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伝通院

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伝通院 クチコミ・アクセス・周辺情報

水道橋 観光 満足度ランキング 8位

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慶長8年(1603)徳川家康が生母お大をこの地に葬った。後に堂宇を建立し伝通院となった。境内には、お大の方、千姫(豊臣秀頼妻・2代徳川秀忠の長女)をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くある。

ピックアップ クチコミ

  • 満足度の高いクチコミ

    於大の方のお墓があります

    4.0

    • 旅行時期 2023/11
    • by kiraさん

    徳川ゆかりの地を歩くウォーキングコースでこちらに立ち寄りました。 徳川家康の生母、於大の方のお墓があります。 於大の方...  続きを読むは京都伏見城で死去しましたが、遺言により家康がこの地に埋葬したそうです。 増上寺・上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称され、徳川家ゆかりの方のお墓が他にもありますが、 第2次世界大戦の際に本堂や山門は焼失してしまったので、現在あるのは後に再建されたものです。  閉じる

クチコミ・評判 8ページ目

141~160件(全191件中)

  • 恥ずかしながら存じ上げませんでした

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    伝通院を訪れたら、墓地の入口に墓地の地図があり有名な方々の墓がどこにあるかわかるようになっていました。その内の一つで、私は...  続きを読むそれまで杉浦重剛がどのような方か恥ずかしながら存じ上げませんでしたが、お墓に行ってみました。説明板によれば、明治・大正時代の教育家/評論家としての活躍は有名だそうです。勉強になりました。  閉じる

    投稿日:2015/06/12

  • 伝通院にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/05(約11年前)
    • 0

    伝通院には多数の有名な方々のお墓があります。その中の一つが小説家であり詩人でもあり、その門弟には多数の一流作家がいた佐藤春...  続きを読む夫の墓です。伝通院の墓地には、有名な方々のお墓がどこにあるかの地図があるので探しやすいと思います。文壇に関心をお持ちの方はお参りされてはいかがでしょうか。  閉じる

    投稿日:2015/06/12

  • 伝通院の境内墓地の一画にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    徳川家康の生母のお墓です。寺院の多いこの界隈で最も大きいと思われる伝通院の境内墓地の一画にあります。墓地の場所は本堂を正面...  続きを読むに見た左側です。有名なお墓については、案内板に場所がわかるような図が書かれています。また、お墓の前に説明板(写真参照)もありますから見つけることができると思います。17:30過ぎにお参りすることができました。きれいな花が備えられていて、歴史の重みを感じました。  閉じる

    投稿日:2015/06/11

  • 大きな寺院です

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    後楽園駅北側の、富坂下交差点から、春日通りを北西に進むと3つ目の信号が伝通院前の信号です。ここを右折して少し行くと突き当り...  続きを読むが伝通院です。この辺りは寺院が多いですが最も大きなお寺ではないでしょうか。ただし、山門や本堂は新しいので建物自体にあまり魅力は感じませんでした。17:00を過ぎていましたが入ることができました。しかし、17:30過ぎごろに出る時には門が閉まっていました。  閉じる

    投稿日:2015/06/11

  • 伝通院山門の左側にあります

    • 3.0
    • 旅行時期:2015/04(約11年前)
    • 0

    伝通院の前、伝通院の山門はくぐらないで山門左手の道路沿いに石柱と説明板が立っています。さらに伝通院を正面に見てもう少し左側...  続きを読むに行くと、もう1枚説明板が立っています。こちらには処静院が以前どこにあったかはっきりわかるような地図が出ています。処静院はすでに廃寺になっています。私は、あいにく幕末の歴史に詳しくないのですが、浪士隊を結成した場所なのだそうです。幕末の歴史ファンにはおすすめの場所だと思いました。  閉じる

    投稿日:2015/05/03

  • 広々とした開けた境内がきもちいい

    • 4.5
    • 旅行時期:2015/03(約11年前)
    • 0

    枝垂桜があるため、行ってみました。六義園が混んでいるだろうと思い、ふらっと自転車のまま見ることができるところにいってみよう...  続きを読む、と思いこちらへ。
    とても広い境内で門前正面のみちも広々としていて気持ちがいいです。  閉じる

    投稿日:2015/06/02

  • 永井荷風「伝通院」を読んでみては

    • 3.5
    • 旅行時期:2015/02(約11年前)
    • 0

    永井荷風の随筆「伝通院」において、「巴里にはノオトル・ダアムがある。浅草には観音堂がある。それと同じように、わたしの生まれ...  続きを読むた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院である」と言わしめたところです。
    随筆「伝通院」は、著作権が消滅しており、青空文庫で無料で読むことが可能です。訪れるにあたっては一度読んでみることをオススメします。
    伝通院は、上野の寛永寺や芝の増上寺と同じように徳川将軍家に庇護されてきたお寺です。伝通院という名前も家康の母の法名から命名されたものです。
    修復されたばかりの山門は綺麗でなかなか立派なものでした。  閉じる

    投稿日:2015/03/03

  • 新撰組の元になる浪士組が結成されたお寺

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/12(約11年前)
    • 0

    伝通院の山門の手前左側に、こちらの石柱と説明板がある。石柱には、不許葷酒入門内の文字がしっかりと刻んである。平日午後、石柱...  続きを読むの前の道路は、自動車はかなり通っていたが、人は少なく、目を留める人はいなくひっそり佇んでいた。石柱と説明板のみなので観光要素は少ないが、処静院は、伝通院前の福聚院北側にあり、新撰組の元になる浪士組がここで結成され、石柱はその前に立っていたが、その後、処静院は廃寺となり、現在の地に移された。特に新撰組やこの界隈に関心や知識がある方には、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2014/12/27

  • この立派さは当然ではあるのですが

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    千姫の墓は、水道橋の伝通院の墓地。徳川家康の生母、於大の墓から少し奥に進んだ場所です。囲いで二重に囲まれた立派な墓。家康の...  続きを読む孫であり、家光の姉でもあるので、この立派さは当然ではあるのですが、豊臣秀頼に嫁ぎ、徳川家のための政略結婚の犠牲になったということで、徳川家にとってのじくじたる思いも反映しているのかもしれません。  閉じる

    投稿日:2014/11/21

  • 於大は徳川家康の生母

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    於大の墓は、伝通院の境内墓地の一角。墓地の入口に地図があって、それを頼りにするとすぐわかります。ちなみに、於大は徳川家康の...  続きを読む生母。歴史小説でも、秀吉や信長の母などと比べれば、あまり注目されたことはないように思いますが、かえって、そのことで於大の慎み深い人物像が想像されるように思います。
      閉じる

    投稿日:2014/11/21

  • 徳川の威光がこんなところにこれだけ残っている

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/11(約11年前)
    • 0

    伝通院は、京都伏見城で死去した徳川家康の生母、於大の方の現在の墓地に埋葬したことは始まり。ちなみに、於大の方の法名は「伝通...  続きを読む院殿」です。
    山門は、まだ新しい感じですが、堂々とした構え。増上寺の三解脱門とは規模は違うにしても、それを彷彿とさせるような雰囲気もあります。境内も広々。明治維新を経ても、徳川の威光がこんなところにこれだけ残っている。少し驚きました。  閉じる

    投稿日:2014/11/19

  • 広い境内に本堂等が整然と並んでいる

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/10(約11年前)
    • 0

    地下鉄後楽園駅の北西、春日通りを10分ほど上がり伝通院前交差点を右に曲がると、伝通院の山門がみえる。境内は広く、入口左には...  続きを読む地蔵尊、正面には本堂、右に書院等が整然と並んでいる。徳川家康公の生母於大の方が逝去、傳通院を菩提寺として以来、徳川家との縁が深く、また、佐藤春夫や柴田錬三郎等の有名人のお墓があり、菊池寛や夏目漱石等多くの文学作品にこちらのお寺が描かれていることから、特に徳川家やこれらの有名人、文学作品に関心や知識がある方にとっては興味深い施設であり、訪問することをお勧めする。  閉じる

    投稿日:2014/10/19

  • 伝通院にあります。

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    伝通院にあるため、徳川家関連の方かと予想はしていましたが、江戸徳川家の始祖家康の生母にあたります。
    京都見物中亡くなり、家...  続きを読む康が遺体を江戸に運ばせ小石川の地で荼毘に付したそうです。ちなみに伝通院の名前は於大の法名伝通院殿に由来するそうです。  閉じる

    投稿日:2015/02/23

  • 大阪夏の陣

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/09(約11年前)
    • 0

    名前だけはよく聞く、千姫ですが、徳川二代将軍秀忠の長女であり、豊臣秀頼に嫁入し、大坂夏の陣で救い出された人物ということのよ...  続きを読むうです。時折、大河ドラマで登場します。
    その方のお墓です。
    小石川以外にもいくつかお墓が別にあるようですが…  閉じる

    投稿日:2015/02/23

  • とても綺麗

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/08(約11年前)
    • 0

    東京ドームから15分ほどかかります。
    伝通院の門はとても立派です。
    国道256号線からも確認することができます。
    ...  続きを読む部は広く、休憩室、自販機、お手洗いが設備がされています。
    1603年に徳川家康の母親が埋葬されました。
    夏目漱石の『こころ』『それから』にも伝通院のことが描かれています。
      閉じる

    投稿日:2014/08/09

  • 静かに眠る千姫のお墓

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/07(約11年前)
    • 7

    徳川秀忠と江の間に生まれたお姫様が千姫です。竹橋に住んでいたので、その死後、曾祖母の於大の方が祀られていた小石川の伝通院に...  続きを読む収められました。
    大坂夏の陣で助け出されたり、桑名にお嫁に行ったり、姫路城で過ごしたり、江戸に戻って大奥で力をふるったり、波乱万丈の一生を送っています。

    第二次世界大戦後、伝通院の周りは焼け野原になっていましたが、石造りの千姫のお墓は一部崩れたもののそのまま残り、今は修復されています。

    お寺としては
    このお墓をお参りする方にはせめてお線香代をお支払いいただきたいという表記がありました。  閉じる

    投稿日:2014/07/27

  • 徳川家の歴史を知るお寺

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/06(約12年前)
    • 0

    地下鉄の駅からは坂がありしんどいですが、綺麗なお寺さんは見る価値はあります。

    徳川家康の生母於大の方が逝去、傳通院を...  続きを読む菩提寺とされてから1647年には、三代将軍家光公の次男、亀松君が葬られ、以来徳川家の外護を賜り、諸堂伽藍が整えられました。

    傳通院墓地の北側にある広大な一画に徳川家の墓域があり、ここに千姫を始め、徳川家由縁の方々の古い諸廟所が多く建っています  閉じる

    投稿日:2014/06/16

  • 伝通院の門の横

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/05(約12年前)
    • 0

    伝通院の門の外のすぐ左側に、処静院の山門前にあった不許葷酒入門内の石柱があります。処静院は大黒天で有名な福聚院の西側にあっ...  続きを読むたが、維新後に淑徳学園の前辺りに移り、次いで廃寺となったようで、伝通院の塔頭の一つであったようです…  閉じる

    投稿日:2014/09/10

  • 徳川家の女性達

    • 3.5
    • 旅行時期:2014/05(約12年前)
    • 0

    1603年に徳川家康が生母お大をこの地に葬ったことが始まりで、後に堂宇を建立し伝通院となったと云われいます。伝通院はお大の...  続きを読む法名にちなむ。将軍家の帰依も厚かったようです。浄土宗の関東18檀林の一つで、常時1000人もの学僧が修行していたようで、境内には、お大の方、千姫をはじめとして徳川家ゆかりの女性の墓が数多くあります。  閉じる

    投稿日:2014/09/10

  • 家康生母の墓がありました

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    徳川家康の生母、於大の方の菩提寺である伝通院。墓所のとても目立つ場所に於大の方の墓がありました。石の柵に囲まれた江戸のお武...  続きを読む家らしい立派な墓です。何度も大火に遭い、戦災も受けていることから、現在の墓がいったい、いつの墓かは定かではありませんけどね。於大の方は三河刈屋城主水野忠政の娘で、家康を産んだ後、離縁され、阿久比城主久松俊勝に嫁ぎました。天下統一の後、家康は久松家を親戚として遇したとのこと。於大の方は夫の死後、伝通院と称し、1602年京都の伏見で亡くなりました。
      閉じる

    投稿日:2014/04/21

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基本情報(地図・住所・アクセス)

施設名
伝通院
住所
  • 東京都文京区小石川3-14-6
電話番号
03-3814-3701
アクセス
都営地下鉄春日駅 徒歩 10分
東京メトロ後楽園駅 徒歩 10分
その他
創建年代 1415
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 寺・神社・教会

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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