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文塚

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文塚 https://4travel.jp/dm_shisetsu/11333641

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施設情報

施設名
文塚
住所
  • 高槻市古曽部町3.
アクセス
古曽部台バス停より徒歩5分
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(6件)

高槻・島本 観光 満足度ランキング 60位
3.23
アクセス:
3.00
JR高槻駅北口から北に徒歩15分 by teratanichoさん
人混みの少なさ:
4.00
バリアフリー:
2.30
見ごたえ:
2.90
  • 畑の端っこに。

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/11(約2年前)
    • 0

    畑の片隅にあります。歴史街道の町歩きコースの看板にも、目的地のひとつとして書かれているところですが、あまりに存在感がないで...  続きを読むす。がしかし、それが逆にリアルだなと感じさせられました。後の世にこの場所を畑にしたとき、移設などせずありのまま残してくれた人に感謝です。  閉じる

    投稿日:2022/11/26

  • 能因法師が吟稿を埋めたところ

    • 3.0
    • 旅行時期:2020/06(約4年前)
    • 0

    文塚は死期を迎えた平安時代中期の歌人・能因法師が吟稿(和歌の原稿)を埋めたとされる場所です。古曽部の畑の中に塚がありました...  続きを読む。となりには説明板と、人の形に彫った石がありました。近くには能因法師の古墳もあります。のんびり散策にぴったり。ただ暑い日は熱中症に注意です。飲み物の自販機などは近くにはありませんでした。  閉じる

    投稿日:2020/06/27

  • 文塚は、死期を迎えた能因法師が和歌の原稿を埋めたとされる場所。ちなみに、能因法師は平安時代中期の歌人で、三十六歌仙の一人。...  続きを読む近くには「能因塚」、「不老水」などほかにも能因法師ゆかりの史跡がいくつか残っています。
    文塚は、集落の通りから、田んぼの中のようなところに降りて行くのですが、駒札も建っているので、それが見つける時の目印になると思います。  閉じる

    投稿日:2017/08/02

  • 文学の里古曽部にある文を埋めた塚

    • 2.5
    • 旅行時期:2016/12(約7年前)
    • 0

    平安時代の三十六歌仙の一人能因法師が死期を悟り、晩年を拠点とした古曽部の地に自作の和歌の草稿を埋めたとされる場所がこの文塚...  続きを読む。JR高槻駅北口から徒歩15分程の住宅街の間の畑にある、近くには能因法師塚、伊勢寺、花の井、不老水など能因法師に関係の遺跡があり高槻の歴史の散歩道にもなっています。高槻駅から近い所にこんな歴史の遺物があるなんて。  閉じる

    投稿日:2017/04/03

  • 畑と家の裏の間にあります

    • 2.5
    • 旅行時期:2014/03(約10年前)
    • 0

    死期を迎えた平安時代中期の歌人・能因法師が、
    吟稿(和歌の原稿)を埋めたとされる場所です。
    「不老水」の近くの畑と家の...  続きを読む裏手の間にあります。

    小倉百人一首
    あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
    69番:「後拾遺集」秋・366

    上記の歌が小倉百人一首に編まれています。

    この辺りは古くからの人が住んでいたので、
    道が入り組んでいます。
    あちこちに歴史の散歩ルートの標識がありますが、
    分かりにくいです。  閉じる

    投稿日:2014/03/16

  • 「文塚(ふみづか)」は死期を迎えた平安時代中期の歌人・能因(のういん、988−1050年)が吟稿(和歌の原稿)を埋めたとさ...  続きを読むれる場所。
    能因(のういん)は、平安時代中期の僧・歌人で俗名は橘永�祥(たちばなのながやす)、中古三十六歌仙の一人。
    現代の文章博士にあたる文章生(もんじょうのしょう)になったが1013年出家し、摂津国古曽部(高槻市古曽部)に居住し古曽部入道と称した。藤原長能(ふじわら の ながよし、949−1009年頃)に師事しており、甲斐国や陸奥国などを旅し多くの和歌を残した。
    『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に65首が入集しており、小倉百人一首
    あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
    で知られる。
    「文塚」には『文塚』と彫られた石柱標識の右側に、能因法師の姿ではないかとされる仏像の彫刻のある石像、擬宝珠形の石、球形の石などが置かれていた。塚を造ったのは1849年、山藤辰政 (たつまさ)とされており、能因法師没後約800年後の築造となる。
      閉じる

    投稿日:2013/03/21

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