2016/05/27 - 2016/05/27
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frau.himmelさん
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朝から精力的に、冷戦時代の米ソのスパイ交換が行われたグリーニッカー橋、広島・長崎に原爆投下命令が出されたトルーマンハウス、それにユダヤ人画家で、ナチスのホロコーストに翻弄されたマックス・リーバーマンの邸宅を訪れました。
これで最後ではありません。
もう1箇所、ここも世界の歴史を大きく塗り替えた場所、ベルリンの壁崩壊の端緒となったボルンホルム通り検問所跡を訪ねます。
28年間東西ベルリンを遮っていたベルリンの壁は、一人の勘違い報道官と一人の勇気ある国境警備官によって、無血で開放されたのです。
最初に壁が開かれたボルンホルム通り検問所の1989年11月9日の映像をユーチューブで見つけました。私の下手な文章ではこの感動の情景は伝わりませんので、併せてごらんになってください。
押し寄せた群衆に抗えず、独断で遮断機を上げた国境警備隊員イエーガー氏のインタビューと、当日の混乱した状況。世紀の勘違い男、シャボウスキー氏も出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=YFnnEqxswG4
詰めかける群衆を前にして混乱しているボルンホルム通り検問所の様子と、ゲートが開いて喜び勇んで西へ飛び出す人々の感動の瞬間。
https://www.youtube.com/watch?v=3bN9ZRj3NBs
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ヴァンセー駅からSバーンでボルンホルム通り駅に到着。
ここは東西分断時代は国境線上にあり、この駅も幽霊駅でした。
駅の階段を上ると・・・。 -
ホームの階段を上り、駅を出るとこの橋が目の前に現れます。
なんだか懐かしい橋です。
1989年、ベルリンの壁が崩壊したときに何度も何度もテレビで映し出された橋です。 -
橋の名前はベーゼ橋。
ここにも落書きがありますが、よく見ると文字が刻まれています。
1961年から1989年までDDR(東ドイツ)の国境検問所があった。
1989年11月9日にドイツでいちばん最初に国境が開かれた・・とあります。 -
さてどちらが東ベルリンでどちらが西だったんだろう?
まず右に向かってみます。
記念碑がないからこちらは西ベルリン側だったようです。 -
それでは引き返します。
かなり古いガス灯(?)、歴史を感じさせます。 -
あそこに人が集まっています。
手に手に資料みたいなものを持っていますから、向こう側が東ベルリン側のようです。 -
目指すものが見つかりました。
こここそが、最初に冷戦の扉が開かれた「ボルンホルム通り検問所」があった場所なのです。 -
検問所の扉が開かれた1989年11月9日を記念して、この国境検問所跡地は「11月9日広場」となりました。
-
東西を遮っていたベルリンの壁も残っています。
実際にここにあった壁なのです。 -
そしてここには、壁崩壊の日の緊迫した写真や資料のパネル展示があります。
-
また地面に目をやると、あの日に起きた出来事を時系列に記したプレートが埋め込まれています。
-
では、私もパネル写真とこのプレートであの日を振り返ってみたいと思います。
その前にここにいたるまでのDDR(東ドイツ)の直近の様子はどうだったかを調べてみました。
この年の夏ごろから、東ドイツ政府の腐敗と厳しい締め付けに絶望した人々が、西ドイツに流れ込む現象が拡大しました。 -
プラハやワルシャワの西ドイツ大使館には、亡命希望の東ドイツの人々が殺到しました。
8月19日、ハンガリー国境ショプロンでは「汎ヨーロッパピクニック」という名目で多くの東ドイツ市民が脱出に成功し、
10月9日、ライプティヒでは7万人のデモ、それに端を発し、各地で政府への抗議デモが相次ぎました。
(写真はライプチヒの月曜デモ、2014年ALKADENの展示より) -
それらを押さえることが出来なくなったDDR政府は、国民を懐柔するためには出国の規制を大幅に緩和するしかないと考えます。
そこで「個人旅行は理由の如何に関わらず、申請すれば直ちに許可される」という改正案が作られましたが、これは国境警備隊などへの周知の時間を考え、翌日に発表されることになっていた。
11月9日の記者会見の様子。ユーチューブより写す -
そこへ登場するのが勘違い男のギュンター・シャボウスキー政治局広報官。
彼は渡された旅行法の改正案をよく読まずに記者会見に臨みます。
これが11月9日18時ごろです。 -
この法令はいつから施行されるのかと言う記者の質問に、混乱した彼は
「直ちに」と答えてしまいます。
プレートにシャボウスキーの名前と「sofort:直ちに」という文字が見えます。 -
20時、東ドイツ公共放送でも「DDR(東ドイツ)、西への国境を開放」との放送が。
-
この大ニュースは瞬く間に国の内外に発信され、東ベルリンの人々は続々と検問所に詰め掛けます。
驚いたのは何も指示を受けていなかった国境警備隊。 -
ボルンホルム通り検問所職員のイエーガー中佐は電話で上司に指示を仰ぐも、「そんな指令は何も受けていない。そんな馬鹿げたことで電話してきたのか!」といわれる始末。
写真はユーチューブで取った、ボルンホルム通り検問所のイエーガー元国境警備隊中佐 -
その間にも検問所の周りには車や人の列が何キロにもわたって伸び、遮断機の前では「開けろ!開けろ!」の大合唱。
このままでは軍隊が鎮圧に乗り出すかも知れない、人々が将棋倒しや乱闘になって死傷者が出るかも知れないと考えたイエーガー中佐は、自分の意思で遮断機を上げました。 -
遮断機が上がり、われ先に飛び出す東ベルリン市民。
喜びの笑顔に包まれた人々が、検問所を抜けて、長い間憧れ続けた西側へ走っていく。 -
押し合いへしあいゲートを出ようとしている人々の表情は、みんな幸福感に溢れています。
28年間も東西ベルリンを塞いできたベルリンの壁がまさに今崩壊した瞬間なのです。 -
イーストサイドギャラリーのベルリンの壁に描かれているこの有名な絵は、この時の情景なのですね。
阿鼻叫喚と言った図なのに、みんな幸せそうな顔をしている理由がわかりました。 -
翌日も国境を越えて東・西ベルリンを訪れる人の波は衰えなかった。
人々の気持ちの中には、簡単に壁が開放されたことが信じられず、どうせまた近いうちに封鎖されるんだろうと考えていた人も多かったようです。 -
国境が閉鎖されていた当時のベーゼ橋の様子。
-
28年間ベルリンを分断していた「鉄のカーテン」は、一人の勘違い報道官と、一人の勇気ある国境警備隊員とにより、一滴の血も流すことなく平和裏に開放されたのです。
写真は後日テレビ出演してそのときのドラマを語る故シャボウスキー氏。 -
この歴史的場所に立ち、私が「おや?」と思ったことがありました。
ベルリンの壁に沿って並んでいるこの木は?
間違いなく桜の木です。 -
後で調べると、壁崩壊直後の1990年、テレビ朝日が視聴者から寄付金を集め、ベルリンの壁跡にそって桜の木を植えよう!という「桜キャンペーン」をやったのだそうです。
春になると美しいピンク色の花を咲かせ、ベルリンっ子の目を楽しませてくれることでしょう。 -
そろそろ私も検問所を抜けて西ベルリンに戻ります。
-
駅のホームから、近くの空港を飛び立って低空を飛んでいる飛行機が見えました。
ベルリンが分断していた当時、周りを壁で囲まれ、兵糧攻めにされた西ベルリン市民のために、米軍は空輸作戦を実行しました。
生活物資はもとより、燃料やライフラインの機材なども送り込んだのでした。 -
Sバーンに乗りぼーっと車窓を眺めていたら、フンボルトハインあたりだったでしょうか、まだ残っているベルリンの壁を見つけました。
あわてて撮ったのでかなりぼけぼけ写真です。
それにしてもベルリンの壁がまだ撤去されないで残っているところもあるのですね。 -
ボルンホルム通り駅から20分ほどでポツダム広場駅に到着しました。
-
壁が崩壊して急激に開発が進んだポツダム広場。
-
私は1995年にもベルリンを訪れたことがありあます。
その頃はこのポツダム広場も、背の高いクレーンが林立しており、工事用車両が唸りをあげて走り回っていました。
あれから20余年、この広場は激変しました。 -
ポツダム広場の象徴、ヨーロッパ初の信号機。
注意しないと見えませんが、時計の上に赤信号が見えます。
一応今でも信号機として機能しているのですね。 -
ここにもベルリンの壁は残っています。
-
ソニーセンター。
私はちょっとこだわりをもって、食事をするためにここにやって来ました。 -
ここ「Josty」。
ベルリン天使の詩に出てきた場所です。
今回のベルリン一人旅はこの映画もテーマの一つ。
どういうレポートができるか・・・(笑)。 -
まずは空いている席に座り白ワインを注文しました。
そしてちょっと(かなり)躊躇したけど、背負っていたリュックを、隅の目立たない椅子にテーブルで隠れるように押し込んでトイレに行きました。
貴重品はポシェットに入っているからという安心感が、そんな大胆な行動をさせたのでしょうね。 -
そしてトイレから帰ってきたら、私のリュックがないのです。
一瞬頭が真っ白になりました。
テーブルの上には既にワインが乗っています。
ウェイターさんなら何か知っているかも・・・。 -
恐る恐る担当の中年ウェイターさんに尋ねました。
「あの〜〜、私のリュックがないのですがご存知ありませんか?」。
そうしたらそのウェイターさん、真っ赤になって怒り始めました。
「荷物を置いて席を離れたらダメじゃないか!なくなったらどうするつもりだ!・・・・」と言っているようです。
そんなに怒らなくてもいいのに、と思うほどの厳しい口調。周りの人がこちらを見ています。
そしておもむろに店の中から私のリュックを持ってきてくれました。
私が置きっぱなしにして席を空けたので、心配して中で保管してくれていたのです。
「すみません・・・・」って謝るしかありませんでした。 -
彼が機転をきかせてくれたから盗難に遭わなくてすんだけど、こんなときも、もう3人旅ではないんだーって思いましたね。
一人旅ではレストランでトイレに行くときもリュックを背負っていかなければならないのかーー。
同行者や夫に薦められて今回初めてリュックの旅をしています。
まだ慣れないせいかどうも私にはリュックは合わないみたいです。 -
ワインはリースリンク。
お料理は「ベルリン料理」の中から選んだのがこれ、どう見てもハンバーグステーキです。
デミグラスソースがとても美味しかった。
マッシュポテトににどうしてストローが?、実はこれはアサツキなのです。 -
お値段は、合計で17.5ユーロ。
20ユーロ出してお釣はいいですと言って、さっきのウェイターさんにチップにさし上げましたけど、あれでは少なかったかな?
どうもありがとうございました。 -
食事を終えてソニーセンターを後にします。
-
-
ポツダム広駅からSバーンで中央駅に向かいます。
今日はスパイ交換のグリーニッカー橋、トルーマンハウス、それにリーバーマン・ヴィラ、ボルンホルム検問所跡まで出かけて、精力的に歩きました。
明日は絶対足が痛くなるわね。帰ったら湿布をして、明日朝はちゃんと薬を飲まなければ。
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この旅行記へのコメント (15)
-
- mistralさん 2017/06/26 22:38:58
- 壁崩壊。
- himmelさん
こんばんは。
再び、この旅行記に戻ってきました。
ライプツィヒの大規模デモから壁崩壊に至るまでの流れ
himmelさんの旅行記はわかりやすく解説されていまして
私にとりましてはバイブルです!
あと二編ほどでやっとベルリンの旅行記が終わりますが
どこかでhimmelさんのこの旅行記を引用させて
いただいても、宜しいでしょうか?
旅をして、帰国後旅行記を書いていて
ベルリンは特別な地、という思いが強くなって
きております。
たった一度の訪問では、歩いただけの薄っぺらな
旅行記になってしまっています。
また行ってみたいです。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2017/06/28 09:36:22
- RE: 壁崩壊。
- mistralさん、おはようございます。
コメントありがとうございます。
ベルリンの合間にライプチヒにも行ってらっしたのですね。とても充実した優雅なライプチヒ・ライフを楽しまれたようで、楽しく旅行記拝見させていただきました。
> ベルリンは特別な地、という思いが強くなって
> きております。
同じ思いを抱いてくださる方が増えてうれしいです。
まだベルリン旅行記があるのですね。楽しみです。
> あと二編ほどでやっとベルリンの旅行記が終わりますが
> どこかでhimmelさんのこの旅行記を引用させて
> いただいても、宜しいでしょうか?
mistralさんにそう言っていただけるなんて、本当に光栄です。
お役に立つことがありましたら、こんなうれしいことはありませんので、どうかお使いください。
私もまだ昨年のベルリン旅行記が少しばかり残っています。
早く仕上げてしまわなければ、今年の旅の準備もできません。
さあ、頑張らなければ・・・。
himme
- mistralさん からの返信 2017/06/28 12:21:40
- RE: RE: 壁崩壊。
- himmelさん
ありがとうございます。
himmelさんのベルリン編、続きも
あるのですね。
楽しみに、アップをお待ちしております。
mistral
-
- mistralさん 2017/05/20 14:34:58
- 壁崩壊の瞬間に。
- frau.himmelさん
今日は。
mistralです。ご無沙汰しておりました。
この度はベルリンの旅行記にお立ち寄り下さり
その上投票までしていただき、ありがとうございました。
ドイツにとってもお詳しいhimmelさんから投票いただき
恐縮しております。
ベルリンは今回初めての訪問となりました。
行ってみて初めて、一つの都市が分断されていたことの
現実の姿がどういうことかを実感致しました。
その歴史を踏まえて見ると、分断されていた壁の崩壊、
その瞬間を旅行記として取り上げられました
この旅行記は、まるで映画を見ているかのような現実感を
伴って胸に迫りました。
数多くの旅行記の中で、まずはベルリン関連の旅行記を
拝見しながら、今回の旅の復習をさせていただきます。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2017/05/20 22:01:22
- RE: 壁崩壊の瞬間に。
- mistralさん、こんばんは。
お久しぶりです。
こちらこそ、ベルリン旅行記にいくつも投票いただきましてありがとうございます。
私は4トラベルをドイツ新着順に設定しておりまして、先日懐かしい方のお名前を見つけましたもので、さっそく拝見させていただきました。
mistralさんもベルリンにいらっしたのですね。しかも私が訪れた同じ5月に。
相変わらず、華やかで細やかなご旅行記、同じベルリンでも私の地味な旅行記とこうも違うものかと思ってしまいました。
ご主人さまは統一前のベルリンにいらっしたことがあるのですね。
あまりの変貌ぶりに驚かれたことでしょうね。
まだmstralさんのベルリン旅行記、続きますよね?
楽しみにしています。
himmel
- mistralさん からの返信 2017/05/21 18:19:40
- RE: RE: 壁崩壊の瞬間に。
- himmelさん
メッセージを、ありがとうございました。
> こちらこそ、ベルリン旅行記にいくつも投票いただきましてありがとうございます。
>
> 私は4トラベルをドイツ新着順に設定しておりまして、先日懐かしい方のお名前を見つけましたもので、さっそく拝見させていただきました。
そのような設定もできるんですね。
> mistralさんもベルリンにいらっしたのですね。しかも私が訪れた同じ5月に。
そうなんですね。
五月というと、どこかへ旅立ちたくなる季節ですね。
> 相変わらず、華やかで細やかなご旅行記、同じベルリンでも私の地味な旅行記とこうも違うものかと思ってしまいました。
初ベルリンですので、どうしてもメインのスポットを訪れることになります。
この後も、そんな感じが続きます。
そんなことから、華やか (かどうかは?ですが) な印象になるのでしょうか。
それに比べましたら、himmelさんは数度目ですから、マニアックな (御免なさい)
旅行記でらっしゃいます。私はそんなマニアックさ!が大好きです。
> ご主人さまは統一前のベルリンにいらっしたことがあるのですね。
> あまりの変貌ぶりに驚かれたことでしょうね。
全くイメージが覆されたようです。
そういう意味でも、今回訪問してみて良かったです。
> まだmstralさんのベルリン旅行記、続きますよね?
> 楽しみにしています。
ありがとうございます。
宜しかったらまたお立ち寄り下さいませ。
mistral
-
- ぶどう畑さん 2016/07/10 16:36:54
- 断然リュック派!
- himmmelさん
ぶどう畑です。
早速、カナダの旅行記にお越しいただき、ありがとうございました!
himmelさんの、ベルリン関係の解説、とてもありがたいです。
いろいろなことが学べました!
さて、カバンですが、私は断然リュック派。普段もです。
両手が使えて、カバンの重さが両肩に均等にかかるから。
himmelさんが、これまでの旅行で、トイレに行くのに躊躇なくカバンを持っていったけれど、今回、席に置いて行きたくなったということは、サイズが大きいのでは?
最近、リュックが流行っているそうで、バッグ売り場に置かれているリュックも、バリエーションが増えましたよ。
山用のリュックも子ども用がありますから、汗をかくアジアの旅では、コレ。
都市などの場合は、洋服も違ってきますから、あまり無骨でないリュックといったように、使い分けてます。
そうそう、世界ふしぎ発見のミステリーハンター、竹内 海南江さんが、ご自分の経験を活かしてバッグをデザインしてるの、ご存知ですか?
https://www.ace.jp/kanana/
トイレに行くのに、以前はどうされていたのでしょうか。
オーダーの後に、「トイレはどこですか?」と聞くと、ウェイターさんは、この人、席を外すんだな思ってくれます。戻ったら、誰かが座っていたという経験はないかも。(笑)
列車ではちょっと困りますが、指定席でなかったら、周りの人が「私がそこに座っていた」を認識してくれていると信じて、ガイドブックのコピーとか、スカーフとか、差し障りのないものを置いていきます。
- frau.himmelさん からの返信 2016/07/11 21:27:31
- RE: 断然リュック派!
- ぶどう畑さん、こんばんは。
充実のベトナム旅行記も終わりましたね。私にとっては未踏の地なので、大変興味深く拝見しました。
そしてカナダ旅行記もう始まっているじゃない?。
私はこちらも未踏の地。
初回からいいな〜いいな〜て見せていただきました。
これからの続きも楽しみですが、あまり早く進まないでね。遅読なものですから(笑)。
さて、ぶどう畑さんは普段もリュック派なのですね。
私は小学校の遠足以来背負ったことがない(笑)。
旅先で街歩きは斜め掛けのポシェットにトートバックを肩から掛けています。
ずいぶん前から女性の方もカッコ良くリュックを使いこなしていらっしゃいますね。私もやってみようかなと思わないでもなかったのですが、荷物を出すのにいちいち背中から降ろさなければならない不便さを考えると、ちょっとねー・・・でした。
夫は前からどこに行くのもリュックでしたから、リュックはいいよ〜、って言われていたのです。
今回は同行者からも薦められ、ついにリュックデビュー。
でも、カメラはすぐ取り出せるところに、ガイドブックも、メモ帳も筆記用具も・・・、なんて考えて結局今回はリュックのほかに大きめのポシェットをもう一つ持っていくことになって。
ですからリュック自体はそんなに大きくないのです。
竹内海南江さんのリュック、実は今回の旅にI女史が新調したんだと持ってきていました。
私のはあれと同じくらいか、あれよりちょっと小さいくらいですよ。
今までは一人旅でレストランでトイレを使うときは、食事のあとポシェットとトートバックですから持って行ってました。
今回はリュックを背負ったまま用を足す姿がどうしても想像できなくて・・(笑)。みなさんどうしていらっしゃるんでしょう?
なんて言いながらも、リュックだと両手が使えるのはいいですね。それからかなり重たいものでも楽ちん。
何だかんだ言いながらも、せっかく買ったリュック、次回の旅でも活躍してくれると思いますよ。
> 最近、リュックが流行っているそうで、バッグ売り場に置かれているリュックも、バリエーションが増えましたよ。
そうなんです。今回のを選ぶのに、ずいぶんいろいろ見て歩きました。
早く私もリュックになれなければ・・・。
himmel
- ぶどう畑さん からの返信 2016/07/11 22:10:22
- RE: RE: 断然リュック派!
- himmelさん
ぶどう畑です。
旅行記、次の旅行が決まっているので、せっせとアップしなければで…。(汗;
9月に、多分、イトコを訪ねてジャカルタです。
ドイツにハマって、ドイツのあちこちを訪れるのも楽しいのですが、自分の枠を抜け出すのも、視野が広がっていいもんだ、と思うことも。
旅行記、どうぞゆっくり覗きに来てください。訪問いただけるだけで、感謝!
竹内海南江さんのリュック、ご存知でしたか。
そういう大きさのリュックだったから、なおさら、お店の人は驚いたんでしょうね。貴重品入れたままで、置いて行くなんてと。
リュック、そうなのです、いちいち背中から降ろさなければならない不便さはあります。
私は、ガイドブックを持ち歩くと重いので、必要なページをコピーして行きます。四六時中、ガイドブックを見ないでしょう?
地図のページを見ることが一番多いので、小さくたたんで、ポケットに入れてます。失くしたりするので、余分にコピーしたり。(^^;
必要なくなったら、コピーは捨ててくる。
ドイツの場合、古くなったガイドブックを引き裂いて、念のため、持って行きます。情報は多少古いですが、本当に行きたい場所はコピーがあるので。
メモ帳は、リュックの脇ポケットに。
お財布を出し入れしたくないので、バスなどに乗る小銭は、ズボンやコートのポケットに入れてます。
カメラは、ずっと肩に架けたり、手に持ったまま。後は、首にかけるか。
ご参考になれば。
トイレでは、カバンを架けるところがありませんか?
ない時は、タンクの所とかに置きます。
しょったままは、あまり経験なし。それは、リュックでなくてもです。
あまり、参考になりませんでしたね…。(笑)
次の旅行も、リュックでぜひ、お出かけください!
- frau.himmelさん からの返信 2016/07/11 22:41:07
- RE: RE: RE: 断然リュック派!
- ぶどう畑さん、またまた旅の知恵、いろいろありがとうございます。
> しょったままは、あまり経験なし。それは、リュックでなくてもです。
そうですよね〜(笑)
後で考えて、リュックは降ろせばいいんじゃないって。
リュックのイメージがどうしても背中って感じで、四六時中背負っていなければならないのかと。
だからなのね、今回背中にリュックがあることを忘れて、そのまま椅子にどっかと腰かけて、中のものが潰れちゃった、なんてことが何回あったことか。
笑い話です。
次回の旅ではもう少し、リュックと仲良くなります。
ぶどう畑さん、もう次回の旅行決まっているのですか?
いいな〜。旅行記と計画作りと忙しくなりますね。
himmel
-
- ペコリーノさん 2016/07/09 12:11:58
- ここへ行きたかった!ボルンホルム検問所。
- frau.himmelさん、こんにちは
この冬のベルリン訪問で是非とも行きたいと思っていたのが、この「ボルンホルム検問所跡」なんです。さすが、himmelさん、ありがとうございます。
2年前の11月9日の「ベルリンの壁崩壊から25年」にベルリンへ行ったときに、この「勘違い」でベルリンの壁が開いたことを知って、次はここへ行こうと決めていました。
Jostyの店員さん、いい人だと思います。親身になって心配してくれたんですね。東京の下町の頑固なおじさんみたいじゃないですか。
トイレは難しい問題ですが。
私はベルリンの地図やペットボトルを入れている小さいバッグを置いたり、レストランの席につく前にトイレに行って、それから席を探して注文をしたりします。
後は、お店を出る前とかですか。
以前、スやイス人の従兄弟に「レストランやお店でトイレを借りるのに、そんなに恐縮しなくても良いんだよ」と言われたので。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2016/07/09 17:28:23
- RE: ここへ行きたかった!ボルンホルム検問所。
- ペコリーノさん、こんにちは。
2通もコメントをありがとうございます(笑)。
1通はこちらで削除いたしました。こちらでしか操作できないんですものね。
12月にボルンホルム検問所跡にいらっしゃるのですか。
そうですよね、壁崩壊25年に現地にいらっしゃったペコリーノさんですもの、11月9日の歴史的記念の地には行きたいですよね。
今回行って見て、ベルリンの壁があんなに残っているのにはびっくりしましたし、日本の桜並木はとてもうれしかったです。
ところでJostyの店員さん、そう、そうなんです。
あんなにどなられたのに、ちっとも嫌な気持ちはしなかったのです。
ほんとに下町の頑固おやじさんみたいで親身に心配してくれたのがわかりましたから。
一人旅でトイレの問題はいつも考えさせられますね。
列車に乗っていても、荷物を置いて行っていいものか、かといって何かおいていかないと席を取られちゃうんじゃないか、とか。
私も列車の中ではガイドブックなどを置いて行きますが、レストランではどうしたものか。
そうだ、列車と同じで、お水やガイドブックの小さな袋を用意しておけばいいのですね。
今回初めてリュックデビューだったものですから、悩んでいました。
ありがとうございました。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2016/07/09 19:00:30
- RE: RE: ここへ行きたかった!ボルンホルム検問所。
- frau.himmelさん、お返事ありがとうございます。
>
> 2通もコメントをありがとうございます(笑)。
> 1通はこちらで削除いたしました。こちらでしか操作できないんですものね。
ごめんなさい。私は普通にスマホからメッセージを送っただけなんですが、後で見てビックリです。
> 12月にボルンホルム検問所跡にいらっしゃるのですか。
> そうですよね、壁崩壊25年に現地にいらっしゃったペコリーノさんですもの、11月9日の歴史的記念の地には行きたいですよね。
そうなんですよ!
歴史って知れば知るほど面白いですよね。
タイムリーな旅行記、ありがとうございます。
これからますます旅行も大変な世の中になっていくんでしょうか。お互いに一人旅は、安全に気をつけましょうね。
ペコリーノ
-
- norisaさん 2016/07/09 05:44:53
- 歴史のうねりは永遠にーー
- frau.himmelさん
おはようございます。
ベルリンの壁のお話し、興味深く拝見しました。
こんな顛末は知りませんでした。
勘違いと英断、これは科学も政治も動かしてきた主要因のひとつひとつだったと再認識した次第です。
やはり人工的な隔離はなかなか成功しませんね。
現生人類はアフリカを旅立って自由に世界中に散らばったわけで、人類=自由移動人だからですね(笑)
とはいえ、南北朝鮮国境はもちろん、今や難民による国境封鎖が欧州の流行り。
これはどうなるのか予測がつきませんが、歴史の大きなうねりのひとつとして注視したいものです。
ところでリュック紛失事件!
一安心ですが、そのボーイさんの態度も日本では考えられませんね。
ドイツですからチップをあげますが、日本だったらチップをもらいたいところです(笑)
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2016/07/09 17:06:14
- RE: 歴史のうねりは永遠にーー
- norisaさん、こんにちは。
コメントいつもありがとうございます。
ベルリンの壁が出きてから28年、その前の冷戦時代からすると44年も続いてきた東西の分裂、案外簡単に崩壊してしまうものですね。
もっともその前から民主化の波で、チェコもハンガリーも東欧圏が軒並み社会主義政権が倒されましたから、早晩ドイツもそうなる運命であったとはいえ、そのきっかけを作ったあの二人は英雄でしたね。
あの、勘違い報道官のひょうひょうとした顔、いいですね〜(笑)。
でも難民移入による国境封鎖の波、歴史は繰り返すといいますが、いったいどうなっていくのでしょう。
それからリュック問題。
いや〜〜、怒鳴られてびっくりしましたが、実はあんまり嫌な気持ちはしなかったのです。自分が悪いことはわかっていますから。
そうでなければ、この私が珍しく2.5ユーロもチップを出すわけないでしょう。チップなしですよ(笑)。
しばらくベルリン一人旅は休憩して、次回からはシニア3人組の旅行記にとりかかろうと思います。
どんな珍道中が繰り広げられますか、あたたかく見守ってくださいませ(笑)。
himmel
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