2016/05/27 - 2016/05/27
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frau.himmelさん
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ベルリンの高級住宅地ヴァンゼーに、ドイツ画壇の重鎮、マックス・リーバーマンの邸宅があるという。
ヴァンゼー湖畔に立つ家は、表側の庭には美しい花壇と菜園が、湖畔側には果樹園とフランス庭園、広い芝生が広がり、プライベートビーチにはビアまであるそうです。
まるで夢のようなところですね。
冷戦時代のスパイ交換の場所や、広島・長崎に原爆投下命令が下された地など、重い話題ばかり追いかけてきた私には、頭をリフレッシュさせるいい機会です。
何と言っても私の大好きなリーバ-マンの絵画が数多く飾られていると言う。
これはもう行くしかないでしょう。
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トルーマンハウスのあったグリープニッツゼーがらSバーンで一駅、ヴァンゼーに戻ってきました。
カメラのバッテリーはスペアを持参していましたので、列車の中で取り替えました。
ヴァンゼー駅のバス乗り場に再び。
リーバーマン・ヴィラへは114番のバスに乗ります。 -
10分ほどでリーバーマン・ヴィラに着きました。
入り口でチケットを求めます。
シニアなんですけど〜〜ってアピールしましたが、残念ながらシニア料金はないんですと。
料金は7ユーロでした。 -
昔はガーデンハウスだったこの小さなハウスが入場券売り場と売店になっています。
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入場券を買って、ブドウの蔦がいい具合に絡まるガーデンハウスのこちら側から出てきました。
美しい花が咲き乱れる花壇と、その奥にはヴィラが見えます。 -
まずこちらのお花畑のほうからゆっくり見てまわります。
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華やかな牡丹の花。
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アイリス(?)の紫色もお庭に栄えます。
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それに、家庭菜園がほっと心を和ませてくれます。
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亡くなった母が丹精こめて育てていた、郷里の家庭菜園を思い出します。
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ナデシコにダリヤ、ヒャクニチソウ、キンギョソウに似た花も。
ほとんど日本にある花です。
母はこんな花も育てていたなー、懐かしいなー。 -
庭にはいくつもベンチが置かれていて、スケッチする人、お話している人、物思いにふける人・・・、
居心地のいい庭園でそれぞれに楽しんでいます。 -
私もしばしの間、ベンチに座って亡母の大好きだったお庭のことを考えます。
もう誰も手入れをすることのなくなったあのお庭・・・。
そろそろ私もヴィラに行きましょうか。 -
ヴィラとは、お庭付きの邸宅のことだそうです。
都会の近郊でそのような屋敷に住むということは、富裕層のステイタスシンボルになっているそうです。 -
マックス・リーバーマンの居間。
彼は1847年、ベルリンの裕福なユダヤ人実業家の息子として誕生しました。
誰もが知るドイツ印象派の代表的な画家ですね。
ヨーロッパの美術館では必ずと言っていいほど、彼の作品は飾られています。
リーバーマンは、ベルリン分離派の指導やドイツ画壇における数々の貢献により、プロイセン芸術院総裁の地位やベルリン名誉市民に推挙されました。 -
このヴィラは、リーバーマンが都会の喧騒を離れ、穏やかな日々を過ごすために1909年に夏の別荘として取得したものです。
居間の窓からは先ほどの手入れの行き届いた庭園が見えます。
窓枠を額縁のフレームに見立てて外を見ると、まるでリーバーマンの絵のように見えます。
彼もこの庭を眺めながら、いろいろ絵の構想を膨らませたことでしょう。 -
家族との団欒の写真。
(下左)リーバーマン、マルタ夫人、娘ケーテ、孫娘マリア。
(上)娘ケーテ、(下右)孫娘マリア -
幸せを絵に描いたようなリーバーマンの表情。
下の孫娘との写真をご覧ください。いつも苦虫をかみつぶしたようなリーバーマンの顔がなんとも言えずかわいく見えます。
リーバーマンは庭仕事もよくやっていたそうです。 -
そんな幸せは長くは続きませんでした。
ナチスの狂気の時代到来。
ユダヤ人であるリーバーマン家族に、嫌がらせが始まります。
芸術院総裁の立場からナチスに対してどんな態度をとるのかと問いただされたり、屋敷は強制的に売却を迫られ、その後病院として使われました。 -
1933年リーバーマンは、芸術院が出自や政治により非難される状態に悲観して、芸術院の名誉総裁や他の全ての公職を自らの意思で退きます。
そして1935年失意のうちに87歳で亡くなりました。
しかし長年ベルリン市の名士であった彼の葬儀に立ち会ったのは、ケーテ・コルヴィッツほか数名だけだったそうです。 -
窓の外にはお花を愛でながら、二人の老婦人がゆっくり歩いている姿が見えます。
本当に絵になるお庭ですね。 -
1938年、水晶の夜事件、ナチスによるユダヤ人迫害が始まり、娘夫婦はニューヨークに逃亡しました。
しかしマルタ夫人は、亡夫の墓をそのままにしておけないと、一人だけベルリンに残りました。 -
ユダヤ人である未亡人マルタに対する嫌がらせはますます酷くなりました。
1940年、ついにナチスの文書で屋敷を帝国郵便局に売却するようにとの命令が下ります。 -
リーバーマンヴィラの周辺の瀟洒な邸宅。
その頃は周辺の邸宅は、ナチスの高官の住まいにかわっていました。 -
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1943年、そしてマルタにもテレジアンシュタット強制収容所送還の命令が。
マルタはその強制輸送を前に自殺を選んだのでした。 -
お部屋には、お庭のお花を摘んで飾ってありました。
さて、気分を入れ替えて私の大好きなリーバーマンの絵画を鑑賞します。 -
ヴィラの庭園を描いたものです。
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彼が、どんなにこのお庭に愛情を持っていたか、
彼自身もよくお庭に出て草花の手入れをしていたそうです。 -
リーバーマン・ファミリー。
彼と夫人と娘と孫娘、それに娘の夫か執事かどちらでしょうね。
1926年の作ですから、芸術院総裁の要職をつとめ、ベルリンの名士だった頃のリーバーマン。彼にとって、とても充実した日常だったことでしょう。 -
ビアガーデンを描いた作品。
ハーフェル川の林の中のビアガーデン。1920年 -
ヴァンゼーのビアガーデン。1928年。
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ヴァンゼー湖畔のシラカバ。1924年。
これも庭から見える風景です。 -
食堂の向こうにはテラス席。
そこで湖を眺めながらコーヒーを飲んでいる人。 -
私もそちらに降りてみます。
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そこからは何者にも邪魔をされないで湖が眺められるように、広い芝生になっています。
リーバーマンは邸宅と庭園の設計をそれぞれの専門家に造らせたそうです。
隅々まで彼の意向が取り入れられた設計になっています。 -
私もしばし、白いベンチに座って休憩します。
湖から吹く風が心地いい。
足の痛さを忘れます。 -
湖まで続くシラカバのトンネル。
リーバーマンの絵にもしばしば登場します。 -
プライベートビーチの船着場。
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湖の岸にはガマの葉でしょうか、それに黄色い花を覗かせているのは菖蒲の花?
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あんなところに「あずまや」が。
そちらでまた休憩します。 -
あずまやから見えるヨットハーバーと、湖畔の邸宅。
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皮肉なことに、ユダヤ人の最終処分が決定された「ヴァンゼー会議の館」もこの近くにあるのです。
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あの残虐なホロコーストを決定した側と、それによって犠牲になった側、この二つの邸宅は数分くらいしか離れていないのです。
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そろそろ足の痛みも取れたので、引き上げるとしますか。
一直線に屋敷まで続く道、この部分は果樹園。 -
ブルーベリーがたわわに実っています。
果樹園からアーチをくぐると・・・。 -
そこは手入れされたアーチが美しいバラの庭園。
幾何学模様に植栽されたフランス庭園です。 -
その中央には日時計?
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湖側を臨みます。
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次のアーチをくぐると、中心が円形の紫の庭園、中央にはアジサイの花。
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周りは、紫色のビロードのようなアイリスの花。
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その次は・・・?
アーチの奥で一人の女性が物思いに耽っているのが絵になります。 -
この湖に面する南側の庭園もリーバーマンの意向を取り入れて造られました。
片側はテラスから湖が見えるように単純な芝生の庭園、その横には3つに構成されたそれぞれの用途の幾何学模様のフランス庭園を、芝生側からは隠れるようにと。 -
リーバーマンの理想どおりの邸宅と庭園。
このままここで家族と共に穏やかに過ごしたかったことでしょう。
でも歴史はそれを許してくれませんでした。 -
最後に、リーバーマンやその妻マルタの晩年を思い少し感傷的になりました。
でも、ステキな庭園を眺め、湖を眺め、リーバマンの絵画を鑑賞する。
それは私にとってとてもステキな時間でした。
ここに来て良かった。 -
さて、バスの時間は?
なぜだか時間通りにバスが来ず、1本抜かして次のバスも遅れ、結局30分くらいここで待ちました。
ベンチもなく、ずっと立って待つのは辛かった。 -
リーバーマン・ヴィラの二つ目がヴァンゼー会議が行われた「Haus der Wansee-Konfarenz」。
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ここがそうなんですけど、館は見えなかった。
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2010年に訪れたときの写真。
ちょうど工事中でした。
実はリーバーマン邸と、このヴァンゼー会議の館の建築家は同一人物だったとか、どこまで奇遇なのでしょうね。 -
さて、そろそろヴァンゼー駅に到着です。
今日は今のところ、足の調子は良好です。
もう1箇所、歴史的場所に行ってみたいと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- norisaさん 2016/07/03 06:31:51
- 素晴らしい庭、手入れはーー
- frau.himmelさん
おはようございます。
リーバーマンのお庭、素晴らしいですね。
特にプライベートビーチ側の芝生やビアガーデン、日本では考えられない広さ、豪華さです。
前庭の花々も良いですね。
でもーー、昨日も猫の額の庭の芝刈りで汗を流した身としては、この広大な庭の手入れはうんざりですね。
もちろん『専属』の庭師が沢山いることでしょうが、貧乏人根性思考だと心配になります(笑)
そして、ホロコーストのお話し。
いずこも光と影はセットなんですねーーー。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2016/07/03 20:21:50
- RE: 素晴らしい庭、手入れはーー
- norisaさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
> リーバーマンのお庭、素晴らしいですね。
> 特にプライベートビーチ側の芝生やビアガーデン、日本では考えられない広さ、豪華さです。
ほんと、屋敷自体はそんなに広いと言うほどではなかったのですが、お庭は素晴らしかったです。
湖にプライべートビーチ、きっとあの「あずまや」がビアガーデンだったのか、それともあの芝生がビアガーデンだったのか、ともかく広いです。
それにお庭の美しいことと言ったら・・・。
norisaさんならずとも手入れの心配をしてしまいますね。
ナチスに接収されたあのヴィラは、戦後娘さんに返還されたようですが、数年後にベルリン市に売却されたそうです。
その後、マックス・リーバーマン協会が設立され、現在は記念物保護の対象になり、そこで運営されているそうです。
そうでないと、あの広い庭園、個人の力では持ちこたえられませんよね。
そのことを思うと、リーバーマンはあのヴィラを建ててから亡くなるまでの25年間は個人で管理していたわけですから、いかに財力があったかがわかりますね。
猫の額などと謙遜していらっしゃいますが、お花が大好きなnorisaさんですから、きっと広いお庭には丹精こめたきれいなお花が咲いているんでしょうね。
ほんとに、ホロコースト、夫がベルリン市の名誉市民であったとしても、ユダヤ人であった奥様は強制収容所行になるのですね。
どっちみち、ガス室行きだったでしょうから、夫の思い出を胸に自殺なさったのは賢明な選択だったかもしれませんね。
そういえば、リーバーマンのお墓参りをしてくるのを忘れていました。
ありがとうございます。
himmel
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