勝海舟邸跡
名所・史跡
3.34
勝海舟邸跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
赤坂 観光 満足度ランキング 32位
クチコミ・評判 2ページ目
21~39件(全39件中)
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まさに一等地
- 3.5
- 旅行時期:2018/08(約7年前)
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銅像が立派でした。
- 3.0
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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勝と坂本龍馬の師弟像があります!
- 3.0
- 旅行時期:2018/07(約7年前)
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幕末を動かした志士たちの集いの場所
- 3.5
- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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赤坂の朝の散歩で、勝海舟ゆかりの場所を見る。
- 4.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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赤坂で朝の散歩を楽しんだ。勝海舟邸跡があり、さらに近くには勝海舟・坂本龍馬の師弟像があるので、それらを巡って、散歩した。氷... 続きを読む川神社や氷川坂を通ると、昔読んだ勝海舟の本「氷川清話」のことなども思い出した。
咸臨丸での海外経験がある勝海舟は、日本対外国の視点があるので、新政府になっても、協力できたのだろう。敵は国内にいるのではない。内輪揉めで、国を亡ぼすような行動をとらなかった勝海舟は、やはり世界が見えていたのだ。
イギリス領事館のEarnest Satowがしばしば会っていた人物の一人でもあるが、彼の記録では、幕府側で、珍しく世界が見えている人物となっている。北海道をプロシアに売り渡そうとした反逆集団もいた時代だが、日本は相当危ない状況だった。(ドイツでそれらのやりとりが近年発見されている。) 閉じる投稿日:2018/04/22
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赤坂の住宅地
- 3.0
- 旅行時期:2018/03(約8年前)
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男前な銅像
- 4.0
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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夜空に目立ちます
- 3.0
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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坂本龍馬と並んでいます
- 3.5
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
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銅像とイチョウの木
- 3.0
- 旅行時期:2017/07(約8年前)
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大木の下に石碑と説明板がある
- 3.0
- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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地下鉄赤坂駅の南東、旧氷川小学校内にある。赤坂氷川公園付近から南側へ進み、三叉路の角旧氷川小学校(現在は特別養護老人ホーム... 続きを読む、赤坂子ども中高生プラザ)の入口がある(広い入口は西側にある)。その入口を入り右側の大木の下に、こちらの石碑がある。石碑はおよそ直方体で端は多少凹んでいる部分もあるが、勝安房邸跡と明記されている。勝安房は勝海舟が明治維新後に改名した名前である。その横には説明板が立っている。勝海舟が明治5年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで、ここにあった屋敷で住み「氷川清話」を執筆した。石碑と説明板のみなので観光要素はあまりないかもしれないが、北側には赤坂氷川公園、東側には霊山観音徳持寺赤坂別院、南西側に赤坂氷川神社等があり、併せて訪問するのもいいかもしれない。 閉じる
投稿日:2017/01/06
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勝海舟、激動期をすごす
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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東京・赤坂の氷川神社の西よりを通る本氷川坂を下っていくと、レストランのような建物の一階に勝海舟邸跡という木の標識が立ってい... 続きを読むます。字がほとんど消えかけており、その下の説明のパネルの字がかなり薄くなっていて結構、読みにくいけど。勝海舟がこの場所に住んだのは1859年から1868年ということで、幕末から明治維新にかけての激動の時代を過ごしたことになります。坂本龍馬が1862年12月に初めて勝に面会したのがこの場所で、龍馬はすぐに弟子入りを決めたそうです。坂下斜面のあまり使い勝手がよくなさそうな土地なのですが、どんな家があったのでしょうねえ。幕末には幕府を代表して西郷隆盛と江戸城の無血開城を決めるほどの立場だったのだけど、とても邸宅が建つ感じじゃないんだよなあ。
閉じる投稿日:2016/05/23
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イチョウの色づく季節には少し早かったです
- 3.0
- 旅行時期:2015/11(約10年前)
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安政6年(1859年)から明治元年(1868年)まで住んだ場所
- 4.0
- 旅行時期:2014/12(約11年前)
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気付かずに通り過ぎてしまいそうです
- 3.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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今は見る影もなく
- 2.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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本氷川坂の下に「ソフトタウン赤坂」という賃貸マンションがありますが、この場所がかつての勝海舟の邸宅であり、それを示す標識と... 続きを読む説明板が設置されています。
勝海舟については改めて書く必要もないと思いますが、この邸宅には安政6年(1859)から明治元年(1868)まで住んでいたそうですから、彼が最も活躍した時代の居宅だったわけです。
説明板には『海舟を刺殺しようとして訪れた旧土佐藩士坂本龍馬らに、世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。』と記されています。
ただ、この説明板だけでは何のありがたみもなく、それだけ歴史的価値のある場所に、なぜマンション建設を許可してしまったのか、せめてその遺構の一片でも残しておくべきだったと思います。 閉じる投稿日:2014/03/13
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当時の距離感を感じながら
- 3.5
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
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唐突に都内の幕末史跡を散歩したくなって、赤坂周辺では、最後の勝邸跡~ここ~長州藩屋敷跡(=ミッドタウン)を歩いてみました。... 続きを読む
ケータイにナビされたので到着できましたが、無いと多分すごく迷ったと思います(住所は一応メモっといたほうがいいですね)。もう1つの最後の海舟邸跡から歩いて行きましたが、迷わずに行けばこの2つの間は5~10分程度でしょうか。
この地に幕末から明治にかけて、どれだけの志士が訪れて、どれだけのことを海舟から学んだのだろうと、色々なことを考えさせられます。
「竜馬がゆく」も好きですので、あの龍馬と千葉重太郎が勝邸に行くシーンをこの喫茶店(バー?)の前で思い出し、やや変な面白い感覚になりました(笑)
閉じる投稿日:2014/01/07
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「本氷川坂」を下るとあります
- 3.5
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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明治の偉人を偲んで。
- 3.0
- 旅行時期:2012/09(約13年前)
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