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文塚

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能因が和歌の原稿を埋めたとされる場所の「文塚(ふみづか)」

  • 3.5
  • 旅行時期:2012/03(約14年前)
さすらいおじさんさん

by さすらいおじさんさん(男性)

高槻・島本 クチコミ:45件

「文塚(ふみづか)」は死期を迎えた平安時代中期の歌人・能因(のういん、988−1050年)が吟稿(和歌の原稿)を埋めたとされる場所。
能因(のういん)は、平安時代中期の僧・歌人で俗名は橘永�祥(たちばなのながやす)、中古三十六歌仙の一人。
現代の文章博士にあたる文章生(もんじょうのしょう)になったが1013年出家し、摂津国古曽部(高槻市古曽部)に居住し古曽部入道と称した。藤原長能(ふじわら の ながよし、949−1009年頃)に師事しており、甲斐国や陸奥国などを旅し多くの和歌を残した。
『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に65首が入集しており、小倉百人一首
あらし吹く み室の山の もみぢばは 竜田の川の 錦なりけり
で知られる。
「文塚」には『文塚』と彫られた石柱標識の右側に、能因法師の姿ではないかとされる仏像の彫刻のある石像、擬宝珠形の石、球形の石などが置かれていた。塚を造ったのは1849年、山藤辰政 (たつまさ)とされており、能因法師没後約800年後の築造となる。

施設の満足度

3.5

アクセス:
3.5
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
3.5
見ごたえ:
3.5

クチコミ投稿日:2013/03/21

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