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アトンマ墓

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宮古島

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アトンマ墓 https://4travel.jp/dm_shisetsu/10006691

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施設情報

施設名
アトンマ墓
住所
  • 沖縄県宮古島市平良西仲宗根3-32
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(16件)

宮古島 観光 満足度ランキング 67位
3.33
アクセス:
3.54
町中ですのでアクセスは容易です by AandMさん
人混みの少なさ:
4.05
混んではいません by AandMさん
バリアフリー:
2.50
付近はバリアフリーではありません by AandMさん
見ごたえ:
3.71
立派なお墓が残されています by AandMさん
  • こちらは少し地味です。

    • 5.0
    • 旅行時期:2023/02(約1年前)
    • 0

    仲宗根豊見親の墓の横を登っていくと奥の方にあります。こちらのお墓はとても質素な感じで、石垣で囲まれた四角の敷地内は特に何も...  続きを読む構造物は造られていませんでした。側室のお墓だということなので、あまり華美な物は作れなかったのでしょう。この辺りは史跡が集中してある襟なので、散策しながら一つ一つ見て回るのが楽しいです。  閉じる

    投稿日:2023/03/07

  • 忠導氏の側室の墓

    • 5.0
    • 旅行時期:2023/02(約1年前)
    • 0

    宮古空港から車で20分ほどです。「仲宗根豊見親の墓」の南奥にあります。16世紀に勢力を誇った忠導氏の側室の墓と言われていま...  続きを読むす。「アトンマ」とは側室を意味する言葉で、正妻しか同族の墓には入れないのだそうです。草木の繁る中で静かな空気が流れていました。  閉じる

    投稿日:2023/02/25

  • 統治者の側室の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2022/05(約2年前)
    • 0

    平良港の前の大通り沿いに仲宗根豊見親の墓という中世の宮古島の首長の大きな墳墓があります。そこから裏手のほうへ入ったところに...  続きを読むこちらのアトンマ墓があります。
    アトンマとは側室という意味で、仲宗根豊見親の側室がこちらに埋葬されたそうです。やはり側室は正室とは違った立場にあったようで、お墓もこうして奥のほうに設けられたのでしょう。石積みはなかなか見事な造りになっていました。  閉じる

    投稿日:2022/06/19

  • 側室の方の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/12(約3年前)
    • 0

    アトンマの墓って何なんだろうと思ったら、側室の方のお墓なのだそうです。
    石の階段を登った奥の方にあったのですが、かなり古...  続きを読むいというか、歴史あるというか、さびれたというか、風情があるというか、ちょっと怖い感じがして、ドキドキしながら訪問しました。  閉じる

    投稿日:2021/07/29

  • 側室用

    • 3.5
    • 旅行時期:2020/11(約3年前)
    • 0

    仲宗根豊見親墓のより奥まった場所にあります。アントマとは側室を意味するそうで、豊見親墓に入ることができなかった側室ばかりが...  続きを読む入ったお墓になります。アーチ状の岩が施してある入口を通るのが珍しい構造だそうで、見る価値があるのかなと思います。  閉じる

    投稿日:2021/01/18

  • 15-16世紀の宮古島首長の後妻のお墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/10(約5年前)
    • 0

    アトンマ墓は国の有形文化財に指定されている「中曽根豊見親の墓」の脇の小道を登った場所にありました。案内標識が出ていますが、...  続きを読む注意しないと見逃す可能性があります。石積の大きなお墓です。アトンマとは(後妻)のことで、15-16世紀にかけて宮古の首長を務めた忠導氏の後妻だけが葬られています。当時の宮古島の風習として本妻と同じ墓に葬ることができなかったので、アトンマ(後妻)だけの墓が造られています。後妻だけの墓は、他に類をみないのではないかと思います。  閉じる

    投稿日:2019/12/11

  • 側室のような人のお墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2018/06(約6年前)
    • 0

    大規模な墳墓があるこのエリアの一角にあるのがアトンマの墓です。
    アトンマとは江戸時代で言えば側室の人たちのような人で、正...  続きを読む室の人とは同じ墓には入れないので、可哀想だから側室の人はこちらに亡くなったあとは埋葬されたそうです。
    入り口のアーチの石の切り方が独特のものがありました。  閉じる

    投稿日:2018/06/22

  • 奥まった所にあるので道路から見えない

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/06(約7年前)
    • 0

    忠導氏一族のアトンマ(後妻・継室)だけを葬った墓です。仲宗根豊見親の墓の脇から右奥へ進んだ場所にあり、車通りからは見えない...  続きを読むのでちょっと分かりづらいかな。一応、仲宗根豊見親の墓の前に知利真良豊見親の墓と合わせて3つの墓の案内図が出ているんですけど、字が薄くなって消えかかってるし万人に分かりやすいとは言えないような…

    他の2つの墓と比べて規模は小さめながらも、墓の入口が石の門になっているので印象に残ります。沖縄本島にあるグスクの城門を小さくしたような外観。入口の門は高さがないので屈んで囲いの内側へ入る形です。内部は正面奥に家屋が見えてしまっているので、厳かな雰囲気は半減って感じでしょうか。  閉じる

    投稿日:2019/02/11

  • 後妻さんのお墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2017/05(約7年前)
    • 0

    仲曽根豊見親を元祖に数多くの頭職を出し、勢力を誇った系統である忠導氏にゆかりのある墓で、同氏族のあとんま(後妻)が葬られて...  続きを読むいるお墓です。
    仲曽根豊見親の墓や知利真良豊見親の墓を見た後でこの墓の説明書きを読み、後妻さんのお墓が作られていたことや後世まで残っていたことに驚きました。  閉じる

    投稿日:2017/08/19

  • 19世紀前半の建造で岩盤を壁の一部に・・・

    • 4.5
    • 旅行時期:2016/03(約8年前)
    • 0

    仲宗根豊見親を始祖とする忠導氏は宮古島を二分するほど権力を持った旧家でこの墓地はこの一門の後妻(あとんま)達の墓です。
    ...  続きを読む
    平良港が目の前の幹線道路沿いに有る3つの歴史的石造墓所の1つでここは1番新しく19世紀初頭の建造で墓所の背後は岩盤を彫り込んでそのまま利用しています。

    仲宗根豊見親の墓の脇の細い道を宮古神社の方に少し上った所に有ります。正確に言うと幹線道路側からは建物が道沿いに建っていて見えません。

    他の2つのお墓に比べるとかなりこじんまりした物です。
    入口のアーチ門手前に観光案内板が立っているので参考にして下さい。
    この辺りは木々が生い茂っていて少し暗い雰囲気です。

    また側面の石積みが斜めに綺麗に加工されているのが何だか女性的です。

    因みにこの忠導氏の屋敷跡の大規模な琉球庭園が宮古市役所の近くの県道83号線沿いの「モジャのパン屋」、「くになか食堂」の傍に現存しています。
      閉じる

    投稿日:2017/12/06

  • 継室(後妻)の墓

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/12(約8年前)
    • 0

    平良の市街地からもすぐの場所にあります。
    仲宗根豊見親の墓の横から登り道を30mほど歩いた場所です。
    アトンマというの...  続きを読むは継室(後妻)という意味で、
    アトンマは正室のお墓には入れなかったために別にお墓がつくられたそうです。
    現在みられるのは簡素な感じです。  閉じる

    投稿日:2015/12/20

  • 後妻を祀った墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/07(約9年前)
    • 0

    仲宗根豊見親を始祖とする忠導氏一門の後妻(アトンマ)の墓です。後妻は本妻と一緒に葬ることができない風習であったことから、後...  続きを読む妻だけを弔う墓が別に造られたといわれています。仲宗根豊見親の墓の右側を奥に入っていった場所にあり、道路からは見えません。

    墓の周りは石垣で囲まれていて、入口は高さの低いトンネルのようになっているのが特長。石垣の壁の内側は、正面に墓室の入口か?と思わせるような口が開いているほかはガランとしていました。  閉じる

    投稿日:2017/02/16

  • 綾道 アトンマ墓

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/07(約9年前)
    • 0

    宮古島平良のホテルに泊まり、周りを散策していると綾道マップという看板を発見しました。
    そこでロードマップを頼りに少しだけ...  続きを読む綾道を周ってみました。
    こちらはマップで10番目のアトンマ墓です。
    仲宗根豊見親の墓のすぐ横にあり、周りを囲むようなお墓となっています。
      閉じる

    投稿日:2015/10/02

  • 印象深い形のお墓です

    • 4.5
    • 旅行時期:2013/06(約11年前)
    • 0

    アトンマとは、宮古島の方言で後妻のことだそうです。  
    平良の頭職(かしらしょく)を務めていた忠導氏は、16世紀から18...  続きを読む世紀ころにかけて、宮古の二大勢力のひとつといわれるほど大きな勢力を誇っていたそうで、その忠導氏一族が18世紀頃、継室(アトンマ)が死亡した時に葬ったことから、アトンマ墓と呼ばれています。
    墓の様式は、岩盤と切石を組み合わせた「彫込み囲い墓」という形式です。
    古代遺跡のような、悠久の歴史を偲ばせる印象深い史跡です。  閉じる

    投稿日:2013/08/08

  • 宮古島豪族の継室のお墓。

    • 3.5
    • 旅行時期:2013/03(約11年前)
    • 0

    仲宗根豊見親墓のそばにある小道を少し上がった場所にある岩盤を利用した、石組みのあるお墓です。(仲宗根豊見親墓とは違って階段...  続きを読む状にはなっていないです)

    15世紀末から16世紀にかけて宮古を拠点にした豪族、仲宗根豊見親を祖とする一族の継室にあたる女性のための墓です。解説には宮古の風習として本妻と同じ墓に葬ることができなかったためとありました。  閉じる

    投稿日:2013/03/10

  • 平良港の近くにあります。仲宗根豊見親を元祖とする忠導氏ゆかりの墓で、“アトンマ”とは、宮古島の方言で継室(後妻)のことだそ...  続きを読むうで、継室に限って葬ったことから、「アトンマ墓」と呼ばれています。18世紀後半~19世紀前半の築造とみられるお墓は、岩壁と切石による掘込み囲い墓になっていて、城壁のように見える部分もあります。すぐ傍に、宮古島の首長をつとめた仲宗根豊見親のお墓があります。


      閉じる

    投稿日:2014/07/09

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