2017/03/29 - 2017/03/31
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旅人のくまさんさん
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福岡をはじめ、長崎、熊本と佐賀の九州西北部四県のお城巡りです。日本百名城の6か城のほか、雲仙温泉の地獄巡りもできました。その中でも、地震の傷跡が今なお深い、熊本城には心が痛みました。福岡、長崎、熊本の三県は、私のルーツに関わる県です。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
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名古屋駅を早朝の06分に臨む97号で出発し、博多駅には10時27分に定刻通り到着しました。その後は、観光バスに乗って、ツアーでの九州西北部の四県巡りです。写真は最初の見学地、福岡城に向かう途中の博多市街の光景です。
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同じく、福岡城址に向かうバスの車中から眺めた博多市街の光景です。現在時刻は午前11時前ですから、朝のラッシュ時間帯を過ぎて、人通りが少ない時間帯になって来たようです。
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橋の上から眺めた、博多市街の光景です。那珂川か、あるいはその支流の博多川かも知れません。博多川は、那珂川から分流して博多区の市街地を流れ、須崎公園手前の須崎橋で再び那珂川に合流するようです。
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那珂川か、あるいはその支流の博多川と、その河畔の市街光景です。太宰府市の宝満山を源とし、博多区を流れて博多湾に注ぐ川には、御笠川もあります。博多区周辺では石堂川と呼ばれているようです。
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福岡城に到着しました。まだ蕾だけの桜の樹の陰からお堀と城跡が見えました。ここを通り過ぎて、少し離れた駐車場に向かいました。福岡城は、1600年の関ヶ原の戦いで大きな戦功を挙げた、黒田孝高(官兵衛)・長政親子が築いた巨城です。(同上)
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ちらほらと咲いた染井吉野の花と、その後ろに見えていた野面積(のずらつみ)の石垣の光景です。この辺りも、かつては福岡城の縄張りの中のようでした。バスを降りた、駐車場の近くの光景です。(同上)
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ここからは、バスを降りて、福岡城址に歩いて向かう途中の光景になります。通路の脇に、野面積の石垣が続いていました。かつての福岡城の縄張りの名残を留める石垣のようでした。(同上)
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野生的な外観を持った、野面積の石垣の角の部分のズームア光景です。角の部分は、表面を滑らかに加工された大きな石を組み合わせた、算木積(さんぎつみ)にされていました。(同上)
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バスの駐車場から、福岡城址の入口に向かう途中の光景が続きます。左手に見えていた藤棚の光景です。3月の終りの時期ですから、まだ目立った花芽や新芽は出ていませんでした。(同上)
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イチオシ
福岡城跡に到着しました。最初の方は現地ガイドさんの案内によっての見学です。入口にあった、『史跡・福岡城跡』の石標の光景です。国指定の史跡、江戸時代の城址です。日本百名城の85番に登録されています。(同上)
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『福岡城跡』の説明パネルの光景です。城址の各所に、同様の説明パネルがありました。福岡城の初代藩主、黒田長政公が1601年から7年の歳月を費やして築いたお城の歴史が概括されていました。黒田長政(1568~1624年)公は、黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男です。(同上)
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城址の要所に設置してあった、『福岡城物語』のタイトルがあった説明パネルの光景です。このパネルには、『三の丸(松ノ木坂)』の説明文がありました。かつての三の丸は、黒田藩を支える家老の屋敷などがあった場所と説明されていました。(同上)
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『福岡城物語・三の丸(松ノ木坂)』のタイトルがあった説明パネルの周りの光景です。石垣の下に平地がありましたが、この辺りにも武家屋敷があったようです。先程の説明パネルの古写真には、石垣の上の多門櫓や、隅櫓風の建物も記録されていました。福岡城跡には、『天守閣はなく、大中小の各天守台と47の櫓があった』とされますが、天守閣の有無については、今も議論があります。(同上)
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緩やかな勾配の『松の木坂』の光景です。説明パネルには、かつての『松ノ木坂御門』へ続く坂道と説明されていました。三の丸から二の丸への入口で、二の丸の北西側に位置します。入口に「福岡城跡」の大きな石柱があり、緩やかな勾配が続いています。この松木坂付近の現状は大きな改変を受けているようです。かつては坂の中間で左へ直角に折れ、その先に松木坂御門がありました。(同上)
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松ノ木坂とその脇の石垣の光景です。緩い上り坂の石段は、松ノ木坂の古写真にはなかったとされますから、観光地として整備された時に設けられた石段のようでした。(同上)
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イチオシ
松ノ木坂の脇の石垣のズームアップ光景です。立派な石材が使われた算木積のコーナー部分でした。周りの石垣も、野面積ではなく、おおきなせきざいがおおくつかわれた、打ち込み接ぎのようです。(同上)
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周りが低い石垣で囲われた広場の光景です。かつての二ノ丸址の一部のようでした。石垣の背後に見える樹木は、松の木ではなく、欅(けやき)でした。(同上)
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『二ノ丸址梅林』のタイトルの銅版が嵌め込まれた石碑の光景です。昭和50年(1975年)、福岡市長の新藤一馬の落款がありました。新藤一馬(1904~1992年)は、中野正剛の秘書を務め、政治家だった人です。第25~28代福岡市市長です。(同上)
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『二ノ丸址梅林』の光景です。福岡城址と、その周りは、『舞鶴公園』として整備されていますが、この場所以外にも梅の見所があります。また、福岡城は、舞鶴城の別名を持ちます。(同上)
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福岡城址の石垣と、梅林の光景です。染井吉野は、まだちらほらの状態でしたが、梅の花の時期は終わっていました。桜も梅も、バラ科の植物です。(同上)
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『祈念櫓』のタイトルがあった大きな説明パネルの光景です。少し拾い読みしますと、東北(丑寅)の鬼門の方角に建てられた櫓とされ、江戸時代には領民の安寧を祈って、僧侶による護摩祈祷が行われていた、と紹介されていました。説明図には、現在の櫓の4倍ほどの規模だったとされる祈念櫓と、護摩祈祷の様子がイラストで描かれていました。(同上)
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かつては、この建物の4倍ほどの規模とされる祈祷櫓の光景です。先程の絵図面には、狭間が付いた土塀で囲まれた、堂々とした隅櫓が描かれていました。護摩祈祷は、広場の小屋のような建物で行われていたようです。(同上)
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イチオシ
ズームアップした、祈念櫓の建物光景です。現在の祈念櫓は、福岡市指定の有形文化財です。その説明文には、『棟札によると万延元年(1860)3月に起工し、同年10月に竣工したもの』と記されていました。また、『大正初期の撮影と推定される写真によると、下見板張り、白漆喰の壁、軒先を方杖と軒桁で支える二層の櫓であり、現在復元された記念櫓とは著しく外観が異なっている』、と紹介されていました。(同上)
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祈念櫓があった高台から眺めた福岡城址と、その周りの市街光景です。眼下に見えるのは、球技場のようでした。(同上)
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福岡市により設置された、現況の平面図です。北方向は、左側になります。現在地が祈念櫓の近くに記されていました。(同上)
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咲き始めの染井吉野の枝先のズームアップ光景です。注意して探さなければ、まだ蕾ばかりの桜の花の状況でした。因みに、福岡のソメイヨシノの標準開花日は、2001~2010年が3月22日でした。予め決められた標準木に、5、6輪開花した時が開花日とされるようです。(同上)
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福岡市により設置された、現況の平面図の中に記されていた、『桜園』の光景です。残念ながら、今年の染井吉野は、開花が遅れているようでした。桜祭りの準備でしょうか、竹で作られた飾がありました。(同上)
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『福岡城物語・本丸』のタイトルがあった説明パネルの光景です。定説では、福岡城には、元々天守閣が建設されていなかったとされますが、その後に見つかった古文書から、『天守閣が建設され、後に取り壊された』とする、『幻の福岡城天守』をめぐる議論の最中と紹介されていました。(同上)
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福岡城の天守台跡の石垣です。福岡城は、別名、舞鶴城、初代福岡藩主の黒田長政が慶長6年(1601年)から7年かけて築いた福岡藩の居城でした。築城の際、元々の地名であった『福崎』を黒田家再興の地である備前国福岡(現在の岡山県)に因んで『福岡』と改め、これが現在の市名の由来となっています。(同上)
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天守台の石垣のズームアップ光景です。福岡城の天守閣の有無については、新たな議論が起きているようですが、CGの世界では、大天守と小天守の姿を見ることが出来ます。(同上)
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