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夜半亭 (与謝蕪村旧居跡)

名所・史跡

夜半亭 (与謝蕪村旧居跡) クチコミ・アクセス・周辺情報

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  • 満足度の高いクチコミ

    夜半亭 (与謝蕪村旧居跡)

    4.0

    日本橋にある夜半亭 (与謝蕪村旧居跡)。 多くの門弟が出入りしていましたが、なかでも「宰町」と号していた若き与謝蕪村(1...  続きを読む716~83)は内弟子として居住し、日本橋のこの地で俳諧の修行に励んだと看板に記されている。 蕪村の絵は重要文化財に指定されたほどすばらしい。 また、この一帯は立て看板が多くあり、横にも石町時の鐘 鐘撞堂跡もある。  閉じる

クチコミ・評判 2ページ目

21~37件(全38件中)

  • 時の鐘のすぐそばに案内板が立つ。

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/03(約9年前)
    • 0

    神田方向から中央通りを日本橋に向かって歩き(道の左側)少しだけ左に入ったところでにこの案内板を見ました。
    「石町時の鐘」...  続きを読むが道の入り口にあり、そのすぐ先です。
    室町三丁目信号と四丁目信号の間です。
    今はビル横の植え込みの中に案内板が立っています。

    与謝蕪村の俳諧の師が、近くにあった「時の鐘」のそばに住居を構え、そこに「夜畔亭」と名を付けた由。
    その弟子達がここに集い、師亡き後は蕪村がその二代目を継いだとのこと。

    今はビルに囲まれたこの地も、かつては時の鐘が鳴り、俳諧を楽しむ人に良い題材を与える自然があったと言うことなのですね。

    いろいろ想像すると興味深いです。

      閉じる

    投稿日:2017/03/14

  • 神田近くの案内板

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/10(約9年前)
    • 0

    夜半亭は江戸時代の俳諧の一派です。その名前は初代の早野巴人が夜半亭宋阿と名乗ったことによりますが、この場所は与謝蕪村住居跡...  続きを読むとあります…
    与謝蕪村は夜半亭の二世だったことから、ここに住んでいたようです。
    生誕の地碑は大阪で、終焉の碑を京都で見かけましたが、この神田で、与謝蕪村の人生の碑を見かけるとは思わず、コンプリートした気分です…  閉じる

    投稿日:2016/11/06

  • 与謝蕪村が居住し修行に励んだそうです

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/05(約10年前)
    • 0

    江戸通りと中央通りが交差する室町3丁目交差点で中央通りを北に行き、みなと銀行の手前でひとつ目の右折できる道を入ったところに...  続きを読む、まず石町時の鐘 鐘撞堂跡の説明板があり、その奥にこちらの夜半亭(与謝蕪村旧居跡)の説明板があります。早野巴人が結んだ庵がこちらにありそこに与謝蕪村は居住し修行に励んだそうです。芭蕉関連のものは都内を歩いていてもたまに見かけますが、蕪村に関してのものは初めて見ることができたのが良かったです。  閉じる

    投稿日:2016/05/10

  •  ここは、1737年に俳諧師早野巴人が、結んだ庵のあったところで、内弟子だった与謝蕪村が、居住し俳諧の修行に励んた とのこ...  続きを読むとです。
     今は、説明板が立ててあるのみで、当時の名残などは何も見当りませんでした。
     場所は、JR新日本橋駅の出入口4を出たところの一本北 (背中) 側の脇道を入ってところです。
     なお、この説明板は、石町時の鐘 鐘撞堂跡 の説明板と並んでいます。  閉じる

    投稿日:2015/10/14

  • 与謝蕪村旧居跡

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/07(約10年前)
    • 0

    JR新日本橋駅を出てすぐのところにありました。現在は、案内板があるのみで当時を物語るものはありません。夜半亭は、元文2年(...  続きを読む1737年)俳諧師早野巴人が「石町時の鐘」のほとりに結んだ庵で、若き与謝蕪村は内弟子としてこの地に居住し、俳諧の修行に励んだようです。  閉じる

    投稿日:2015/07/29

  • 与謝蕪村のゆかりです。

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    与謝蕪村は、江戸時代の俳諧のグル―プ、夜半亭に属していました。多くの、門下生がいたそうです。現在は、当時の特徴や名残は、残...  続きを読む念ですが、全くないです。事前に場所を確認して下さい、簡単ですが、記念碑がありますので、読むとおもしろいです。  閉じる

    投稿日:2015/07/04

  • 時の鐘の近くにあったそうです

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    与謝野蕪村の旧居と言うよりは、師匠に当たる俳人、早野巴人が、石町の時の鐘のほとりにと立てた庵があった場所です。与謝野蕪村を...  続きを読む多くの俳人がここを訪れたそうです。現在は、オフィスビルが建ち並び、どこにも名残はありません。  閉じる

    投稿日:2015/08/29

  • 早野巴人が創始

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    中央通りを上野方面に進んで行き、新日本橋の駅を越えたらすぐ右側にあります。1737年に早野巴人が石町時の鐘のほとりに結んだ...  続きを読む庵で、蕪村は内弟子として居住し、俳諧の修行に勤しんだ場所です。石町時の鐘の説明板も隣にあります。  閉じる

    投稿日:2015/06/09

  • 「石町時の鐘」の隣に

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    JR新日本橋駅から歩いてすぐ。
    「石町時の鐘」の説明板のすぐ隣に説明板が設置されています。

    夜半亭とは江戸時代の俳諧の一...  続きを読む派であり、与謝蕪村はその二世でした。
    旧居とあるように現在では説明板があるのみ。特段見るべきほどのものではありません。  閉じる

    投稿日:2015/04/23

  • ビルの側面に説明板がある

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/01(約11年前)
    • 0

    JR新日本橋駅の北、中央通りの横にある。中央通りの交差点から1本北側の細い道路にこちらの説明板が立っている。説明板は黒色の...  続きを読む背景に、絵とともに解説されている。説明板のみなので観光要素は少ないが、夜半亭は俳諧師早野巴人が構えた庵で、多くの門弟の一人であった与謝蕪村が内弟子として居住した。特に与謝蕪村やこの界隈に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2015/02/18

  • 面影はありません

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    春の海、のたりのたり・・・で有名な江戸の俳人、与謝蕪村の旧居があった場所だそうです。
    ただ、今となっては立て看板が残るの...  続きを読むみで旧居自体が保存されているわけではなく、こんなところで暮らしていたのかという感慨だけがありました。  閉じる

    投稿日:2015/01/14

  • 与謝蕪村も内弟子だった俳諧の一門です

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    JR新日本橋駅から歩いて数分、「時の鐘通り」と看板のある細い路地の奥の植え込みに立て札があります。
    江戸時代、俳諧師・早...  続きを読む野巴人が「石町時の鐘」の近くに作った俳諧の塾で、かの与謝蕪村も内弟子として居住していたとのこと。
    (巴人が亡くなった後に夜半亭一門は解散し、蕪村は京都を永住の地と定めたそうです)
    立て札以外に特に見どころはないので、近隣散策のついでにでも見ていけば十分と思います。  閉じる

    投稿日:2014/12/08

  • 江戸時代の俳諧の一派

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/06(約12年前)
    • 0

    夜半亭は、江戸時代の俳諧の一派、早野巴人(はやのはじん)が構えた住居。そこには、門弟が何人も通っていて、その中に、絵画でも...  続きを読む有名となった与謝蕪村がいたのだそうです。案内板があって、そうした説明が書かれていました。  閉じる

    投稿日:2014/06/04

  • 新日本橋の駅の近くに説明版だけがあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/12(約12年前)
    • 0

    夜半亭というのは、江戸時代にあった俳諧の一派だそうです。一代目の早野巴人が晩年の元1737年江戸日本橋本石町に夜半亭を構え...  続きを読む夜半亭宋阿と名乗ったことが由来のようです。そのあと、弟子であった蕪村が宋阿の死後、継承し、この場所に住んでいたそうです。  閉じる

    投稿日:2014/01/03

  • 二つの説明板が並んでいます

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/12(約12年前)
    • 0

    日本橋室町、JR新日本橋駅の出口を出てすぐの場所に「石町時の鐘 鐘撞堂跡」の説明板と並ぶように設置されています。
    与謝蕪...  続きを読む村が若い頃に過ごした「夜半亭」があった場所とのことです。
    イラストも記された説明板が、ちょっとユニークでした。  閉じる

    投稿日:2014/01/02

  • 二代目だそうです!!

    • 3.0
    • 旅行時期:2013/06(約13年前)
    • 0

    JR新日本橋駅からほど近い場所にある碑で、近くには石町時の鐘の碑もあります。

    夜半亭とは俳諧の一派だそうで、与謝蕪村...  続きを読むはその二代目になるそうです、
    与謝蕪村と言う名前は京都に移住してから名乗ったそうです。
    現在はビルの谷間に碑があるだけです。

      閉じる

    投稿日:2013/07/04

  • 与謝蕪村

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/05(約13年前)
    • 0

    与謝蕪村が居住していた夜半亭の跡地であるというプレートがたっています。日本橋近辺には、このような跡地などのプレートが多くあ...  続きを読むって、時代をしのばせます。また同様に、ここが歴史上で、そんな場所だったんだという驚きと楽しさをかんじます。  閉じる

    投稿日:2014/03/30

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基本情報(地図・住所)

施設名
夜半亭 (与謝蕪村旧居跡)
住所
  • 東京都中央区日本橋室町4-5-1
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
giani さん

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