鯖街道にある足利庭園 借景と枯山水が素晴らしい
- 5.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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by 河内温泉大学名誉教授さん(男性)
高島 クチコミ:3件
鯖街道朽木宿の高厳山興聖寺は嘉禎3年(1237年)近江の守護佐々木信綱が曹洞宗開祖道元禅師に願い出て建立、仁治元年(1240年)遷仏式が行われた永平寺の末寺。西近江の宗派を統括する総禄所でありました。佐々木信綱は宇多天皇の直系(とも寺伝に書かれているが)、晩年この地に入り隠棲、高野山で没しています。曾孫の義綱より朽木氏に改め廃藩置県まで1万石の大名だったそうです。
室町幕府十二代将軍足利義晴が三好松永の乱を避け朽木氏を頼り三年間、十三代将軍義輝は細川幽斎を従えて六年半それぞれこの地に滞在した。その時、細川幽斎は熊川城主の沼田光兼の娘・麝香(じゃこう)と結ばれる。幽斎も相当な趣味人だったらしく和歌・茶道・連歌・蹴鞠等の文芸を修め、さらには囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深く、今の十八代当主細川護熙もその血筋をひいているのでしょうか。
興聖寺に十二代足利義晴が滞在した期間、将軍を慰めるために銀閣寺の庭園を基に造られたのが旧秀隣寺庭園です。「近江には、人に知られていないが、名園が多い」と「かくれ里 石をたずねて」で白洲さんが紹介している庭園です。「安曇川の渓流をへだてて、比良山が眺められる。今は少々荒れているが妙に手のこんだ庭園より、石組みも自然で、気持ちがいい。」と云うように素朴な石と借景が素晴らしい庭園です。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 5.0
クチコミ投稿日:2018/01/02
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