元寇時代の墓が残っていたなんて
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- 旅行時期:2009/07(約16年前)
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by amaroさん(男性)
壱岐 クチコミ:12件
壱岐を訪れた動機の一つに元寇の痕跡をたどることでした。元寇といえば博多の上陸戦のことばかりが描かれますが、対馬、壱岐、鷹島と島伝いに戦いが繰り広げられ、住民を含む多くの死者が出ているのです。そこで、壱岐でまず訪れたのは島の東部にある少弐公園でした。中でも見どころは、19歳で壱岐守護代を務め、1281年の元寇の弘安の役で戦死した少弐資時の墓でした。墓といっても立派なものではなく、石が無造作に積まれたがれきの山のようでもありました。地元ではそれなりの言い伝えがあったそうですが、確認されたのは弘安の役から600年以上たった1898年だったそうです。源頼朝が武家による政権をつくって100年もたたない時代、他国の侵略という初めての事態を前に武家がどんな気持ちで戦ったのか、とても知りたいところです。
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
クチコミ投稿日:2012/11/06
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