【一部公開】横井小楠記念館(四時軒)
美術館・博物館
3.30
【一部公開】横井小楠記念館(四時軒) クチコミ・アクセス・周辺情報
熊本市の東はずれ、秋津町沼山津にある横井小楠の住居。小楠は安政2年(1855)から明治元年(1868)維新政府に招かれて上京するまで、福井藩に招かれていた間を除く前後8年をここで暮らした。その間、塾を構えて門弟の指導にあたり、幕末の志士、坂本龍馬らも訪ねて来ている。ここから眺める景観が四季折々素晴らしいことから、四時軒の名が付いたとされている。昔のままの姿を残す座敷を中心に、昭和57年(1982)記念館とともに復元され、小楠ゆかりの資料が展示されている。
ピックアップ クチコミ
-
満足度の高いクチコミ
運も含めて歴史で事をなすための何かが足りなかったような気もします
4.0
- 旅行時期 2024/09
- by たびたびさん
横井小楠記念館は、健軍町の電停から歩きました。けっこう遠いです。 小楠は熊本の誇る郷土の偉人。記念館はかなり立派で、隣り... 続きを読むには、小楠の私塾だった四時軒も保存(復元?)されています。 勝海舟が「今まで会った人間の中で二人恐ろしい人物を見た。それは横井小楠と西郷隆盛だ」と評したというところから始まって、藩校時習館で訓話的朱子学を批判し、実践を説いたとか。松平春嶽に招かれて藩政改革に携わったりと先鋭的な活動が紹介されていました。 ちなみに、坂本龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候」は、文久3年(1863年)、姉の乙女あてに送った手紙の一節で有名な言葉ですが、この洗濯というのは小楠の口癖だったよう。龍馬はこの手紙の1か月前に小楠と福井で会っていて、小楠の洗濯を聞いていたのかもしれないと紹介されていました。なお、1864~1865年、龍馬は四時軒で小楠に三度会っていて、海軍創設の相談とかもしています。 ただ、敢えて言えば、その能力や信念は少し空回りしたという面も否めなくはない。藩内で実践を説いた姿を早々してもどうかすると鼻持ちならない一面もあったのではないかという感じ。ちょっと酷ですが、運も含めて歴史で事をなすための何かが足りなかったような気もします。 閉じる
クチコミ・評判
3.3
(4件のクチコミ)- アクセス:
- 3.00
- コストパフォーマンス:
- 3.83
- 人混みの少なさ:
- 4.33
- 展示内容:
- 3.75
- バリアフリー:
- 3.50
1~3件(全4件中)
-
秋津川沿いにある癒しの空間
- 5.0
- 旅行時期:2015/03(約11年前)
- 0
-
坂本龍馬も訪れた場所!
- 4.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
- 0
-
横井小楠の邸宅
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
- 0
1件目~3件目を表示(全4件中)
基本情報(地図・アクセス・営業時間)
このスポットに関するQ&A(0件)
【一部公開】横井小楠記念館(四時軒)について質問してみよう!
熊本市に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
たびたびさん
-
ぽにょんさん
-
bluejaysさん
-
chickadyさん