2015/10/11 - 2015/10/14
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entetsuさん
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10月の3連休。
元々はプサンの格安ツアーが、ちょっとした手違いで予約キャンセルに・・・(悲)。
それでは、ということで毎年秋行っている富山→金沢→福井と足を延ばしましょう。
4日目になりました。
先ずは、福井市の「コスモス公苑」で1億本といわれるコスモスを見て、「永平寺」に向かっております。
☆ (1)1日目富山〜旅のスタートは、やっぱり高岡の「瑞龍寺」から
☆ (2)1日目富山〜高岡の「土蔵造りの町並み」を歩きます
☆ (3)1日目富山〜富山市内のホテルにチェックインして、「銀八鮨」へ
☆ (4)2日目富山〜立山の「称名滝」でマイナスイオン浴びました
☆ (5)2日目富山〜滑川市の「ほたるいかミュージアム」
☆ (6)2日目富山〜「環水公園」「廣貫堂」に寄り、再び「銀八鮨」へ
☆ (7)3日目石川〜金沢の「兼六園」に初めて行きました
☆ (8)3日目石川〜車で走れる海岸「千里浜なぎさドライブウェイ」へ!
☆ (9)3日目石川〜「白山比め神社」「那谷寺」を訪問
☆(10)3日目石川〜片山津温泉郷の旅館に宿泊
☆(11)4日目福井〜「コスモス公苑」でコスモスを満喫
★(12)4日目福井〜念願の「永平寺」と「丸岡城」に行きました
☆(13)4日目福井〜「東尋坊」、「吉崎御坊跡」と回り、いよいよ帰京
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
福井市の「コスモス公苑」から、車を走らせること約1時間半、永平寺町にやって来ました。文字通り「永平寺」の門前町。
公営駐車場などもあるようですが、「永平寺」から遠いので「おみやげ坂」さんの駐車場の呼び込みに引かれて車を停めました。
「帰りに買物していってくれたら、駐車場代は入りませんよ〜」。
どうせ、なにか会社にはお土産を買わなければならないので、まぁいいか。 -
正面にあるのが「永平寺」。
駐車場を借りた「おみやげ坂」からは4〜5軒です。 -
イチオシ
来ましたよ〜。
「永平寺」。
寛元2年(1244年)、道元禅師により開祖された禅宗、曹洞宗の大本山です。
なお、曹洞宗は大本山を2つ持っています。
ここ「永平寺」と、横浜市鶴見区にある「總持寺」です。
「總持寺」は、我家からは京急線で2駅の距離。
初詣は毎年こちらへウォーキングを兼ねて歩いて参拝しています。
近いこともあり、幾つか旅行記も書いてありますので、宜しければご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10831490
http://4travel.jp/travelogue/10944145曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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参道を進みます。
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鬱蒼とした深い緑に茂る木々や、苔が荘厳さを醸し出します。
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同じ曹洞宗の大本山とはいえ、「總持寺」が都会的なことに比べ、こちら「永平寺」は森の中にある感じ。
規模も断然こちらの方が大きいのでは? -
「永平寺川」。
永平寺の境内を流れ出で、永平寺町を流れたのち「九頭竜川」に合流します。 -
森閑とした木々は、「真夏に来たとしても、涼しさを与えるに違いない」と思ってしまいます。
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これは、何だったか・・・。
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「永平寺」には素晴らしい伽藍があると聞いております。
早速、拝観します。
こちらは、「通用門」。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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参拝券は自販機でした。
大人500円也。
靴を脱いで、スリッパに履き替えます。
靴は、ビニール袋に入れて各自で持ち運ぶ仕組み。 -
最初にやって来たのが、「吉祥閣」(きちじょうかく)。
地下1階、地上4階の鉄筋コンクリート造りで、冷暖房付きの近代的な建物。
建坪は凡そ920坪、全国15000カ寺と800万人の檀信徒の「研修道場」です。
一般参拝者は、係の僧侶より全山の概要を聞いて、その後拝観に出る仕組みです。
写真は、大伽藍の様子。
なお説明では、「お写真はご自由にお撮りになって結構です。しかしながら、修行中の僧侶を撮るのだけはご遠慮下さい」とのことでした。 -
「傘松閣」(さんしょうかく)。
吉祥閣から2階に上がったところにあります。
道元禅師の750回大遠忌の記念事業の一環として、1993年(平成5年)から2年の歳月をかけて再建された建物です。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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156畳敷きの大広間で、1930年(昭和5年)建築当時の天井絵を修復し、はめこんでいます。
別名「天井絵の大広間」と呼ばれ、花や鳥などを描いた230枚の絵は、昭和5年当時の著名な画家144名によるものだそうです。 -
イチオシ
七堂伽藍の中心に当たる建物「仏殿」です。
1902年(明治35年)の改築で、屋根は中国宋時代様式の二重屋根に、床は石畳となり、建築美が際立つ伽藍となっています。
中雀門を背にして撮っています。
禅宗では伽藍の配置を人体図に当てはめています。(今回の北陸旅行で最初に行った、高岡市の瑞龍寺でもそうでした)
頭が法堂(はっとう)、心臓が仏殿(ぶつでん)、左手が庫院(くいん)、右手が僧堂(そうどう)、腰が山門(さんもん)、左足が浴室(よくしつ)、右足が東司(とうす)となります。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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仏教では殊更大切にされる「蓮」が植えられていました。
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二層の屋根が重厚ですね。
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扁額は、永平寺50世玄透禅師(げんとうぜんじ)揮毫の「覚王宝殿」。
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これは、「山門」と「仏殿」の間、「僧堂」と「大庫院(だいくいん)」の中間にある門で、「中雀門(ちゅうじゃくもん)」と呼ばれます。
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「山門」(さんもん)。
寛延2年(1749年)に再建された永平寺最古の建物。
修行僧が正式に入門する際に通る永平寺の玄関に当たります。 -
「大庫院」(だいくいん)。
一般の寺院でいう庫裡(くり)に当たる建物、いわゆる台所です。
庫院前にあるのは、「大すりこぎ棒」。
仏殿が改築された時に使われた地突き棒を丸めて残したもので、長さ約4?、太さが約1?あります。
この棒を撫でると、女性は料理が上手になり、男性は上司などに対してゴマスリが上手になるのだそうです(笑)。
2階は来賓接待の間、3階は和室の150畳敷の「菩提座」と呼ばれる大広間となっており、多人数の宿泊から上膳(あげぜん)、時には法話、講義も行われます。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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永平寺67世元峰禅師(げんぽうぜんじ)の筆になる「法喜禅悦(ほうきぜんえつ)」という扁額。
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イチオシ
永平寺の寺紋は、「久我竜胆」というものだそうです。
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イチオシ
「雲板」(うんばん)。
青銅製で。平板状雲形をしています。
時の合図などに打ち鳴らします。
ちょうど、僧侶の方が足元の台に乗り、今にも鳴らしそうでしたが、参拝の注意に従って写真は撮りませんでした。
彼らは、全て修行の一部ですので・・・。 -
正面中央には足の早いことで有名な守護神「韋駄尊天」(いだそんてん)が祀られています。
曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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欄間の彫刻。
見事です。 -
ぐるっと回り、先ほど反対側からみていた「仏殿」です。
曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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続いて「僧堂」にやって来ました。
「大庫院」に対になって在る建物。
僧堂は、修行の根本となる堂で、坐禅・打眠(だみん)・二時の食事をします。
永平寺50世玄透禅師の揮毫の「雲堂」(うんどう)という扁額。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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同じく、「王三味」(おうざんまい)という額が掲げられています。
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立入禁止ですので少し覗けるだけですが、床は土間になっています。
ここで、約82人が就寝でき、坐禅の時には164名もの雲水が修行をすることができるそうです。
睡眠も食事も禅の修業の一環として行われるそうです。 -
イチオシ
「仏殿」と「僧堂」の間の回廊を進んでいきます。
永平寺は、山の中腹に伽藍が出来ています。
従って、回廊も階段になっている・・・。
こんなお寺、初めて経験しました。 -
左側に見えてきた門は、承陽殿の門で「一天門」(いってんもん)または「承陽門」、「承陽中雀門」と呼ばれ、この奥に「承陽殿」があります。
「承陽殿」には、後ほど参ります。 -
「法堂」(はっとう)に来ました。
人体を模した七堂伽藍では「頭」にあたる部分です。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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「法堂」は、「永平寺」の伽藍で一番高いところにあり、一般の寺院でいえば本堂に当たります。朝のお勤めなどの各種法要がこの建物で行われます。
堂内は、380畳敷。
中央にはご本尊「聖観世音菩薩」が祀られ、階段の左右には阿吽の白獅子が置かれています。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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イチオシ
煌びやかです。
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龍の彫り物も立派。
今にも動き出しそうです。 -
「法堂」は一番高い所にありますので、見下ろすとこんな感じで伽藍の建物が連なっています。
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「承陽殿」(じょうようでん)。
道元禅師のお墓にあたり、明治14年(1881年)に改装されました。
日本曹洞宗の発祥の根源であり、曹洞宗の聖地ともいえる場所。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
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奥の本殿は、中央に道元禅師の尊像と霊骨を安置し、左右に2代から5世までの尊像を祀っています。
階段下の拝殿には6世以降の永平寺歴代住職の位牌、左側には永平寺の開基波多野義重公の御尊像や道元禅師生家である久我家の位牌、全国の曹洞宗寺院住職の位牌などが祀られています。 -
「孤雲閣」(こうんかく)です。
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イチオシ
「承陽殿」の真廟に奉侍(ほうじ)する奉仕者の詰所を「孤雲閣」と呼びます。
たまたま、僧侶たちが、畳の間を掃除し始めました。 -
見尽くせない程の規模の「永平寺」の伽藍ですが、そろそろ辞去することに。
参拝帰路の矢印に沿って進みます。
どんなに駆け足で観ても、1時間は掛かります。 -
伽藍や回廊の中から夫々の建物を観てきたので、庭からこの様に眺めると新鮮です。
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伽藍を繋ぐ回廊が屋根付きであるのも珍しい気がします。
雪深い北陸の故でしょうか。 -
「松平公廟所」(まつだいらこうびょうしょ)。
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立入ることは出来ませんでしたが、こちらで最も古い建物で、もとの勅使門(ちょくしもん)であったといわれる、葵のご紋の門があるそうです。
曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
-
順序が逆になりましたが、「山門」にやって来ました。
けやき造りの唐風の楼門で、二重層になっています。
修行僧が正式に入門する永平寺の玄関に当たり、下層には四天王を祀り、上階には五百羅漢が安置されているそうです。
写真は、その四天王です。
昭和55年に福井県の文化財に指定されました。
曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
-
四天王は、鬼を踏みつけています(笑)。
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道元禅師が、宝治2年(1248年)に「傘松峰(さんしょうほう)」を「吉祥山(きちじょうざん)」に改めた折りの法語だそうです。
これは道元禅師が入越と共に「大仏寺」という寺号を「永平寺」に改称し、さらに山号を吉祥山と命名しめでたい山であると感得されたものを表すのだそうです。
諸仏如来大功徳(しょぶつにょらいだいくどく)
諸吉祥中最無上(しょきちじょうちゅうさいむじょう)
諸仏倶来入此処(しょぶつともにきたってこのところにいる)
是故此地最吉祥(このゆえにこのちさいきちじょう)
と書かれているそうです。 -
伽藍内部をたっぷり堪能し、表に出てきました。
500円、高くないです。
是非、内覧することをお奨めします。
写真は、平成8年(1996年)に落慶した「納経塔」(のうきょうとう)。
この塔には百万巻の経を納むべく納経箱を500個(2000枚入り)収納出来るそうです。 -
イチオシ
これは、「唐門」(からもん)。
立入禁止ですが、老杉に囲まれた中に見える門で、「勅使門」ともいいます。
「永平寺」を紹介する写真では必ずここが写されています。
それも、雪景色が多いですね。 -
先ほど、中で大広間の230枚の花鳥図がを観た「傘松閣」だと思われます。
-
という訳で、「永平寺」の参拝も終わりです。
「日本曹洞宗第一道場」「吉祥山永平寺」とあります。曹洞宗大本山永平寺 寺・神社・教会
-
駐車場を利用した「おみやげ坂」さん。
ご主人は、愛想よく買い物客に声をかけてくれました。
ここで、何かを買うと、駐車場代は無料です(笑)。
それでは、次のスポットに行きましょう。おみやげ坂 専門店
-
次に訪れたのは、「丸岡城」。
出迎えてくれたのは、坂井市丸岡観光協会キャラクター「城丸くん」(笑)。丸岡城 名所・史跡
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「丸岡城」の昔の様子。
今は、このお堀は埋められてしまっています。 -
「振媛一族の石棺」。
坂井市丸岡町牛ヶ島地区の白山神社から出土したとされています。
振媛とは、継体天皇の母君に当ります。
振媛は、西暦450年頃、応神天皇の血をひく近江の国高島宮の「彦主人王」に嫁ぎます。
皇子の誕生後、父が亡くなり、母は郷土の高田に戻って、皇子を養育、皇子は福井平野、坂井平野の治水事業に功績し、54歳で継体天皇となられたとつたわります。 -
入城時間は、8:30 〜 17:0で、入城料は大人300円(歴史民俗資料館と共通券)となっています。
「丸岡城」は、1576年(天正4年) 織田信長の家臣筆頭で、越前ほぼ一帯を領していた柴田勝家が、甥(姉の子)の勝豊に築城させたのが始まりです。
柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経て慶長18年(1613年)に、本多成重に代わりますが、本多氏は4代で改易。
元禄8年(1695年)、越後糸魚川から有馬清純が5万石で入城し、幕末に至るまで8代続きました。 -
イチオシ
柴田家の紋です。
二つ雁金紋(ふたつかりがねもん)。
通常の「二つ雁金」は二羽ともくちばしを閉じているが、柴田勝家が使用した紋様は、上の雁金は、みくちばしを開いているのが特徴的なのだそうです。 -
「本能寺の変」で主君織田信長が明智光秀に討たれ、その後の後継者争いで、豊臣秀吉と対峙し、「賤ヶ岳の戦い」で柴田勝家は破れ、自害します。
お家も断絶してしまうわけですが、珍しい「雁」の描かれた家紋を見るにつけ、感慨深いものがあります。
実は、甥の勝豊は、「賤ヶ岳の戦い」の直前に豊臣方に寝返ったりしたりしました・・・。 -
なぜ、丸岡城に来てみたかったか。
それは、「現存天守(げんそんてんしゅ)」は日本に12城しかないからです。
現存天守は、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことを指します。
その全てが、国宝または重要文化財。
建物好きの私には堪らない〜。
国宝に指定されているのが松本城、犬山城、彦根城、姫路城と今年(平成27年)7月8日に指定された松江城の5城。
重要文化財に指定されているのは、高知城・宇和島城・備中松山城・松山城・弘前城・丸亀城・丸岡城というわけです。
四国の城が4つあるというのも不思議な感じもしますね。 -
今年、「松江城」が国宝に昇格した事もあって、「丸岡城」の悲願も国宝昇格のようです。
一番の押しは、「丸岡城」が現存天守12城の中で最も古いということが挙げられます。12城の天守閣は、「丸岡城」を除いてすべて関ヶ原の合戦(1600年)以降の建築です。
すなわち、徳川の代になって一応の安堵の状態にあって築城された他の城と異なり、戦国時代のど真ん中にはっきりと戦争を目的として建てられた城という訳です。 -
外観は二層、内部は三層の望楼型天守閣です。
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石垣は「野面積み」(のづらづみ)という、自然石をそのまま積み上げる方法で、年代の古さが判ります。
加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていません。
そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点がありましたが、排水性に優れており頑丈であるともいわれます。
その後、時代が進むにつれ、石の角や面を叩き、平たくする技術が向上し、石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法へと進歩して行きます。
野面積みより高く、急な勾配が可能となって行きます。丸岡城 名所・史跡
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天守閣前にあるお静の供養塔です。
お静とは天守閣の人柱になった女性です。
お静は隻眼で男児が2人いたため、生活がとても苦しい状態にありました。そこで、子供の1人を侍にしてもらうという条件で、人柱になることを承諾しました。しかし、城が完成して間もなく、城主柴田勝豊は長浜城に移動となり、お静の約束は果たされませんでした。
丸岡城では毎年、藻苅りをやる卯月になると毎回壕の水が溢れ出すそうです。それは息子を侍にしてもらえなかったお静の悔し涙といわれています。 -
石段の横にある石製の鯱。
この鯱は昭和15〜16年の修復当時使われた鯱だそうです。
従来は木彫でその上に鋼板を貼ったのものですが、戦時下で入手が困難だっ
たため、石製になったそうです。
1948(昭和23)年の福井大地震で、鯱は落下しました。 -
最近、平成の大修復を終えた姫路城などと比べると、いかにも小さい2層3階の城ですが、「質実剛健」そのものの建物は、やっぱり風格があります。
-
それでは早速、城内に入りましょう。
-
城内1階は板張りで、2階に上がる急な階段があります。
当時の日本人のサイズに合わせているので、階段は狭い。
しかも、急です。
ロープを使って上り下りします。 -
天守には、このような穴のようなものがあります。
-
これを「狭間」(さま)といいます。
天守や櫓の壁面、塀などに開けてある防御用の穴や窓のことを指します。
銃眼とか砲門ともいいます。
戦闘の際はここから弓矢や鉄砲などで攻撃したのです。 -
このように手で開け閉めできます。
-
これで敵の様子を伺うのでしょう。
格子になっています。 -
在りし日の「丸岡城」。
現在はお堀は埋められてしまっています。 -
先ほどの急な階段を上って、2F・3Fに上がってきました。
-
さすがに現代の技術で補強が施されてはいます。
-
天守からは四方が見渡せます。
こちらは東の方角。 -
これは南。
-
こちらが西。
-
こちらが北。
学校が見えますが、この方向が大手門のあった方角です。 -
板張りの質素な感じの天守です。
-
内覧を終わり、降りて来ました。
小さいながら、バランスがよく美しいシルエット。 -
「丸岡城歴史民族資料館」。
館内、撮影禁止でしたので、写真がありません。 -
公園としても、綺麗に整備されています。
日本に12城しかない「現存天守」。
その中でも、最古の「丸岡城」、十分堪能しました。
国宝に昇格すると、何がいいのか?
調べると、「国宝は常に重要文化財の中から選ばれ、特に優秀であるだけでなく、世界文化的な目で見ても価値が高く、文化史的意義が特に深いもの」とありました。
建造物にかかる現状変更等の制限や補助金などの優遇措置について差はなく、唯一異なるのは、文化財が管理不十分で滅失、毀損、盗難などの恐れがある場合、重要文化財の場合は文化庁長官はその是正等についての命令又は勧告ができるにとどまるのに対し、国宝の場合は自ら修理や滅失、毀損、盗難の防止措置をとることができるという点があるそうです。
ただ、観光面ではやはりパンチが違うのでしょうね。
数的にも、建造物では、国宝は重要文化財の10分の1にも及びません。
続いては、やはり人気のスポット「東尋坊」に行き、「吉崎御坊跡」を回っていよいよ帰京です。
(13)に移ります。
http://4travel.jp/travelogue/11065572
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