宇宙からのUMAか?それとも侵略者か★パカル王を巡る謎/碑文の神殿
- 5.0
- 旅行時期:2015/12(約9年前)
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by ウェンディさん(女性)
パレンケ遺跡周辺 クチコミ:14件
パレンケ遺跡で一番有名な神殿と言えば、碑文の神殿だろう。
碑文の神殿は神殿13と呼ばれる神殿複合体の中の1つだ。
碑文の神殿の呼び名は、神殿内部から神聖マヤ文字を描いた石碑が617個も見つかったところからその名がついたのだが、碑文の神殿でのポイントは、そんなものではない。
1952年に碑文の神殿から出土したのは、パカル王の墓。
墓は、墓荒らしに荒らされていない完ぺきな状態見つかった。
発見者は3年の月日をかけ丁寧に発掘し、その結果、3mの壁の向こうに9m×4mの墓室をみつけ、その中から翡翠のお面を被った男性の遺体と豪華な装飾品が見つかった。
全身を辰砂で朱に塗られたこの男性がパカル王だ。
現在、碑文の神殿の中は立ち入り禁止となっていて神殿の中へは入ることはできない。
出土品はメキシコシティの国立人類学博物館に展示されているので、パレンケ遺跡と共に国立人類学博物館には足を運んでおきたい。
そして、パカル王が眠っていた石棺の蓋の模様。
この模様が、パカル王を巡る様々な憶測の元となっている。
この石棺の蓋に描かれているのは、ひとりの王の姿。
しかし、その王:パカル王の絵姿はマヤ時代当時の科学技術から考えられないような物。
パカル王の姿は、機械仕掛けの箱の中に入り、その機械を操作しているかのよう…。
そう、今でいうならば、その機械とは宇宙船みたいなモノ。
石棺の蓋には、現在から1500年以上も昔に存在するはずのない、機械の回路のようなモノまで描かれていた。
一部の研究者は、パカル王は宇宙からやってきたUMA(未確認動物)であり、パカル王がもたらした宇宙からの何らかの影響で、マヤ文明が飛躍的に発達を遂げる礎を築いたと考えている。
この石棺の蓋についての現在有力視されている近年の研究結果は旅行記に記してあるが、宇宙人が関与して文明が発達した…とする説もロマンあふれていて、旅の楽しみがさらに増えるのではないかな。とも思える。
- 施設の満足度
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5.0
- アクセス:
- 5.0
- パレンケ遺跡内
クチコミ投稿日:2017/01/04
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