『西宮の歌舞伎舞台』は、地元に残る古文書によると徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である江戸時代後期の1816年(文化...
続きを読む13年)に現在の東御市祢津地区西宮に鎮座する「祢津健事(ねつたてごと)神社」境内に建立されたと記載が残されています。
1871年(明治4年)に改修工事が行われていますが主要な構造部分に建立当時の部材が残されており、現存する「回しのある舞台(回り舞台)」としては日本で最も古い舞台であるといわれています。
『西宮の歌舞伎舞台』の規模と構造は、間口8間(約14.5メートル)、奥行4.5間(約8.1メートル)、寄棟造り茅葺き屋根(現在はカラー鉄板葺き)による木造平屋建ての建物であり、建物内部床面に直径3間(約5.5メートル)の「円形の回し舞台施設」、舞台の装置を左右に引き分ける「せり分け施設」、舞台の背景を前後させ立体的な動きを見せる「せり出し施設」、舞台床を上下させ役者を床下の奈落から舞台上に役者を登場させる3か所の「せり上げ施設」、舞台背景をどんでん返しさせる「田楽返し施設」の本格的な舞台演出効果の仕掛けを備えられています。
そのほかこの地域は、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる江戸時代初期の1624年(寛永元年)より旗本・久松松平家領であり歌舞伎などの文化も流入しやすく取り締まりも緩やかであったこと、そのほかに東御市弥津地区東町にある「祢津日吉神社」境内にも1817年(文化14年)に建立された記録が残る「東町の歌舞伎舞台」が現存することから、古くから農村歌舞伎が根付いていたことが伺われます。
『西宮の歌舞伎舞台』は、規模の大きさ・能舞台の遺構がみられること・建物背面の戸襖を開けると裏山を背景として用いることができるなど農村の演劇史上からも貴重なものとされ、古くから地元では「舞台見るなら西宮へ、芝居見るなら東町へ」といい伝えられており、農村歌舞伎と舞台は当時の庶民文化を象徴する貴重なものとして1982年(昭和57年)に長野県指定の「有形民俗文化財」に指定されています。
ちなみに『西宮の歌舞伎舞台』の位置する「祢津健事神社」の創建や祭神が不詳で境内は祢津城上の城の砦跡とされ当地の鎮守との説があり、例祭の「御柱祭」が執り行われることから「諏訪大神」が祭られていると考えられています。
今回は、所要で「弥津公民館」に立ち寄った際に2時間程度の空き時間を利用して弥津地区を徒歩で散策ながら『西宮の歌舞伎舞台』を訪れました。
誰もいない静寂な「祢津健事神社」境内にある『西宮の歌舞伎舞台』の建物外観のみの見学ですが歴史を感じることができました(建物内部は公開されていません)。
そのほか自然に囲まれた弥津地区周辺には歴史的な史跡が点在しており、天候にめぐまれ秋の日差しの中、ウォーキングをしながらの「史跡めぐり」を堪能することができました。
『西宮の歌舞伎舞台』へのアクセスは、しなの鉄道「田中駅」からタクシーで10分程度(『西宮の歌舞伎舞台』周辺には、駐車場施設がありません。)であり、そのほか「田中駅」駅舎にある「東御市観光情報ステーション」に無料の観光レンタサイクルがあるので電動自転車を借りる手段もあり、時間に余裕がある場合は「田中駅」から『西宮の歌舞伎舞台』までは登坂が続きますが、のんびりとサイクリングをしながら『西宮の歌舞伎舞台』のほか弥津地区周辺の「史跡めぐり」もよいかもしれません。
「祢津健事神社」の7年ごとに執り行われる例祭「御柱祭」の際に江戸の歌舞伎舞台構造に近いとされる『西宮の歌舞伎舞台』での地元保存会の皆さんによる「御柱祭・奉納歌舞伎公演」を機会があれば観てみたいと思います。
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投稿日:2020/03/29