奥武山公園の一角にある沖宮(おきのぐう)は、創建は不明ではあるものの琉球王朝尚金福王の時代である1451年との記録がありま...
続きを読むす。一説には源為朝が琉球に逃れてきた頃とも言われていますが、300余年のズレは違和感を感じます。那覇の港より発見されたといわれる古木を祀り、中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、そして離島航路などに関わる航海安全の神として国王以下一般の尊祟を集めていたそうです。
創建当時は那覇埠頭付近にありましたが、築港工事の際に同じく琉球八社のひとつである安里八幡宮の境内隣接地に遷座され、昭和13(1933)年には本殿が国宝に指定されますが、沖縄戦により焼失し、戦後昭和36(1961)年に通堂町へ仮遷座した後、昭和50(1975年)年に奥武山公園内へと遷座し現在に至ります。
沖縄の神社というのはやはり特殊な感じを受けることがある…その言葉には何となく頷いてしまうところもあります。本土の神社が景色に馴染んでいることを考えると、沖縄では少し浮いているように思えてなりません。しかし結局は沖縄戦で焼失した国宝が鎮座していたことには違いなく、それが戦争という破壊行為によってなくなってしまった事実は消えるものではありません。思想信教でとやかくいうのは簡単でも、最終的に今と変わらぬ姿を続けて行く…そういう思いは皆さま同じなのではとあらためて思いました。
その気持ちが沖縄へ来たら沖宮に立ち寄ると楽しいものになるという伝説に繋がっていて欲しいものです。
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投稿日:2016/05/25