東勝寺(宗吾霊堂)
寺・神社・教会
3.35
東勝寺(宗吾霊堂) クチコミ・アクセス・周辺情報
成田 観光 満足度ランキング 15位
宗吾霊堂は、桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した際に、戦没者供養のために建立された寺院です。歌舞伎で知られる義民佐倉宗吾は、今から350数年前の承応元年(1652年)に、佐倉藩主暴政のため、凶作と重税に苦しむ農民を救うため、公津村(現在の成田市)の名主の木内惣五郎は、当時禁じられていた四代将軍徳川家綱への直訴を決行し、大勢の農民を救いました。しかし翌年8月に、その罪をとがめられて、木内惣五郎と4人の子供たちは処刑されました。その刑場跡が、現在の東勝寺のある場所といわれています。
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 2ページ目
21~33件(全34件中)
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見どころの多いお寺です
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- 旅行時期:2015/10(約10年前)
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紫陽花もきれいな義民佐倉宗吾を祀るお寺
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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アジサイが綺麗でした
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- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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江戸時代、四代将軍徳川家綱に佐倉藩農民の窮状を直訴したかどで処刑された佐倉宗吾(本名は木内惣五郎)を祀る宗吾霊堂を参拝して... 続きを読むきました。仁王門をくぐると大本堂(宗吾霊堂)があります。どっしりとした構えの大変立派なお堂です。本堂裏手には佐倉宗吾の生涯を綴った宗吾御一代記館という興味深い博物館(有料)もありますが、前回見ているので今回はパスして、アジサイ園(無料)を鑑賞しました。本堂裏の広い敷地に7千株のアジサイが梅雨の合間の木漏れ日の中、競うように咲いており大変見事でした。在来アジサイ、ガクアジサイの他に、柏に似た葉を持ち白い花を咲かせる柏葉アジサイという珍しいアジサイがありました。鈴なりの白い花をたわわにつけておりとても綺麗でした。千株あるそうでこれだけ多くの柏葉アジサイを見られる場所は全国でも少ないようです。朝9時半頃でしたので参拝客、来園客もちらほらという感じでゆっくりとさわやかな時間を楽しむことが出来ました。霊堂脇の駐車場にある又兵衛という佃煮や(種類豊富です)でワカサギの甘露煮を買って帰りましたが大変美味しくお薦めです。車で参りましたが電車ですと京成線の宗吾参道駅から歩いて10分程です。
閉じる投稿日:2018/01/16
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記念館には定休日がありました
- 3.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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境内は非常に広いです。
- 3.5
- 旅行時期:2014/11(約11年前)
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義民・佐倉惣五郎の尊霊を本尊とする。
- 4.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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己を捨てて村人を救った義民、木内惣五郎を祀ったお寺です。
- 5.0
- 旅行時期:2014/03(約12年前)
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佐倉惣五郎を奉る成田のお寺
- 5.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
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いつまでも慕われる義民・宗吾様。霊堂裏側の大黒様も見所です!
- 4.0
- 旅行時期:2013/09(約12年前)
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こちらのお寺は、シドニーオリンピックで女子マラソン優勝された高橋尚子選手がよく参拝されて有名なお寺です。
金メダルを獲っ... 続きを読むたマラソンでは、こちらの宗吾霊堂のお守りをユニフォームにつけていたのは有名な話です。
そんなほのぼのなエピソードとは裏腹に、
こちらの霊堂の存在は、とても辛い実話から始まっています。
1612年、佐倉藩国家老による暴政と極度の重税で極度に苦しむ農民たちを救うべく、割元名主である木内惣五郎殿が 一揆や様々な減税のお願いをお上へ試すものの万策尽てしまいます。
最後の手段として、命と引き換えを覚悟に、将軍家への直訴を実行。
直訴は願い聞き入れられたものの、直訴の罪に問われた宗吾殿はお子様4名とともに公津ヶ原処刑場ではりつけ・打ち首の惨刑に処されます。
飢え死する領民を助けたい一心で命を差し出した宗吾殿。
その宗吾殿を祀る社はとても立派で、地元の民が彼を想う、感謝の気持ちが大きな社へと姿を変え、とても神妙な気持ちになります。
敷地には、お子様の墓もあり、手を合わせつつ、立派な本殿へ。
ご本殿で手を合わせたら、そのまま引き返さず、
本殿の裏側へお周りください。
珍しい光景です。本殿裏側には大黒様が祭られています。
「夢のお告げ」で現れた大黒様が祭られています。
大黒様のお札は100円で頂くこともできます。
今でも宗吾様を慕う地元の方々。ココロが揺さぶられました。 閉じる投稿日:2013/09/16
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普段は静かなところ
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- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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成田山だけではない。成田市内の初詣スポット、宗吾霊堂
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- 旅行時期:2011/12(約14年前)
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成田といえば、新勝寺だし、市川一門はじめ著名人も多く参拝するわけだが、もう一つ、成田の有名なお寺がある。
福沢諭吉も... 続きを読む褒め、斉藤隆介が童話で紹介した、義民佐倉宗吾こと、木内惣五郎を祭ったお寺である。正式名称は「東勝寺」、成田山新勝寺とおなじ真言宗である。
時は1650年代、佐倉藩公津村。時の藩主堀田正信(名君と言われる幕末の堀田正睦の直系の先祖)は江戸の幕政にかかりきり、地元など顧みなかった。重税に耐えかねた村の名主、木内惣五郎は藩に減税を申し出たが聞き入れられず、意を決し、4代将軍家綱に直訴したという物語は有名である。
その話の信ぴょう性は不明だが、寺社と成田市行政はそれを公式としている。直訴後、処刑された惣五郎の亡骸はこの寺に葬られ、百回忌に藩主堀田家から院号を送られている。
京成宗吾参道から徒歩15分もかからない。参道は比較的広いが、成田と比べると店も少なく静かだ。門前は国道で交通量は比較的多いが、参拝者は成田山に比べると少ない。
社殿は、宗吾様を祭る(真言宗なので本尊は大日如来だが)本堂、そのうしろにひっそりと宗吾様の霊廟、さらに奥ノ院。その周辺は春は桜が咲き、また、見事な梅園もある。本堂の裏に「宗吾御代一期館」がある。木内惣五郎の生涯を人形やジオラマで紹介している(ここだけ有料)。その隣に「宝殿」がある。宗吾様関係の遺品を収蔵するだけでなく、ここでは、350年祭のときに訪問した、政界財界芸能界の著名人が寄贈した直筆の色紙が目玉だ。小泉元首相の色紙もある。
私は、以前、成田市関連の行事で、市内に在留する外国人の皆さんに初詣を体験してもらう催しに同行した。「農民蜂起」「市民革命」といった歴史はどこの国にもあり、皆さん、大変興味を持ってくれたようである。
一方、「悪玉?」の殿様堀田を、今更持ち上げ、歴博のある城跡に天守閣を建てようとしたり、市役所に殿様の像を置いてるのが、近隣の佐倉市である。このお寺との「温度差」が興味深い。農民弾圧の歴史を持つ大名を持ち上げるというそのセンスを疑う。考え方の旧弊な市だ。伝えるべき歴史はどちらだろうか。
閉じる投稿日:2012/12/30
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~柏葉アジサイが彩る紫陽花まつり~鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂
- 5.0
- 旅行時期:2011/06(約15年前)
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駅からは時間がかかる
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- 旅行時期:2009/05(約17年前)
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