • 3.0
    • 旅行時期:2012/11(約12年前)
    • 0

     浅草寺境内の西側、新奥山にあります。
     力石はさし石とも呼ばれます。江戸時代後期に、酒屋や米屋の人足たちの間で、酒樽や...  続きを読む米俵を曲芸のように持ち上げて、その力を競うことが流行したそうです。
     ここにある力石は、そうした人たちが、浅草寺の境内で行われた力くらべ大会で競って持ち上げられたものだそうです。
     中央の、力石・熊遊の碑は、明治7年(1874年)に熊次郎という男が持ち上げた百貫(約375kg)の力石で、新門辰五郎らがその記念として建てたものです。  閉じる

    投稿日:2014/02/28

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