2011/09/18 - 2011/09/25
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t-swanさん
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職場で1週間の休みをいただいたので、前々から構想を立てていた海外登山に行ってきました。
候補としてなんとなく4000~6000mくらいの登りやすそうな山を選びました。
・中国の大姑娘山(5025m)
・タンザニアのキリマンジャロ(5895m)
・パプワニューギニアのウィルヘルム山(4508m)
・モロッコのツブカル山(4167m)
・エクアドルのチンボラソ山、コトパクシ山(6267m、5897m)
を考えていましたが、結局日数と難易度を考慮してエクアドルの2山に登ろうと決めました。
アトランタ経由、デルタ航空の航空券をとったのが15日前と結構ギリギリで、出発前も仕事の関係でかなりどたばた
しましたが、初めて経験するピッケルとアイゼンを使ってコトパクシは登頂してきました。
登頂の際、経験の少なそうな若いガイドだったためか、軽く迷ったぽいたものの、高度障害もなく快調にとばしなんとか山頂にたどり着けました。
しかし、安物のサングラスを現地で借用したためか、下山の途中、雪目で左目の視力を完全に失い(右眼は軽度)、残念ながらギリギリの日程のため、次の日から予定していたチンボラソ登頂はあきらめました。下山時はいろいろと限界に達していたため写真をとる余裕も全くありませんでした。
下山時の恐怖を生涯忘れることはなさそうです。
海外旅行を繰り返すにつれ、刺激の多いことを求めるようになってきたのでちょうどいいタイミングで社会人になれてよかった。
初日にピチンチャ山(4600~4800m)で高地順応を済ませ、夕方からコトパクシ山にやや近いラタクンガへ。
英語の話せるガイドをさがしまわりました。どこの旅行会社で聞いても単独なら250$でした。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- デルタ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
キトからバスで2時間かけてラタクンガへ。
寝る場所とコトパクシ山へのガイドをさがす。
相場は単独だと250$。
確かthe best tourというとこにした。
別にこれといった決めてもなく宿に近いツアー会社を選んだ。
ラタクンガで高熱をだしてしまい1泊休養日を設けなければならず、コトパクシ登山(5890m)はエクアドルについてから4日目にずれ込んでしまった。
これでチンボラソ山(6310m)を登る場合、コトパクシ登頂の次の日からすぐにチンボラソ登山に移らねばならなくなり、計画が体力的に厳しくなる。
移動日も考えると不可能か。 -
1泊10$ちょっとの宿に宿泊。
病み上がりだったので来たるコトパクシ登山に備えてゆっくりしてました。
ドラえもん。
ジャイアンの声がかん高くて全くマッチしていない。 -
4日目の12時からコトパクシ登山へ出発。
結局午前8時30分に旅行会社に行き登山のレンタルした備品の調整などを行い、出発は12時。
指定された朝8時に行っても開いてなかったり、靴などの調整もかなり適当。こんなんでホントにいいのかと思いながらもガイドと2人で出発。
途中スーパーによって食料を買い込む。
運転中スモモやリンゴを渡してくれたので、仕方なく食べたが、洗ってなく、汚れもついていて山小屋で腹を壊さないか不安だった。 -
途中で道すがらの食堂で昼飯をとり、1時間弱でコトパクシ山への入口へ。
なぜか動物の骨が並んでいる。 -
山小屋へ。
砂煙が凄まじく、喉が痛くなる。行くならマスクは必須だと思った。 -
近くで見ると当たり前だがかなりでかい。。
こんな高さ登れるのかと不安になる。
ちなみに運動らしい運動は大学4年生でテニス部を引退し、大学5年生からはほとんどしていない。
社会人1年目であり、4月からした運動と言えば通勤のときの15分ほどの自転車と職場での階段の上り下りだけである。
アイゼンとピッケルの使い方だけは事前にネットで少し確認だけはしておいたが、未経験であった。
もちろん雪山登山も未経験。
なんかあったら自己責任。
無謀だったかと後悔しはじめる。 -
最近登山ぽいことをしたのは大学時代の友人たちと今年のゴールデンウィークに六甲山の魚屋道を歩いたことぐらい。
写真は日本の六甲山の一軒茶屋前にて。 -
駐車場に車を停め、荷物を担いで4800mの山小屋まで歩く。
高度障害が心配だったが、先日のピチンチャ山での高地順応が思いのほかうまくいったのか、全く大丈夫であった。
ちなみにアセタゾラミド(ダイアモックス)は使用しなかった。簡単に手に入るのが強みだと思っていたが、職場の外来で忙しい先生方相手に、1年目の若造が登山のためにダイアモックス処方して欲しいなどとは言いだしずらく結局入手できなかったのだ。
一応ラタクンガ市内の薬局で怪しげな頭痛薬だけは買っておいた。 -
山小屋。
正確には標高4810mのとこに建っている。
なかは結構綺麗。
この高さだと酸素は約半分になる。 -
山小屋からの風景。
-
山頂までの道のりはだいぶ険しそう。。。
風も強い。
アイゼンはドイツ語で英語ではクランポンと言う。
知らなかったため、クランポン、クランポンと言われて途中までなんのことだかわからなかった。 -
午後5時過ぎに夕食。
欧米人たちが肉、フルーツなど豪華な食事をしていたので自分もと期待したが、こっちはパンとスープ。
少し残念だが、食欲はあったためとにかく胃袋に流し込んだ。
さらに高山病を防ぐためにとりあえず水を大量に飲む。
アイゼンの使い方やピッケルの使い方を練習するといっていたが、結局しなかった。
装着の仕方だけ教えてもらいあとはぶっつけ本番らしい。。
”you can make it somehow, maybe. ”自分は運の良さだけは昔から人一倍強いという自信から大概のことは楽観的に構えることができるが、今回は生死にかかわるということで、就寝前に念入りに道具の確認をしておいた。
アジア系は1人だけ。途中で諦めたりしたら、次にこのガイドを雇う日本人がなめられると思い頑張ろうと思った。 -
名簿。
17人いたらしい。
名簿を見るとスイス人、オーストラリア人、フランス人、オランダ人、イギリス人、エクアドル人、日本人(自分)と多国籍。
近くで寝ていた人は高山病を発症しシット!シット!
と夜中に頭を抑えながら連発していた。
他人のうめき声を聞いているとこっちまでおかしくなりそうだったが、いつの間にか眠りにつけた。
山小屋の時点で結局4、5人が天候の悪化と体調不良で出発せずリタイアになった。
自分は第一関門は突破できたようだ。
午後7時前に床に入り、ぐっすりではないがまぁまぁ快適な睡眠がとれた。
夜中小便で外にでたときは、強風+雪でこのままだと中止かなと思った。 -
午前0時起床、午前1時前に出発。
体力をつけるために食べられるだけ味のないパンを胃袋に流し込む。
自分らの出発は最後だった。
何人かは土気色の顔でぐったりと横たわっていた。
”グッドラック。。”
ありがとう。 -
強風で砂煙が凄まじい。
何時間か強風の中赤土の斜面を登っていくと、雪面になり、ピッケル、アイゼンを装備し、アンザイレンした。
全く知らない人とザイルでお互いを結ぶのは、かなりのストレスだということはわかった、経験豊富なガイドだとしても。
アイゼンの装着の時、手袋を外したがすぐに装着しないと手が凍てつく寒さで麻痺する。
装着の仕方を練習しといてよかった。
手は仕事にもかかわってくるため、手袋だけはモンベルで一番いいのを揃えた。これは正解で、冷え性の自分でも終始指先の冷えに耐えれた。
四肢末端のケアはしたが、目のケアを忘れていた。
そもそもレンタルした荷物の中にゴーグルが入っていなかった。
確かに出発前に確認したのだが。。
普段のメガネに、ゴーグルなし、雪目ようにガイドに安っぽいサングラスを借りていた。不安だったがそのサングラスで大丈夫だと出発前にガイドは言っていた。
だが下山時悲惨なことになる。。 -
幸い心配していた高度障害もなく、先に登ったグループを抜いて順調に高さを稼いでいた。
しかし、途中でガイドがやたらキョロキョロして足跡をさがしたり、立ち止まる場面が多くなる。
おいおいまさか迷ったんじゃ。。
暗闇の中、何回かクレバスも越えたし、数メートルだが登攀も何回かあった。アイゼンとピッケルをを氷壁に打ち付け、登ったが、5000m以上の高所であり、力を使うと直後の疲労感が激しい。
確実に多少なりともコースからはずれていると感じ、どんどんガイドへの不信感が高まっていく。
もしこのルートが正しいコースで帰りも同じところを通るなら、自分の技術とこの装備では下山時にまず死んでしまうと思い、つたない英語で聞いてみると帰路はもっとなだらかだから心配ない、引き返す選択肢はなくとにかく上を目指すぞと。
休憩も立ち止まる程度で、ただひたすら歩いた。
初登攀がまさかこんな雪山で体験することになるとは。。
高いからと渋ったレッドブルをせめて出発前に飲んでくればよかったと後悔。 -
途中からはクレバスもなくなり、急な斜面が続く。
体ごと持ってかれそうな凄まじい強風に吹かれつつ、トラバース気味に上へ上へと一歩一歩登っていく。
自分は高所への登山の経験はないので、この強風が登山する人にとって日常なことなのかどうかは判断できないが、途中で撤退を考えてもいいのではないかと思うほどだった。
風圧でとにかく体がすすまない。
山頂がうっすらと見えてからはさらに足が重くなった。
呼吸の回数も増えてくる。
山頂までは、体力的にも余裕だなと感じたが、登山は登ったら降りなければならない、ただ、酸欠のためか下山のことなどどうでもよくなってくる。
5600mくらいまできただろうか、途中両目が見えにくいことに気付いた。メガネをみたら表面が吐く息で氷結していた。
汚い話だが、何回もメガネの表面を舌なめて氷を溶かした。ゴーグルを忘れたのは致命的なミスだったと実感。途中メガネを手袋で拭いているとき、不注意のため強風でメガネが飛ばされた。
斜面を転がり落ちずに済んだが、メガネがなくなったら大変なことになるところであった。
途中からは、無心でただただ、ガイドのあとについていくことに必死であった。かなりハイペースだったと思う、休憩させてくれ言ってもせかされ、結局持って行った昼食もとらなかった。
登山中、雪面に入ってからはどのグループのライトも見えなかったし、下山時のようなゆるやかなルートではなく、登攀やクレバスを含む複雑な地形が多かったことを考えると同い年くらいの若いガイドだし、途中、真剣に焦っているのを感じたので、軽く迷っていたのだと思ってしまう。 -
そんなこんなでやっとこさ山頂へ。
山頂に着くころには風も穏やかになった。
ガイドはやたらはしゃいでデジカメで写真をとってくれと何枚もとらせてくる。
写真は山頂にたつガイド。 -
普通はガイドがとるもんだろうと腹が立ったが、こいつを怒らせては日本に帰れんととりあえず付き合う。
写真を撮るためには外手袋をとらなければならず、内手袋だけでは手の冷たさが半端じゃないのだ。
低温によるバッテリーの消耗は激しく自分のデジカメは外気にさらすと10秒ほどでバッテリーのメモリが減っていった。
真偽は定かでないが、ガイドは頂上は−20度くらいだといっていた。
せっかく内ポケットで温めておいたのに、、自分のモデルは低温に弱いのか。。
この反省を生かして、翌年にヒマラヤの6000m級の山に登ったときは低温にも耐えられるデジカメを買っていった。
急いでガイドに登頂の証拠写真を撮ってもらう。
写真は火口だが、雪で下までみえず。 -
風で寒さが身に染みたが、山頂でも全く高度障害の方は大丈夫であった。
ただカメラで撮った写真がよく見えないことに気付いていたが、メガネの表面の氷結と光の関係だろうと気にしなかった。
今考えると雪目でこのときから視界がぼやけ始めていたのかも。 -
後に確認するとガイドを撮ったつもりが、画面がよく見えていなかったせいで全くとれていない。
目が少し痛かったのはあまりの寒さと強風のせいだと思った。
下山はゆるやかであったがとにかく大変であった。
ただ、どこまでも続く真っ白な雪山の景色ははじめのうちはクリアに見え素晴らしかった。
だが風も弱まり晴れているのに自分の視界はなぜか悪くなる一方であった。
そのときはまだメガネの曇りが原因だと思ったので何回も立ち止まってメガネをぬぐっていた。
氷結もしなくなったのになぜだろうと思っていた。
左目はなぜか途中から白い靄のような視界で数メートル先が全く見えなくなった。
うっすら白いもやがかかる、まだマシな右眼だけで歩いていたためペースが遅くなる。
ガイドがイライラし、やたら速く行けだの立ち止まるなとせっつき始める。覆っていた氷?が脆弱になりヒドゥンクレバスを踏みぬくぞというようなことを必死で説明してくれていたような気がする。
しかし、視界不良でまともに歩けなくなってくる。
自分もさすがに不安になってくる。メガネの曇りはとれてきたのになんで。。
メガネとサングラスをはずして驚愕、晴天の中、視界不良は変わらず。これはそもそも自分の眼が見えなくなっているんだと気付き、脱水による血流障害とかで眼の血管がやられたのかと一気に不安のどん底へ。
サングラスはしていたので、雪眼は頭になかった。
なんとか右眼は見えるので必死にガイドの青色の服をたよりに下山。 -
片眼が見えなくなったとは下山中伝えなかった。
お互いイライラしていたし、ホントに気が動転していて、精神的にも追い込まれていて人間不信に陥り、この高所で眼が不自由になったことを伝えたら、所詮2万円程で個人契約しているガイド、見捨てられるのではと思いとにかく必死。
今までの人生でこの時ほど“必死”という言葉が当てはまるときは後にも先にもそう何回もないのではないか。
少なくとももう経験したくない。
雪と土が混ざり始めた斜面で山小屋が途中でうっすら見えて来た頃、hurry up連発のガイドに自分のイライラも我慢の限界を超え、行きたいならさっさと行けよと言うニュアンスのことを言った。
こっからならなんとか山小屋も見えるしまぁ一人で休みながらゆっくりいっても大丈夫だろうとたかをくくっていた。
だがその後、右眼もさらに白いもやがかかりはじめ、視界があるうちにと最後の赤土エリア(富士山の砂走りに似てるかな)をアイゼンをはずすのも忘れ駆け降りた。
山小屋は見えていたが片目だけの視界のせいか方向が定まらずだいぶ遠回りしてしまう。山小屋に着いた時には右眼もひどくなっており、まさにボロボロの状態であったと思う。
脱水状態のため、とにかく水分補給。
もうこのころには右眼も見えなくなってきたため一人で不慣れなアイゼンもはずせない。
日本でも病院にかかるのは嫌いで滅多なことでは行かないが、眼が見えなくなったとガイドに伝え、ラタクンガで眼科に連れてってくれと頼む。
自分以外残っている登山者はいなかった。
山小屋の管理人?の方は症状からすぐにsnow blindness診断。
ただサングラスはしていたので、不思議だった。
写真は民間療法で大根の輪切りみたいなのを目に張り付けられ、ハンカチで固定している自分。 -
ラタクンガに着くまでずっと車中ずっと目を閉じていた。
見えるようになったかとハンカチを外して確認するも左眼の視界はほぼ真っ白。
右眼はなんとか近くのものが見えるくらい。
商売道具の手ばかり大事だと思っていたけれど、まさかさらに大事な目をやられるとわ。。
これはこのまま視力が戻らなければ異国の地で切腹せなあかんと真剣に考えた。
街の眼科に連れて行ってもらい、診察をうける。
高1のときにコンタクトをつくってもらって以来の眼科受信。
細隙灯顕微鏡らしきものでみてもらい”うん、snow blindness(雪眼炎)だよ、2日間安静にしてれば視力は完全に回復するよ”的なことをいわれたときには100$払おうかと思った。
サングラスはかけていたのになぜ?
→このサングラスUVカットがついてなかったらしい。。。エクアドルのサングラスは安価なものだとUVカットがついてないとのこと。日本では当たり前についているので、確認もしなかったのが失敗だった。結局瞳孔を広げるためだけに使っているようなものだったらしい。
そんなこんなで、丸1日間は部屋を暗くして寝ていたのでチンボラソへの挑戦は日程的にも不可能となりあきらめてしまった。
写真は医師が英語で書いてくれたメモ書き。
視力が復活してからバスでキトへと戻った。
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旅行記グループ エクアドル旅行記 コトパクシ(5897m)登頂へ~ 2011
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