靖国神社
寺・神社・教会
4.30
靖国神社 クチコミ・アクセス・周辺情報
市ヶ谷 観光 満足度ランキング 1位
維新に倒れた志士の霊をはじめ、今日まで日本が関係した戦いの戦没者の霊をまつる。桜の名所。
ピックアップ クチコミ
クチコミ・評判 4ページ目
61~80件(全1147件中)
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東京の名所
- 4.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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戊辰戦争・明治維新期の戦没者を慰霊している神社
- 3.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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大鳥居からの参拝!
- 4.0
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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巨大な鳥居
- 4.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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ソメイヨシノの花が満開で、夜もライトで照らされて、とてもきれいでした。
- 4.5
- 旅行時期:2021/10(約4年前)
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大村益次郎銅像は、高さ12メートルの国内初となる西洋式銅像です!
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 5
『大村益次郎銅像』は、1893年(明治26年)に制作された高さ12メートル(台座を含む)の国内初となる西洋式銅像であり、千... 続きを読む代田区九段北2丁目に位置する「靖國神社」境内の「第一鳥居(大鳥居)」と「第二鳥居」の中間にあたる参道中央に建立されています。
そのほか現在では「皇居外苑」にある1897年(明治30年)に制作された「楠木正成銅像」ならびに「上野恩賜公園」にある1898年(明治31年)に制作された「西郷隆盛銅像」とともに「東京三大銅像」のひとつに数えられています。
ちなみに『大村益次郎』は、徳川幕府・第11代将軍「徳川家斉」の時代となる1825年(文政8年)に長州藩の村医の長男として誕生したのち蘭学および医学を学び村医として開業にたものの、時代が急速に幕末の動乱期へと向かう中で医師から蘭学者として伊予宇和島藩に出仕して、蘭学などの講義および西洋兵学などの洋書の翻訳を手がけ、1856年(安政3年)に江戸におもむき私塾の「鳩居堂」を開塾したほか宇和島藩御雇として徳川幕府直轄の洋学研究教育機関となる「蕃書調所」教授方手伝をしていた際に長州藩「桂 小五郎」との出会いがきっかけとなり1860年(万延元年)に長州藩士となっています。
その後の1866年(慶応2年)に徳川幕府による「第二次 長州征伐」では、長州藩の参謀として石州口(日本海側)の指揮をとり徳川幕府軍に圧勝したほか「大政奉還」後の1868年(慶応4年)に「新政府軍」と「旧幕府軍」の間で勃発した「戊辰戦争」では「新政府軍」の軍事指導者として「上野の彰義隊の戦い」を1日で終結させるなど明治政府における近代的軍隊の基礎を作り「近代日本兵制の父」、「日本陸軍の父」と称されています。
また「戊辰戦争」により新政府軍戦没者を慰霊するための「招魂社(現:靖國神社)」創建のあたっては建設候補地の選定に加わり、1869年(明治2年)に「招魂社」が創建されていますが、その約2か月後に刺客に襲われ重傷を負った際の傷が原因で「招魂社」が創建されてから約4か月後に逝去しています。
1882年(明治15年)に執り行われた『大村益次郎』慰霊祭の席で銅像建立案が持ち上がり、「靖國神社(旧:招魂社)」建設地選定に関わっていたことなどから現在の場所に建立されています。
筒袖羽織に短袴(乗馬などで丈を短くした袴)を着け左手に双眼鏡を持った『大村益次郎銅像』は、「上野の彰義隊の戦い」の際に「江戸城富士見櫓」から上野に立て籠る「彰義隊」を凝視する姿とされ、台座の文章(漢文)は「三條實美」による顕彰文となっています。
今回は、平日の午後に「市ヶ谷」周辺を訪れた際に少し時間に余裕があったので初めて「靖國神社」を参拝しようと思い、以前より「東京三大銅像」のひとつに数えられている『大村益次郎銅像』も気になっていたので正面の「第一鳥居」から境内に入りました。
幅の広い参道の中央に高さ12メートルの『大村益次郎銅像』は存在感がありますが、4段に積み上げられた御影石および円柱型の顕彰文が書き込まれた高さのある台座の上に直立姿像があり、肉眼で見上げると表情など細部がよく見えなかったのが残念です。
『大村益次郎銅像』除幕式の日程も制作工程の見直しなどで幾度も延期されていたようで、従来の鋳造方法および設備では技術的に難しい部分や問題などもあっただろうと想像しながら写真撮影をしてみました。
国内初の巨大な西洋式銅像の制作にあたっては、細部にもいろいろなこだわりがあったと思います。
機会があれば、しっかりした望遠カメラを準備して「靖國神社」をまた参拝し『大村益次郎銅像』を写真撮影してようと思います。
閉じる投稿日:2021/10/24
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総重量およそ100トンにもおよぶ耐候性鋼板の大鳥居や参道の広さなどに圧倒されました!
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 5
『靖國神社』は、1869年(明治2年)に「明治天皇」の勅令により『招魂社(しょうこんしゃ)』として現在の千代田区九段北3丁... 続きを読む目に創建した歴史の浅い神社です。
『招魂社』創建の経緯については、日本における近代的な統一国家構築にあたり明治維新の混乱期の中で1867年(慶応3年)に徳川幕府・第15代将軍「徳川慶喜」が自ら徳川幕府による政権を天皇に返上した「大政奉還」の後に「徳川慶喜」への処遇をめぐり、1868年(慶応4年)に「新政府軍」と「旧幕府軍」の間で勃発した「鳥羽・伏見の戦い」が皮切りとなり「上野の彰義隊の戦い」のほか「会津戦争」さらに1869年(明治2年)の五稜郭における「箱館(函館)戦争」まで国内各地で繰り広げられた戦の総称となる「戊辰戦争」により、近代国家が誕生する大変革の過程の中で尽力し尊い命を捧げられた多くの方々の事績を永く後世に伝えるとともに御霊を慰めることを目的に祭神として祀られています。
その後も国内最後の大規模な内戦として知られる1877年(明治10年)の「西南戦争」などにより尊い命を捧げられた方々の御霊も祭神として合祀、1879年(明治12年)になると社号が現在の『靖國神社』に改称されています。
この『靖國』の社号については、「明治天皇」の命名によるもので平和な国家を建設する願いとして”国を靖(安)んずる”を意味する想いが込められています。
さらに諸外国との武力衝突による戦争や対外事変として1894年(明治27年)から1895年(明治28年)にかけて行われた「日清戦争」、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)の「日露戦争」、1931年 (昭和6年)の「満洲事変」、1937年(昭和12年)の「支那事変」、さらに1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)の「太平洋戦争」など国家のために尊い生命を捧げられた方々の御霊も合祀され現在では246万6千柱あまりの御霊が祭神として祀られており、「伊勢神宮」を本宗として「古事記」や「日本書紀」の神話に登場する「八百万神(やおよろずのかみ)」を祭神として祀る「神社本庁」が包括する日本各地の一般的な神社が属する包括宗教法人と異なり、『靖國神社』は単立宗教法人となっています。
今回は、平日の午後に「市ヶ谷」周辺を訪れた際に少し時間に余裕があったので初めて『靖國神社』を参拝しようと思い短時間でしたが正面から境内に入り「拝殿」で参拝してきました。
『靖國神社』正面から拝殿までの参道には、1964年(昭和39年)に再建された当時の最新技術による耐候性鋼板の表層を錆安定処理を施し落ち着きのある黒褐色が特徴的な再建時に国内最大規模の高さ25メートル・柱直径1.88メートル・柱(中芯)間幅19.56メートル・笠木長さ34.13メートル・総重量およそ100トンにもおよぶ「第一鳥居(大鳥居)」をはじめ、日本初の西洋式銅像として1893年(明治26年)に制作され「東京三大銅像」と称される「大村益次郎銅像」(台座を含む高さ12メートル)、1887年(明治20年)に当時の最先端技術を駆使し柱に継ぎ目をもたない青銅製鳥居として制作され、『靖國神社』境内の中で最も歴史の古い鳥居でもあり国内の青銅製鳥居の中で最大規模(高さ15メートル)となる「第二鳥居(青銅大鳥居)」、さらに1934年(昭和9年)に建立された直径90センチメートルの丸太柱が12本、扉1枚の寸法が幅およそ2.8メートル・高さおよそ6メートルの扉2枚1組となって建物3箇所に設置され中央2枚の扉に直径およそ1.5メートルの菊の紋章が取り付けられた木造(台湾産・総檜)・切妻銅板葺屋根の「神門」、2006年(平成18年)に埼玉県秩父市「三峯神社」の樹齢500年の檜から造られた素木の「中門鳥居」、1901年(明治34年)に建立された木造・入母屋向拝唐破風付銅板葺屋根の「拝殿」など境内各所に見どころの多い神社であり、特に「第一鳥居(大鳥居)」の規模や参道の広さ、「神門」の柱の太さ・扉の大きさに圧倒されました。
また『靖國神社』境内には、東京の桜・開花宣言の基準となる標本木があるなど桜の名所でもあるので機会があれば桜の咲く時季にあわせて立ち寄りたいと思います。 閉じる投稿日:2021/09/18
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大鳥居の先には
- 3.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 1
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大きな鳥居です。
- 4.0
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
- 1
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日本初の西洋競馬場の地
- 5.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
最寄駅の東京メトロ、及び都営地下鉄の「九段下」駅から100m程。なお、靖国通り沿いから入れる有料の駐車場があります。桜の... 続きを読む時期に訪れましたが、名所といわれるだけあり、見事でした。
旧別格官弊社、勅祭社、東京五社の一社。明治天皇の勅命により、1869年(明治2年)に、戊辰戦争に尽力した御霊を慰めるために建立した東京招魂社が起源だそうです。1879年には「靖国神社」と改名し、幕末から明治にかけての維新の御霊も合祀。現在、第二次世界大戦までの国のために命を落とした戦没者を英霊として祀っています。ゆえに、御祭神は、全ての英霊となります。
社殿は東向き。正式参拝しないと見られませんが、本殿のみ創建時の建物(1872年)で、次に古いのが東京の桜の標準木の後方にある能楽堂が1881年(1903年に芝から移築)、拝殿が1901年、神門は1934年に建立されています。現社地は、元々は江戸幕府の歩兵屯所地でした。この場所に目をつけたのが、境内の参道中央に銅像が建っている大村益次郎です。益次郎は維新の十傑の一人で、戊辰戦争では司令官補佐を務め、日本陸軍の創始者と言われる人物です。参道は靖国通りに平行して500m程におよぶ直線ですが、明治期は競馬場で、例大祭時に奉納競馬が行われていたそうです。日本初の西洋競馬場だったそうです。
閉じる投稿日:2021/09/26
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桜の広場に面しています
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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拝殿の目の前の門
- 4.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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初めての訪問
- 3.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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桜の標本木が満開になると賑わう
- 4.5
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 10
毎年3月下旬になると千鳥ヶ淵とセットで桜見訪問します。神社参道中央付近にある大村益次郎像を見上げてその先の第二鳥居をくぐる... 続きを読むと菊の御紋の神門が見えてきます。神門の奥に中門鳥居と拝殿があります。
神門をくぐり右手にある東京都の「桜の標本木」は気象庁の方が桜開花の確認で午前午後の一日二回確認に訪れるところです。その後ろにあるのは能楽堂です。
第二鳥居の手前に新しくできたお土産屋さんと喫茶室に人だかり、参道挟んだバス駐車場横の以前からある老舗店舗にはお客さんの入りが今いち。でもここのアイスおいしいです。そしてこの老舗店舗近辺にはトイレと喫煙所があるので重宝します。 閉じる投稿日:2021/04/07
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靖国神社の入り口の鳥居
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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風情のある庭園
- 4.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 2
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神門をくぐり、拝殿の前に立つ
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 4
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第一鳥居と神門の間
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 4
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拝殿前の鳥居
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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桜の標本木の左手
- 3.0
- 旅行時期:2021/03(約5年前)
- 0
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