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藤代町跡

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藤代町跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

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クチコミ・評判 2ページ目

21~37件(全37件中)

  • 説明板が立っていますが・・・

    • 2.0
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    両国橋のたもとに立つ表忠碑の裏に説明板のみが立っています。説明板が立っている付近の旧名です。開墾し支配していた藤左衛門の土...  続きを読む地を幕府が召し上げ、代わりにこの周辺の土地を賜ったことから名付けられたとのことです。かなり賑やかな場所だったようですが、その面影はありません。なぜこの説明板が立っているのかよくわかりませんでした。  閉じる

    投稿日:2017/10/20

  • 江戸時代のこの辺りの様子がわかります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/10(約8年前)
    • 0

    両国橋の東詰、南側にある両国橋際児童遊園の南東裏手に、3枚の高札が建てられています。その一枚がこの藤代町跡の高札です。両国...  続きを読む橋の東詰、北側にあった藤代町の由来が書かれていました。当時は相撲が行われていた回向院や、向島に通じる通りであったことから、賑やかな場所だったようですが、現在は、両国橋を渡る車や自転者がスピードを出して通過していきます。当時の風景が少し想像しにくいです。  閉じる

    投稿日:2017/10/09

  • 地図付きでわかりやすい説明板☆

    • 3.5
    • 旅行時期:2017/05(約9年前)
    • 0

    何度か訪問している両国界隈ですが、まだまだ見逃がしているスポットがある!ということで、馬喰町のホテルに宿泊した翌日、「両国...  続きを読む橋」を渡って散策してきました。
    行きは気づかなかったのですが、帰りに何とか「表忠碑」の奥にいくつかの説明板を発見!そのうちの一つがこちらの「藤代町跡」です。
    ちゃんと地図が併記されているので、当時の周辺の様子がよくわかります。
    多分、地図がついていなかったら、「微妙・・」と思ったかもしれませんが、地図のおかげでわかりやすく参考になったので、ポイントアップです。
      閉じる

    投稿日:2017/12/05

  • 藤左衛門が代わりに賜った

    • 4.0
    • 旅行時期:2017/02(約9年前)
    • 0

    武蔵国と下総国両国の間を流れる隅田川に架かる両国橋の袂にある児童公園内に立てられている高札型案内板によると、この辺りのかつ...  続きを読むての町名で、麹町に住んでいた毛利藤左衛門が開墾した入り堀を、幕府に召し上げられその代わりにこの地を賜ったので、藤左衛門が代わりに賜ったことから藤代町と呼ばれたそうです。
    両国物語通しナンバー20の江戸の歴史や文化を散策巡り歩く方には、墨田区が設置した高札型案内板が大変役に立ちますので、両国江戸norenで観光マップを入手をお勧めします。  閉じる

    投稿日:2019/02/16

  • 面白い歴史がありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/01(約9年前)
    • 0

    両国駅から徒歩5分ほど、京葉道路の南側の両国橋のすぐそばに3つの案内板が固まって設置されていますが、そのうちの一つがこの藤...  続きを読む代町跡の案内板になります。案内板によりますと、その由来は享保年間に西葛西領猿江村を開拓した毛利藤左衛門が、その土地を幕府に召し上げられた際に、交換で与えられた土地が両国のこの辺りで、藤左衛門が交換で賜った土地である事から藤代町と名付けられたとのことです。現在では藤代町の名前は無くなっているようですね。どのくらいの敷地面積同士で交換したのかはわかりませんが、西葛西と両国の土地だと明らかに両国の方がいいのに、と勝手に思ってしまいました。なかなか面白い歴史が知れて良かったです。  閉じる

    投稿日:2017/01/15

  • 自分が開拓した土地を幕府に召し上げられて

    • 3.5
    • 旅行時期:2016/12(約9年前)
    • 0

    藤代町跡は、駒札が建っているだけのスポットです。
    説明によれば、享保年間に紀伊生まれで麹町に住んでいた毛利藤左衛門が自分...  続きを読むが開拓した土地を幕府に召し上げられて、代わりにこの土地を賜ったそう。本所の入口ふさわしいかなりの繁華街だったようです。
    江戸時代も引き続き開拓が行われていたのは、活力がある江戸の街の証でしょう。興味の惹かれる逸話です。  閉じる

    投稿日:2017/10/18

  • 両国橋の東側の国道14号線から1本目の南下できる道を、南下して少し行くと、右側に3枚ずつ墨田区が設置した木製の高札が並んで...  続きを読むいる場所が2箇所あり、こちらの高札は2箇所のうち国道14号線から近い方のうちの1枚です。藤代町とはかつてあった町名でかなりの繁華街だったようです。現在の様子からは想像もできませんでした。  閉じる

    投稿日:2016/07/20

  • かつての繁華街

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    隅田川にかかる両国橋の東側には史跡をたどることができる案内板がいくつもあり、散策の楽しいエリアです。こちらの藤代町跡の案内...  続きを読む板もそのひとつ。

    紀伊生まれの毛利藤左衛門は自分の支配地を幕府に召し上げられて、代わりにこの土地を賜ったそうで、藤左衛門が代わりに賜ったので藤代町なんだそう。商家が軒を並べかなり賑やかな繁華街だったそうです。

      閉じる

    投稿日:2016/06/04

  • かつての繁華街

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/03(約10年前)
    • 0

    隅田川に架かる両国橋の東側のたもとには、石碑や観光スポットの案内看板、史跡の高札スタイルの説明ボードなどが沢山集まって立っ...  続きを読むていますが、その中に藤代町の高札もあります。江戸時代に猿江村を開墾した毛利藤衛門が幕府からの土地召し上げに変わる場所として与えられたのがこの地で、氏の名前をとって藤代町となった場所。向島や回向院に通じる要所だったため、かなり賑やかな場所だったようです。現在も城東エリアでも屈指の京葉道路が通っていたり、首都高速向島線が通っていたりと交通の要所になっており、姿かたちは変われど賑やかな場所です。当時の雰囲気ははまったくないです。  閉じる

    投稿日:2016/03/24

  • かつての繁華街

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/10(約10年前)
    • 0

    両国橋を墨田区側に渡ったらすぐに右側に進んで行くと高札が建てられています。毛利藤左衛門という人が自分の土地を開墾しましが、...  続きを読む幕府の貯木場として召し上げられ、その代わりにこの土地を賜ったので、藤左衛門が代りに賜ったとから藤代町と呼ばたそうです。
      閉じる

    投稿日:2015/11/19

  • 繁華街だった藤代町

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/09(約10年前)
    • 0

    両国橋のたもと近くにありました。「駒留橋跡」と「片葉の葦」の高札と並んでフェンス沿いに立っています。藤代町とはかつてあった...  続きを読む町の名前だそう。毛利藤左衛門が代替地として賜ったことが町名の由来。本所の入口であるこの地は賑やかな繁華街だったそうです。  閉じる

    投稿日:2015/10/19

  • いわれと古地図の案内板を読んでみる。

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    墨田区は観光者用に町のあちこちに、過去の歴史の道しるべとして立て看板を立てている。
    両国橋のたもとにもいくつかあり、この...  続きを読む「藤代町跡地」の案内も立っていた。

    立て看板には町名のいわれと古地図が記載されているので、それを見るのも面白い。  閉じる

    投稿日:2015/02/18

  • 本所の入口の盛り場の名残り

    • 2.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    両国橋東詰の南側、元の両国広小路だったあたりの昔の町名。
    いまでは、他の多くの高札と並んで、由緒、来歴だけが記された高札...  続きを読むがたっているだけ。
    それによると、この場所は回向院や向島に通じる交通の要であり、本所の入口にもあたるため、かなりの賑わいを見せていたという。  閉じる

    投稿日:2015/02/17

  • 藤左衛門が代替地としてもらった処

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    JR両国駅の南西、両国橋の東詰の南側の道路横にこちらの立札がある。立札は他の2つとともにフェンスに縛り付けられている。平日...  続きを読む午後、前の道路は自動車や歩行者は少なく、周りは静かであった。立札のみなので観光要素は少ないが、江戸時代、毛利藤左衛門は所有して土地を政府に召し上げられ、その代替地としてこの付近の土地を与えられことから、この界隈を藤代町と呼ばれ賑わっていた。特に江戸時代やこの界隈に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2015/02/17

  • 両国橋の東のエリアです

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    現在の両国橋の東のエリアは、かつて藤代町と呼ばれていたそうで、案内の立札が設置されています。歴史好きな人にとっては興味深い...  続きを読むのかも知れませんが、私にはあまりピンとこない史跡表示で、隅田川の光景のほうがはるかに印象に残っています。
      閉じる

    投稿日:2014/11/18

  • 藤左衛門が、代わりに賜ったことから「藤代町」

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    自分の支配地の西葛西領猿江村の入り堀二万五千坪を自費で開墾、「毛利新田」を作り上げた毛利藤左衛門。しかし幕府は貯木場として...  続きを読む土地を残らずお召し上げ。その代償として藤左衛門が、代わりに賜ったのがこの両国橋周辺だそうで、「藤代町」と呼ばれました。  閉じる

    投稿日:2014/09/27

  • 藤左衛門の代地で藤代町だそうです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/02(約12年前)
    • 0

    両国駅から歩いて5分位で到着。
    両国橋の手前の交差点の角、鉄柵に立て札が結び付けてあります。
    当時、紀伊から移住した毛...  続きを読む利藤左衛門が新田を開拓し、それが幕府に接収された時に代地として与えられた場所とのこと。
    (藤左衛門に与えられた代地ということで藤代町という名が付いたそうです)
    狭い敷地ですが、オランダから献上された象の飼育や見世物に使われていたなど、隠れた裏話があります。
    周辺の散策ついでに見ていく程度で十分でしょう。  閉じる

    投稿日:2014/02/25

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基本情報(地図・住所)

施設名
藤代町跡
住所
  • 東京都墨田区両国1
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
giani さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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