神田神社(神田明神)
寺・神社・教会
4.14
神田神社(神田明神) クチコミ・アクセス・周辺情報
御茶ノ水・本郷 観光 満足度ランキング 1位
神田の氏神さまで5月の神田祭は江戸を代表する祭。鳥居脇の甘酒屋は江戸時代からの名物。
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
江戸の総鎮守で東京都心108町会の総氏神で、挙式をあげているカップに遭遇
4.0
- 旅行時期 2025/10
- by RON3さん
江戸の総鎮守で、東京都心108町会の総氏神ということで、中央に鎮座する大社殿(国登録有形文化財)をぐるりと囲むように、神田... 続きを読む明神 末廣稲荷神社、三宿稲荷神社、金刀比羅神社、江戸神社など、いくつもの神社があります。 そんな中、縁結びの神様の前で挙式をあげているカップに遭遇しました。 生演奏の雅楽の厳粛な響きに先導されて、本殿に向かうカップルを見ていたのは、ほとんどが外国人でした。 閉じる
クチコミ・評判 13ページ目
241~260件(全1029件中)
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江戸時代のヒーローは名前も残っています
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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商売の神様
- 3.5
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
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桜も綺麗な神田明神へ
- 4.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 3
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明神さま
- 3.0
- 旅行時期:2020/05(約6年前)
- 0
神田神社は730年、現在の皇居大手門付近に創建されました。室町時代の武将、太田道灌や戦国時代の武将、北条氏綱、徳川将軍家に... 続きを読むよって手厚く崇敬されました。1616年、江戸城の鬼門を守護するため、現在の場所に移され、幕府によって社殿が造営されました。以後、江戸の総鎮守として信仰を集めました。現在でも東京の心臓部である108町会の総氏神様となっている神社です。明治時代に神田明神から神田神社と改称し、あらためて東京の守護神となりました。ご祭神は一之宮が大黒様、二之宮が恵比寿様、そして三之宮が平将門命 (たいらのまさかどのみこと)です。三之宮である除災厄除の神様であり、勝負の神である「平将門命」が実質上の祭神とされています。神田明神の祭礼「神田明神祭」は「天下祭」「神田祭り」とも呼ばれ、山王祭、三社祭と並んで江戸三大祭の一つとされているだけでなく、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つにもなっています。 閉じる
投稿日:2020/05/11
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商売繁盛
- 5.0
- 旅行時期:2020/04(約6年前)
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街灯のような建物
- 2.5
- 旅行時期:2020/04(約6年前)
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巨大
- 4.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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美しい朱色
- 5.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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町歩き
- 5.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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神田明神の入口に当たる門。赤く色鮮やかでたいへん立派
- 4.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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神田明神の境内は広くて、色々な建築物があり、観光スポットにはたいへん良し。
- 4.5
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
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湯島聖堂から徒歩2分。
神田明神の入口に当たる「随神門」がたいへん立派です。
神田明神の「随神門」の脇には梅の花が咲い... 続きを読むています。
神田明神の境内です。広くて、色々な建築物があり、観光スポットにはたいへん良し。
境内にある「明神会館」で、ここで結婚式もできます。
本殿の「御社殿」です。迫力があります。ここでまずは参拝します。
本殿の「御社殿」の裏側にも通りがあり、奥に見える建物は資料館です。
奥に見える建物は「多用途イベントホール」です。その手前に「だいこく様尊像」があります。
「多用途イベントホール」の館内です。お土産売り場とカフェ・レストランがそろってます。内装が凝っていて面白い。
神田明神への長い階段「明神男坂」です。「明神男坂」登りから見下ろすと、たいへん傾斜が高いです。 閉じる投稿日:2020/04/30
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節分のイベント
- 3.0
- 旅行時期:2020/02(約6年前)
- 0
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社殿など、文化財が、たくさんあり、見ごたえある。
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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えびすさまとは
- 3.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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荒波のブルーを基調に鍛金(たんきん)技法で表現された芸術性の高いご尊像です!
- 4.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 6
『神田明神 えびす様尊像』は、江戸時代初期の1616年(元和2年)に江戸城増築に伴い江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の... 続きを読む地に遷座し「江戸総鎮守」として「神田明神」の名称で当時の江戸庶民から現在も都内千代田区・中央区(神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など)の108か町会の総氏神として尊崇されている「神田神社」における二ノ宮の商売繁盛の神様とされる”えびす様”こと「少彦名命(すくなひこなのみこと)」のご尊像として2005年(平成17年)に建立されています。
ちなみに「神田明神」の名称で親しまれている「神田神社」は、一ノ宮に縁結びの神様とされる”だいこく様”こと「大己貴命(おおなむちのみこと)」、三ノ宮にあらゆる勝負運の神とされる平安時代中期の関東の武将「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」の3柱を祭神として祀っており、社伝によると奈良時代初期の730年(天平2年)に武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)の地に「大己貴命」を祀ったのが始まりとされています。
また”えびす様”は、海の彼方にある「常世(とこよ)の国」から小さな木の実の殻を舟にして大海原を渡って日本に来訪されたと伝えられている小さな姿の神様で、「神田神社」の一ノ宮である大きな姿の”だいこく様”と力をあわせて日本国を築いた国土開発・事業繁栄の神様、医薬の教えを全国各地に広めた病気平癒・健康増進の祖神、魚群を岸に追い込み大漁をもたらすイルカやクジラにも例えられる海の幸を象徴する神様、さらに小さな姿から”一寸法師”の原型とも言われている日本古来の神様です。
この『神田明神 えびす様尊像』の造形は、イルカ・タイ・トビウオ・カメなどの海の生物に守られながら荒波の中を木の実の殻に乗っている小さな姿の”えびす様”を「鍛金(たんきん)」(金属を金床や烏口などにあて金槌で打つことで形を変えていく技法)により荒波のブルーを基調に表現された思わず足を止めて見入ってしまう芸術性の高い素晴らしいご尊像です。
制作者は、数々の受賞歴があり東京藝術大学学長や文化庁長官を歴任した経緯のある東京芸術大学名誉教授であり金工作家の「宮田亮平」氏です。
『神田明神 えびす様尊像』に出会うまでの自分の中での”えびす様”は、「七福神」でよく描かれている左手に大きな鯛を抱えて右手に釣り竿を担いでいる大柄な姿をイメージしていましたが、この『えびす様尊像』を見て”えびす様”のイメージが一新し、「神田神社」を参拝した際には『神田明神 えびす様尊像』にも手を合わせています。
今回は、2018年(平成30年)に「神田神社」境内の南西部分に新しく「神田明神文化交流館(EDOCCO)」がオープンしてから初めて「神田神社」を参拝しましたが、「神田神社」境内の配置が以前と少し変わっており神門である「随神門」のある南側道路を手水舎のある西側に少し進んだ道路沿いに位置する「神田明神文化交流館(EDOCCO)」1階アプローチの一画に『神田明神 えびす様尊像』が配置されています。
いつも参拝者の絶えない人気パワースポット神社でありお茶の水・秋葉原方面に出向いた際には、また参拝してみたいと感じる神社のひとつでお薦めできます・・・ 閉じる投稿日:2020/08/15
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石造りとしては日本一の石像です!
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 5
『神田明神 だいこく様尊像』は、江戸時代より「江戸総鎮守」として尊崇され都内千代田区・中央区(神田、日本橋、秋葉原、大手町... 続きを読む、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など)の108か町会の総氏神として、「家庭円満」・「縁結び」・「商売繁盛」・「事業繁栄」のご利益があり、正月仕事始めには企業参拝などが毎年テレビ中継で報道されるなど人気パワースポット神社である『神田神社』に祀られる祭神(3柱)の中で、縁結びの神とされる一ノ宮「大己貴命(おおなむちのみこと)」であり、1976年(昭和51年)に建立された高さ6.6メートル・重さおよそ30トンの石造りとしては日本一の石像です。
ちなみに『神田神社』の祭神は、一ノ宮に縁結びの神とされる”だいこく様”の「大己貴命」、二ノ宮に商売繁盛の神とされる”えびす様”の「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、三ノ宮にあらゆる勝負運の神とされる平安時代中期の関東の武将「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」です。
『神田明神』としても親しまれている『神田神社』の歴史については、社伝によると奈良時代初期の730年(天平2年)に武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)の地に「大己貴命」を祀ったのが始まりとされ、平安時代中期となる935年(承平5年)の「平将門の乱」により討ち取られた「平将門」の首が『神田神社』近くに「将門塚」として葬られましたが、疫病が流行したのを機に将門の祟りであるとされて供養が執り行われ、1309年(延慶2年)に『神田神社』の相殿神として祀られています。
戦国時代になると「太田道灌」や「北条氏綱」などの関東周辺の武将によって手厚く崇敬されるようになり、1600年(慶長5年)の天下分け目となる「関ヶ原の戦い」では、「徳川家康」が『神田神社』で戦勝祈祷を行ない『神田神社』の例祭である「神田祭」(江戸三大祭りの一つ)の日に見事に勝利したことにより、徳川将軍家に崇敬されるようになっています。
江戸時代初期の1616年(元和2年)には、江戸城増築に伴い江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し徳川幕府により荘厳な社殿が建立され、「江戸総鎮守」として『神田明神』を名乗り江戸庶民からも崇敬を受けるようになっています。
今回は、「神田明神文化交流館(EDOCCO)」が2018年(平成30年)にオープンしてから初めて『神田神社』を参拝しました。
「社殿」東側にあった『だいこく様尊像』と「えびす様尊像」が「神田明神文化交流館(EDOCCO)」のある境内西側に移動していました。
いつも参拝者の絶えない人気パワースポット神社ですが、参拝した日が『だいこく祭』の期間中であり境内で「四條流庖丁儀式」も執り行われるなど、参拝者もいつも以上に多く「神田明神文化交流館(EDOCCO)」内も賑わっていました。
お茶の水・秋葉原方面に出向いた際には、参拝してみたいと感じる神社のひとつです・・・ 閉じる投稿日:2020/05/03
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1番動きのあるえびす様のお姿
- 5.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
- 0
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大きな一ノ宮・だいこく様の石像
- 5.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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親子の獅子
- 5.0
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
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