石造りとしては日本一の石像です!
- 3.5
- 旅行時期:2020/01(約6年前)
-
-
by hiroさん(男性)
御茶ノ水・本郷 クチコミ:13件
『神田明神 だいこく様尊像』は、江戸時代より「江戸総鎮守」として尊崇され都内千代田区・中央区(神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など)の108か町会の総氏神として、「家庭円満」・「縁結び」・「商売繁盛」・「事業繁栄」のご利益があり、正月仕事始めには企業参拝などが毎年テレビ中継で報道されるなど人気パワースポット神社である『神田神社』に祀られる祭神(3柱)の中で、縁結びの神とされる一ノ宮「大己貴命(おおなむちのみこと)」であり、1976年(昭和51年)に建立された高さ6.6メートル・重さおよそ30トンの石造りとしては日本一の石像です。
ちなみに『神田神社』の祭神は、一ノ宮に縁結びの神とされる”だいこく様”の「大己貴命」、二ノ宮に商売繁盛の神とされる”えびす様”の「少彦名命(すくなひこなのみこと)」、三ノ宮にあらゆる勝負運の神とされる平安時代中期の関東の武将「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」です。
『神田明神』としても親しまれている『神田神社』の歴史については、社伝によると奈良時代初期の730年(天平2年)に武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)の地に「大己貴命」を祀ったのが始まりとされ、平安時代中期となる935年(承平5年)の「平将門の乱」により討ち取られた「平将門」の首が『神田神社』近くに「将門塚」として葬られましたが、疫病が流行したのを機に将門の祟りであるとされて供養が執り行われ、1309年(延慶2年)に『神田神社』の相殿神として祀られています。
戦国時代になると「太田道灌」や「北条氏綱」などの関東周辺の武将によって手厚く崇敬されるようになり、1600年(慶長5年)の天下分け目となる「関ヶ原の戦い」では、「徳川家康」が『神田神社』で戦勝祈祷を行ない『神田神社』の例祭である「神田祭」(江戸三大祭りの一つ)の日に見事に勝利したことにより、徳川将軍家に崇敬されるようになっています。
江戸時代初期の1616年(元和2年)には、江戸城増築に伴い江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し徳川幕府により荘厳な社殿が建立され、「江戸総鎮守」として『神田明神』を名乗り江戸庶民からも崇敬を受けるようになっています。
今回は、「神田明神文化交流館(EDOCCO)」が2018年(平成30年)にオープンしてから初めて『神田神社』を参拝しました。
「社殿」東側にあった『だいこく様尊像』と「えびす様尊像」が「神田明神文化交流館(EDOCCO)」のある境内西側に移動していました。
いつも参拝者の絶えない人気パワースポット神社ですが、参拝した日が『だいこく祭』の期間中であり境内で「四條流庖丁儀式」も執り行われるなど、参拝者もいつも以上に多く「神田明神文化交流館(EDOCCO)」内も賑わっていました。
お茶の水・秋葉原方面に出向いた際には、参拝してみたいと感じる神社のひとつです・・・
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 神田明神の境内西側にあります。
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- ”だいこく祭”期間中に参拝、いつもより賑わっていました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 高さ6.6メートル・重さおよそ30トンの石像です。
クチコミ投稿日:2020/05/03
いいね!:5票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する