2011/09/01 - 2017/05/01
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特に登山の技術など必要ないところを選んで海外登山に行っていたことがあった。いずれも歩き続ける根性があれば山頂までいける。
登山に関しての知識、技術ともほぼ初心者で、趣味といえるものでもなく国内ではまれに六甲山に足を運ぶくらい。
しかし思い返してみればなんだかんだで結構いっているのでまとめてみた。
2010年 マレーシアのキナバル山(4095m)
2010年 中国の崋山
2011年 エクアドルのコトパクシ(5897m)
2012年 インドのストックカンリ(6137m)
2013年 タンザニアのキリマンジャロ(5895m)
2014年 東ティモールのラメラウ山(2963m)
2014年 イランのダマバンド(5671m)
2015年 アメリカ・ハワイのマウナ・ケア山(4205m)
2016年 モロッコのツブカル山(4167m)
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キナバル山
マレーシアのボルネオ島にあるマレーシア最高峰のキナバル山 4095m
2010年10月27日に登頂。初めて海外で山頂まで登った思い出の山。
最低限の装備でOK。登山自体は1泊2日。友人のA.K氏と。
翌日は船でブルネイ・ダルサラームへ出国した。 -
キナバル山
山小屋以降は岩場。履きつぶしたテニスシューズで行った。
現地の子らやポーターは山小屋まではサンダルで登っていた。 -
キナバル山
山小屋までは大雨で雨具を持っていなかったので、散々な登山であったと記憶している。山小屋も、メインのところは整備されてシャワーもでるためかなり快適。
感覚的には富士登山よりも楽であったが、国試勉強で運動していなかったせいもあり同行したA.K氏はミオグロビン尿ぽいものが出ていたという。
私も翌日は全身筋肉痛で歩行もつらかった。 -
崋山
中国西安にある崋山。危険な山として有名。
中国横断の際に友人のY.K氏と立ち寄った山。2010年3月10日。
まだ雪が残っていたが普通の靴だったのですべって怖かった。
結局どこが頂上がわからずうろうろして時間がなくなり下山した。 -
崋山
ロープウェイで上がれる。
登山というかハイキングのような感じ。 -
崋山
この後に兵馬俑をみにいく予定であったが、雪で登頂、下山が遅れてしまい、兵馬俑についたときには閉館していたという苦い思い出がある。
結局西安に立ち寄ったが兵馬俑はみることなく次の町へ移動となった。 -
コトパクシ
表紙の写真もコトパクシの山頂のものである。
エクアドルの中央部、アンデス山脈中にあるコトパクシ(5897m)
2011年9月22日に登頂。
予約もしていなく、ふもとの町でガイドを200ドルで雇って行った。
なんの知識もないままの無謀な挑戦であった初の雪山登山であった。
もちろん初のアイゼンとピッケル。
1泊2日で登頂。前日に首都キトの4000m級の山に高度順応には行ったおかげか高山病の症状はでなかった。
エクアドルで買ったサングラスで紫外線防止がついていなかったのか登頂後に激しい雪目になり、下山中に左眼が見えなくなって命からがら下山した。
山小屋に戻ってきたときには右眼も視界がぼやけていた。
また水分をあまり持って行かなかったため急性腎不全のような状態になった。 -
コトパクシ
南米に行ったのも初めてであり、またかなり追い詰められた登山であったため、とても印象に残った山。
海外のネットの書き込みには初心者でもなんとかなると書いてあったがやはり欧米人と日本人では感覚が違う。ピッケルで簡単に登攀が必要なところもあったため登山経験のない初心者がいけるところではなかった。
どんなことでもなんとかなるさと適当に生きてきたツケが一気に出た登山であった。下山後、サングラスはしていたので雪目で目が見えなくなったとは思えず、脱水症状からの眼の動脈の閉塞などの怖い病気だと思い眼科病院に直行した。 -
コトパクシ
雪山はこのとき以来寄り付かないようにしている。
本来はその翌日に移動してチンボラソ(6286m)も挑戦する狂人的なスケジュールをたてていたが重症な雪目で視力がなくなったため、下山翌日は暗室で1日何も食べずに寝ていた。
このときは研修医1年目であり、帰国後翌日から仕事であったため、今考えるとよく行ったと思う。
この時を超える精神的、肉体的疲弊は現在31歳になったが未だ経験していない。なぜかこの登山から毎年1回は海外の山に登るようになってしまった。 -
ストックカンリ
インドのラダック地方、西ヒマラヤ位置するストックカンリ(6137m)。
2012年8月23日に登頂。土日とつなげた5日間の夏休みを利用して登山を決行した。前年5900m台に到達しても全然体調が問題なかったことから6000mもいけるだろうと思った。
実質7泊9日でありかなりの強硬日程であった。
カシミール地方にあり、飛行機での移動などをあわせると予備日もなく登って、下山してすぐ帰国したようなせわしない感じであった。
帰りのレーからデリーへの便は席がなく、ビジネスを利用したがインドの大物俳優(シャールクカーン)と乗り合わせた。 -
ストックカンリ
登山自体は4泊5日。
高山病症状も出なかった。
登山自体はレ―に着いた日にどこかの旅行代理店で申し込んだ。
貸し装備含め2万5000ルピー(約37500円)
ガイド、ロバ引き、テントや食料、水、調理器具を運ぶロバ4、5頭も含まれる。 -
ストックカンリ
靴は自分のサイズがなく、結局ハイキングシューズで登ってしまった。
雪面で引き返そうと思ったくらいなので登頂できてほんとに運がよかったと思う。
2回目のインドであったが、ラダック地方は喧噪もなく、また来たいと思える場所であった。お酒に弱いが下山後のキャンプで祝杯のビールを半分しか飲んでないのに意識が遠のき倒れてしまった。危なかった。 -
キリマンジャロ
アフリカ大陸初上陸であった。
タンザニアのモシから登ったキリマンジャロ(5895m)
2013年8月22日に登頂。
予約なしでモシについた翌日にどこかの旅行代理店で申し込んだ。
登山の予定をたててなくてもフラフラと町を歩いていたら嫌でも勧誘をうける。
結局1150$でのプライベート登山で同意した。
マラングルート、4泊5日、レンタル道具込、ポーター1人、コック、ガイド。
後に一緒になるアフリカ縦断中の日本人旅行者のM君は同じくチップ込で1000$といっていたから200$以上は損している。
語学力は交渉力にも直結する。 -
キリマンジャロ
出発口で知り合った個別にそれぞれ登山にきた年齢の近い日本人2人と登頂を目指した。そのうち一人には共通の知り合いがおり、世界の狭さを実感した。 -
キリマンジャロ
ベースキャンプからマウエンジ峰の写真。
このころは運動不足であり、登頂までの道のりはかなりきつかった記憶がある。合わない靴を履いていたため、数本の爪が剥がれ落ちてしまった。
日本には夜帰国して翌日から仕事の過密日程であった。 -
ラメラウ山
東ティモール最高峰。ラメラウ山(2963m)
地元の言葉でタタマイラウとも呼ばれ、「すべての父」と呼ばれ神聖視されてきたらしい。
いたってシンプルな登山道のはずだったが雨季ということもあり途中の豪雨、濃霧で遭難してしまい、一度登山口付近まで下山して再度頂上を目指すという2往復のハードな登山になってしまった。
東ティモールからはカンボジアで乗って以来久々にトラックの荷台での移動を経験した。
2013/12/31 バリ島
2014/1/1 バリ島
2014/1/2 東ティモール(ディリ→マウビセ)
2014/1/3 東ティモール(マウビセ→ハトビリコ、ラメラウ山登頂)
2014/1/4 東ティモール(マウビセ→ディリ→バリ島) -
ラメラウ山
写真はラメラウ山山頂の像
山頂に行くまでに体力の9割を使い果たした。
へとへとになってたどり着いた山頂のマリア像の神々しいこと。
正月で東ティモールでも田舎の村に来ていたためあまり食事もできず、下山時に低血糖のような症状で倒れかけた。 -
ラメラウ山
この山は登るより行くまでが大変だった気がする。
首都ディリから乗り合いトラックでマウビセまで移動し、そこからバイクで2時間ほどかけてハトビリコ村へと向かわなければならない。
帰りの乗り合いトラックは途中でエンストを起こし、インドネシアへの国際便に危うく乗り遅れるところであったのはいい思い出。 -
ダマバンド
イランのダマバンド(5671m)。
2014年9月13日に登頂。
とにかく砂煙がすごくて、口、鼻のなかが砂まみれになった。
寝袋はなしできたのでとにかく寒い。
ガイドは寝袋は山小屋で借りれると言っていたが。。
マットを毛布代わりにして寝ようとするが悪寒は止まらず。
すべての装備を着込み、何とか寝る。体調不良は過去最大級で発熱、嘔気がひどい。
4000mの地点で高山病の症状が出たことはかつてなかったため相当に焦る。ふつうに風邪をひいてしまっていたのかもしれない。
起きたら体調が良くなっているはずと期待していたが起床後も変わらず。さらに致命的であるのが水分、固形物両方とも受け付けられないほど嘔気があるということ。水分がとれないと高山病も悪化してしまう。キャンセルするかどうか最後まで悩んだ。性格上、いったん登り始めてしまったらキャンセルできずに、復路のことを考えずに倒れるまで行けるとこまで行ってしまい取り返しのつかない状況に陥る可能性もある。
しかし、酸素が薄いのも手伝ってか、お金も払ったし行かないと大損だと判断、朝7時半頃に決死の覚悟で登頂開始。
いつもと違うのはもう最初の30分からすでにバテバテであったこと。
それもそのはず、嘔気のため前日の夕食も水分もとれず腹の中は空っぽである。そして風邪+高山病症状が出ている。
ガイドもペースが早く、頻繁に休憩をとってもらう。
山頂までいつもに増してつらかった。
呼吸も1分間に60回くらいはしていた。
呼吸をすると砂煙が入ってきて口の中がじゃりじゃりなる。 -
ダマバンド
困難を極めたがついにダマバンドの頂上へ。
ひたすら登るだけの登山であった。
一応挑戦しといてよかった。
毎回予約なし、予備日なしの計画性のない現地次第での1発勝負だがすべて成功しており、運の良さに感謝、。
なぜかそんなに今回は感動なかった。
頂上になんかの動物のミイラの死骸がある、羊?
5671m中東最高峰に到達。 -
ダマバンド
体感的にはエクアドルのコトパクシの次にきつかっただろうか。
日程的にも登頂まで実質1泊2日と高度順応できる時間もなく頭痛などはなかったが、嘔気、食欲不振が出てしまい、エネルギーの補充ができなかった。
結局3日間で菓子類を無理やりいくつか食べただけなので、ホテルで鏡をみたらげっそりとさらにやせ細っていてギョッとした。
水分は頑張ってとっていたが3日間での総カロリー摂取量は1000kcalもとれていないであろう。
この登山相当つらかったため、下山と同時に結構高価であった登山道具を現地に捨ててきた。帰国してしまうと良い思い出に置換され、またどこかへ行きたくなるため、現地で即捨てた。 -
マウナケア山
アメリカ・ハワイのマウナケア山(4205m)
山頂には登れないが、山頂付近くまでツアーでいった。
すべて車。
2015年9月。 -
ツブカル山
モロッコのツブカル山(4167m)
2016年9月16日に登頂。ポルトガルからスペインにわたり、ジブラルタル海峡をフェリーで越えてモロッコ入国。登山はもうやめておこうと思っていたのだが日程が余っていたのでついでに登った。
写真はツブカル山の山頂。
登山自体は1泊2日。登山はイランのダマバンド以来2年ぶりだったためか、高山病の症状も出てしまい疲労困憊。 -
ツブカル山
ツブカル山へはマラケシュからプチタクシーで登山口の村にあたるイムリルまで行き、イムリルでガイドを見つけて登頂。ツブカル山登山は山小屋からはガレ場とザレ場をひたすら登っていく感じで、灰色の単調な景色でしたが山小屋に行くまでの道中は山々に囲まれた壮大な風景が続く。あまり登った山は多くないがスタートから山小屋まではちょうど数年前に登頂したストック・カンリと似た感じであった。 -
ツブカル山
帰路は途中からイムリルまで、疲弊したので2時間程ロバに乗ったが、座り方がまずかったのか、尾骨周辺に面積にして鶏卵ほどの大きな褥瘡ができてしまった。帰国便では座位姿勢をとるしかなく、痛みで苦しんだ。
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