2016/05/28 - 2016/05/28
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frau.himmelさん
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とことん東ベルリン、
前回は、「DDR時代だって悪いことばかりではなかったよ。いいことだってあったのさ。」を求めて街歩きをしました.
第2回目は一転して、壁によって東西が遮られ、西側へ逃亡しようとした人を監視していた監視塔と、永遠の眠りについたはずなのに、壁の建設によって安息を乱されることになった墓地の住人の話をします。
自己満足のマニアックな話題ですみません。私のベルリン訪問の目的が、ボケ防止を兼ねた現代史のお勉強なものですから。
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フランクフルター・アレー駅は、地下鉄とSバーンが乗り入れていますので、UバーンからSバーンに乗り換えます。
方向音痴の私は、迷いに迷い、ドイツのデパート、カウフホフの周りをうろうろして・・・。 -
どこをどう行けばそんなところに出るの?と思うくらい迷って、ようやくSバーンの入口を見つけました。
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Sバーンフランクフルター・アレー駅ホーム。
ベルリンには東京の山手線と同じように環状線が走っています。 -
環状線の内回り?に乗り、2つめの駅まで行きます。
途中、シュプレー川を渡るとき見えた巨大なオブジェは「Molecule men(分子の人)」。
なんだか紙相撲みたい。
車両の窓ガラスが汚れているのできれいに撮れません。 -
私が降りたのはトレプトウ・パーク駅。
ここにはちゃんと目的を持ってやってきました。 -
お寿司の看板が見えたので・・・。
あどけない女の子もかわいいーー。 -
私がここに降り立ったのは、「シュレジアブッシュの監視塔」を見たかったから。
現存しているベルリンの壁の、数少ない監視塔の一つです。
駅から延びるプラタナスの並木道をしばらく歩けばいいらしい。 -
プーシキンアレーを15分ほど歩けばいい、と案内書には書いてあったけど、この広い通りを見たら急に足が痛くなり、もう歩く気力が失せました。
や~~めた!
ここに来るまでは15分くらい歩く覚悟で来たのですけどね。
齢をとるとだめですね。気力が追いつきません。 -
ちなみに「シュレジアブッシュの監視塔」はこちら。
Wikiより写真をお借りしました。
この監視塔は、今は記念碑として保存され、内部見学もできるそうです。
今度元気な時にリベンジね。 -
ついでに地図も入れておきます。
○Sの文字がトレプトウ公園駅。
紙相撲のような「Molecule men(分子の人)」の位置関係も判りますね。
「シュレジアブッシュの監視塔」は青マークで示します。 -
私は駅の反対側のトレプトウ公園に向かいます。
ここは数年前、巨大なソ連兵の像を見るために訪れました。
参考旅行記
http://4travel.jp/travelogue/10749149
ベルリン歴史探訪 ☆巨大なソ連兵士の像&空輸大作戦&ケネディー「私はベルリン市民だ!」&涙の宮殿☆ -
公園の中には散策している人、ボール遊びしている人、子供連れで芝生で休んでいる人・・・。
やはり中東系の人は多いですね。
ソ連兵士の像はこの広場のずーーっと先のほうです。 -
木陰のベンチに座り、通る人々を眺めながらしばらく休憩します。
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疲れもとれたし、Sバーンの駅に戻ろうとしたら、このバス停が目につきました。
駅に出るのは面倒くさい、ともかく中央に出ればどうにでもなりますのでバスに乗ることにします。 -
幸いに265番のバスは終点がUバーンのメルキッシュ博物館。
数年前、ベルリン一人旅の際、お隣のシュピッテルマルクト駅がホテル最寄りの駅でしたので、ある程度土地勘があります。
古い煉瓦造りの建物、たしかこの付近はノイケルンと言って、ベルリンで一番歴史のある地区だったような・・・。
それにしても落書きがひどい。 -
シュレジッシャー駅のガード下。
今まで旧東側ばかりを彷徨っていましたが、ここだけは旧西側になります。
駅のすぐそばにシュプレー川があり、オーバーバウム橋に国境検問所がありました。 -
わかりやすいように地図を貼り付けますね。
赤丸がUバーンのシュレジッシャー駅。
シュプレー川の向こうにはイーストサイドギャラリーのベルリンの壁が見えます。
ホテルでもらったこの地図はなかなか優れものです。 -
ここが終点のメルキッシュ博物館停留所。
地下鉄に乗り換えて中央駅に行こうと思ったら、ここから中央駅に向かう147番のバスがあるではありませんか。 -
しかも、路線をみると、魅力的な場所を通ります。
フランツージッシュ通り(ジャンダルメンマルクト)、ブランデンブルク門、ウンター・デン・リンデン、フリードリッヒ・シュトラーセ駅など。
では、路線バスで回る東ベルリンの旅編に出かけましょう。 -
建築中のベルリン王宮。
左側に赤の市庁舎が見える。 -
向こうに見えるのが東ドイツ時代の国家評議会ビル。
ここはDDRの最高権力者たち(ウルブレヒト、ホーネッカー)らが執務していました。 -
シュロス橋
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ベルリンで一番美しい広場と言われるジャンダルメンマルクト。
手前がフランスドームで、あちらに見えるのがドイツドームだったかな? -
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フランツージッシュ通りとフリードリヒ通りの交叉点。
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ウンター・デン・リンデンのアンペルマンショップが見えます。
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ウンター・デン・リンデン通りはまだ工事をやっていますね。
いつまで続くのでしょう、この地下鉄工事。 -
フリードリヒシュトラーセ駅。
東西分断時代、この駅は列車で到着する人たちの国境検問所がありました。 -
涙の宮殿も見えます。
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西側の市民が東側の家族や親戚を訪ねることはできましたが、西ドイツに戻る際、この検問所の前で、涙・涙のお別れをしなければなりませんでした。
そこでこの検問所は「涙の宮殿」と呼ばれるようになりました。 -
バスはライヒスタークウーファー(国会議事堂岸)を通り(上)、
シュプレー川にかかるヴァイデンダンマー橋を渡ります(下)。 -
ルイーゼン通りの重厚な建物の横を通り、
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インヴァリーデン通りを左折して、終点の中央駅に着きました。
公共交通のバスやトラムに乗って、座って楽をしながらベルリン市内観光ができるって、ものぐさな私にはピッタリです。 -
道路の片隅で酔いつぶれて正体もなく眠りこけている旅人(旅行カバンがあるからそうですね)。
ここがドイツだからまだいいけど、他の国だったら身ぐるみはがされてしまいますよ。
気を付けてね。 -
中央駅からいったんホテルに戻ろうと思ったけど、気が変わって120番のバスでこの病院前にやってきました。
中央駅から3つ目くらいのバス停です。 -
私の目指すところはKielerstrasse。
ここにも、残存している監視塔があるのです。 -
先客がありました。
自転車でベルリンを巡っているシティーツアーの方々ですね。
ガイドさんから説明を熱心に聞いていました。 -
この監視塔です。
壁崩壊後に建てられた周りの新しい建物の前にぽつんと立っている監視塔。 -
現在ここは、ギュンター・リトフィン記念館になっています。
川を越えて西側に逃亡しようとして国境警備兵に射殺された、ベルリンの壁の最初の犠牲者です。
現在は、ギュンター・リトフィンの弟が、当時使われていた監視塔をベルリン市から借りて資料館としています。 -
ギュンターリトフィンのことは私も何度か旅行記で取り上げたことがあります。
この写真はベルリンの壁記録センターの屋外展示場で撮ったものです。
東ベルリンに住み、西ベルリンに通勤していたリトフィンは、1961年8月13日の壁の建設により職を失ってしまいました。
彼は西ベルリンに脱出しようとしてシュパンダウ運河に飛び込みました。それを見つけた東側の警官は制止の発砲をしましたが、彼は命令に従わなかったため銃殺されました。
壁建設11日後の8月24日のことでした。 -
リトフィンが泳いで西ベルリンに亡命しようとした運河はもう少し上の方ザントクルーク橋の近くです。
当時とは状況も変わっているとは思いますが、それにしても川幅はそんなに広くないですね。 -
対岸は西ベルリンです。
銃声は西ベルリン側にも届き、大勢の西ベルリンの市民や警察が集まりました。
リトフィンを射撃した警官は、脱出を食い止めた功労者として東ドイツ政府から表彰されました。 -
やっとギュンター・リトフィン記念館を探すことができました。
実は昨年10月にも、この記念館を探すためにこの近くまで来ているのです。
この小さな橋の向こうには墓地があります。 -
Invalidenfriedhof。
インヴァリーデン墓地、1748年、国王フリードリヒ2世が傷病兵墓地として建設したものです。
ここにもベルリンの壁で東西ベルリンが分断されていた地図が展示してあります。 -
ところどころにベルリンの壁の残骸が残されています。
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残された壁の近くには、ベルリンの壁のメモリアルが展示されていました。
ここに射殺されたギュンター・リトフィンを引き上げている写真があります。
ギュンターの遺体は、5人の警官によって運河から引き上げられました。 -
これは逃亡しようとして助かった14歳の少年ヴィルフリート・テヴスです。
1962年5月23日、彼はこの墓地近くの国境を越えて運河に飛び込みました。
今はギュンター・リトフィン記念館になっている監視塔で勤務していた東独国境警備隊数名が警告射撃をおこなったあと、銃撃を開始しました。
彼らは少年に121発の銃弾を浴びせかけたのです。
その中の何発かが狙いが外れ、少年を助けるべく待ち構えていた西ベルリン領内に流れ、西側警官との銃撃戦に発展しました。
その中の数発がDDR国境警備兵「ペーター・ゲーリング」に当たり彼は殉職しました。
ゲーリングは西側警察によって射殺された最初の国境警備兵だったため、東独における英雄の一人として扱われました。(wikiより) -
ドイツ再統一後、テヴスの銃撃に加わったDDRの国境警備兵8名の内3名がベルリン地方裁判所で、殺人未遂の容疑で裁かれましたが、3名とも無罪になりました。
西ベルリン警察によって救助されたテヴス少年は、身体に受けた銃弾により、治療後も障害が残ったそうです。 -
ところでこのインヴァリーデン墓地、ヨーロッパの他の墓地と同じように大変美しい芸術的な墓地です。
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フリードリヒ大王で知られるプロイセンの国王フリドリヒ2世によって、戦争で傷病した人のための施設と、隣接する傷病兵墓地が建設されました。
この墓地には、誰もがここに入れるのではなく、功績を上げた将軍や、英雄たちだけです。
ここに埋葬されることは特別な栄誉でした。 -
そういった墓地の性質から、墓碑も豪華なものが多いです。
これはプロイセン王家のお抱え建築家、フリードリヒ・シンケルの設計(1837年)の記念碑です。 -
ここで一番目を惹くのはゲルハルト・フォン・シャルンホルスト将軍(1755-1813)の墓碑。
プロイセン軍の参謀総長としてナポレオン戦争に勝利するという功績がありましたが、その時の戦傷により死亡。
この墓碑もフリードリヒ・シンケルの設計。
死して横たわる獅子の台座には、将軍の人生の場面が記されています。 -
Herman von Boyen(1771-1848)。
シャルンホルスト将軍と共に戦ったプロイセン軍の大臣。 -
ここにも豪華な墓碑が。
Hans Karl von Winterfeldt (1707-1757)。
フリードリヒ大王の腹心として、大王に絶対的な忠誠を尽くし、信頼と名声を博しました。
ヴィンターフェルトが没して100年後に、彼の遺骸はこのインヴァリデン墓地に埋葬されました。
その墓石の裏にはフリードリヒ大王の言葉で、
「彼は優れた、良き人にして我が友であった。」と刻まれています。 -
その他にも、この墓地には興味を惹く豪華な墓碑がいくつもあります。
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今回はこの墓地に多くの観光客が訪れていたのには驚きました。
昨年10月私が訪れた時はほとんど人の姿はありませんでした。
ギュンター・リトフィン記念館がこの墓地内にあると思い込んでいた私は、たまたま乳母車で通りかかったお婆さんに尋ねました。
そのお婆さん、私が見せた監視塔の写真も私の話もろくに聞かないで、知らない!知らない!とかぶりを振ってそそくさと逃げ去りました。
変な人!ってちょっと腹を立てた私でしたが、あとから考えると、誰もいない墓地で、胡散臭い東洋人の女に声をかけられて、恐怖心を感じたのでしょうね。
背後の壁はベルリンの壁の遺構。 -
この墓地もいろんな歴史を刻んできました。
プロイセン時代より戦争に貢献した「赤鷲勲章」や「勲功賞」の所持者など名誉墓地だったこの墓地に、ナチス時代はヒトラーに絶大な信頼を得ていた親衛隊大将のラインハルト・ハイドリヒの豪華な墓が彼の銅像と共に設置されました。
しかし敗戦後、ソ連軍により破壊され、今は基礎のみが残っているそうです。 -
1961年8月13日、ベルリンの壁構築と共に、東ドイツは墓地を立ち入り禁止にしました。
そして緩衝地区を設け、監視塔や犬を放ったり、射撃装置・投光器などを取り付けるため、邪魔になるお墓が潰されました。
その上にアスファルトが敷かれ、国境警備隊のジープが行きかったわけですから、永遠の眠りについていた人々も驚いたことでしょう。
現在は緩衝地区はきれいに整備され、自転車が走っています。 -
墓地の中にポツリポツリと新しい墓碑が見えます。
没年から言っても新しく埋葬されたものでなく、壁の建設により潰された遺族が新たに造ったもののようです。
壁の崩壊以降、ドイツ再統一に伴い、人々は再び墓地に入ることができるようになりました。
しかし壁の構築以前に約3000基の墓があったのに、現在は300基に満たない数しか残っていないそうです。 -
世界が二分化された冷戦時代、国が分裂した東西ドイツの時代は、永遠の安息についていた人をも巻き込んだ悲しい歴史を刻みました。
今も何やら世界はきな臭い匂いに包まれています。
生きた人だけでなく、故人をも巻き込む想像を絶する悲劇が待ち構えているのです。
それだけは阻止しなければならないと、深く心に刻んで傷病兵墓地を後にします。 -
墓地のお隣。
たぶんここが、フリードリヒ大王が戦争で負傷した傷痍軍人を扶養するために建設した傷病兵収容施設ではなかったかと思います。
現在は経済エネルギー省?になっています。 -
その前のバス停から中央駅に戻ります。
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この旅行記へのコメント (4)
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- ハッピーねこさん 2017/05/14 16:32:09
- さすが!ベルリン達人の街歩き!
- himmelさん、こんにちは。
先週の5月5日金曜の夜、ドイツより帰国しました。
初のベルリンも訪ねてきました。
himmelさんのベルリン記を拝見して、その奥深さに改めて感服致しました〜!
私の今回の街歩きなど、ほんとにうわべのふらふらーっとしたもので。
アップするのもお恥ずかしい限りですが、そのうち(かなりそのうちになりそうです(笑))
あげる日がくると思います。
よろしければ覗いて下さい。
ハッピーねこ
- frau.himmelさん からの返信 2017/05/14 21:21:10
- ハッピーねこさん、お帰りなさい!
- いつお帰りになるのかなーと思っていました。
もう旅の疲れは取れましたか?
ハッピーねこさんのことですから、またお土産話をいっぱい持ってお帰りになったのでしょうね。
旅行記を見せていただくのが楽しみです。
私のベルリン旅行記は、マイナーなところが多くて、ベルリンを楽しみにいらっしゃる方にはあんまりお役に立てないと思います。
ですから、他の方がどんなところを観光して、どんなところでお食事していらっしゃるのか、拝見するのが楽しみです。
お帰りそうそう、お仕事もたまっていてお忙しいとは思いますが、待っています。
なんて、私は1年前のを今頃なんですね(笑)。
himmel
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- ペコリーノさん 2017/05/14 13:18:11
- インバリーデン墓地
- frau.himmelさん、こんにちは。
またまたお邪魔しています。
知っているところ、知らないところ、楽しみながら旅行記を見させていただいています。
インバリーデン墓地も初めて知ったところです。10月に予約しているホテルからも近いところですので、行ってみたいと思います。
グーグルマップで検索してみたら、「インバリーデン フリートホフ」という名前で登録されていました。これだとなかなか「お墓」って繋がらないですよね。
昨年、最後だと思っていた「テーゲル空港」もまた、利用することになりました(笑)。
秋のドイツ旅行の事を考えていると、日本の蒸し暑い夏も乗り越えられそうです。
ベルリンの情報、ありがとうございます。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2017/05/14 21:11:48
- RE: インバリーデン墓地
- ペコリーノさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
何たってペコリーノさん、ベルリンはお庭みたいな人だから、あんまり人に知られていない地名も、「そうそう」って頷いていただけるので嬉しいです。
インヴァリーデンフリードホフのこと、ペコリーノさんはてっきりご存じだと思っていました。
たしか前にベルリンのお墓のことを旅行記で書いていらっしゃいましたよね。
あそこがそうだと思ったのですが、違っていましたね。ゾフィーエンフリードホフでしたっけ。
ドイツ旅行の計画が楽しそう。でも決めるのがいろいろ早いですね。
ベルリンのホテルはまた中央駅の近くですね。
ちょうどインヴァリーデン墓地の塀のツタが真っ赤できれいな時期ではないでしょうか。
お墓も豪華だし、芸術作品ですから、散策もきっと楽しいと思います。
同じころドイツに行く私はまだ何も決まっていないのに、もうホテルのこととかいろいろ決まっているペコリーノさんが羨ましいです。
まだベルリン編はいくつかありますので、見てください。
himmel
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