施設情報
1281年(弘安4年)、4万もの蒙古東路軍が対馬を襲い、次いで壱岐に攻め込んできた。二度目の襲来、弘安の役である。北西部海岸(瀬戸浦)と勝本から上陸した元軍を迎え撃ったのが、当時の壱岐守護代、弱冠19歳の少弐資時であった。船匿城に居た資時は、わずかな軍勢で激戦を繰り広げたが全滅したと言われている。少貳公園の松林の中に資時の墓がある。展望台の近くには防人の烽火台や、弘安の役の碇石がある。周辺にはキャンプ場や遊歩道もある。
クチコミ(6件)
- 壱岐 観光 満足度ランキング 38位
- 3.3
- アクセス:
- 3.00
- 人混みの少なさ:
- 4.75
- バリアフリー:
- 2.00
- 見ごたえ:
- 3.50
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墓碑はなく、石組みがありました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約2年前)
- 0
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白壁に囲まれていました。
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約2年前)
- 0
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何か催されていました
- 3.0
- 旅行時期:2022/04(約2年前)
- 0
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壱岐神社の北側、少し登った小高い所にありました
- 3.5
- 旅行時期:2019/06(約5年前)
- 0
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元寇の古戦場
- 3.0
- 旅行時期:2016/11(約8年前)
- 0
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元寇時代の墓が残っていたなんて
- 3.0
- 旅行時期:2009/07(約15年前)
- 0
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このスポットに関するQ&A(0件)
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