2015/10/08 - 2015/10/09
26位(同エリア322件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35306件
- Q&A回答420件
- 5,367,319アクセス
- フォロワー666人
今回は、久しぶりに仙台で用事が出来て、それに引っかけて、宮城県内から宮城県の北側周辺の気になるスポットを回ってみることにしました。
一・二日目は、宮城県内。仙台と松島の間にあるのですが、観光的にはどうしても後回しにされてしまう塩竃の散策に、仙台の用事を済ませた後は、翌日に猊鼻渓と気仙沼。三つのエリアは互いに関係はないのですが、まだ行ったことのないエリアを結んだらこうなったというようなルート。
それぞれは想像と違って意外にこじんまりしていて、ちょこっと観光をするには手ごろな感じ。それぞれはっきりとした特徴もあるので、その辺りをうまくレポートできたらなあと思います。
PR
-
東京から仙台に到着して、そのまま塩竃までやってきました。駅前の観光マップでおおよその様子が確認できました。やっぱり、この街は、塩竈神社が中心です。
-
イチオシ
丹六園は、その塩釜神社に行く途中。
宮城県を代表する和菓子でもある「志ほがま」のお店です。歴史は古く、創業は1720年(享保5年)。今の当主が11代目なのだそうです。 -
これが「志ほがま」。もち米に砂糖、塩、水あめ、青じそなどを混ぜて、型押しして造られたお菓子です。二本松の辺りでも、同じ名前のお菓子を作っているお店が複数ありましたが、やはりこっちが本家本元かと思います。
さて、味の方は、正直言えばちょっと地味なことは否めませんが、表の鹽竈桜の文様が強烈。美しさというかくっきり感が素晴らしいと思います。 -
塩釜神社の前に、こちらは御釜神社。鹽竈神社の境外末社という位置づけのようですが、名前からして、ここも地元を象徴する神社だと思います。
-
というのも、御神体は、大きな海水を煮るような釜が地中に三つ埋めてあって、それ。
-
囲いの中にあるのですが、100円を払うと見せてくれました。
-
続いて塩竈神社へ。
こちらは、陸奥国一宮。1,200年の歴史を誇り、古くから大漁祈願、海上安全、安産の神として信仰を集めます。 -
始まりは古事記や日本書紀にも出ているシオツチノオジが人々に製塩を教えたことだそうで、ちょっと現実的なイメージも湧いてきますね。
ただ、塩竃は国府津という陸奥国国府の港があったところなので、国分寺や国分尼寺と同じようなルーツと考えればいいようにも思います。 -
参道を進んで開けた場所に出ると、そこには見事に整備された傾斜地の日本庭園。
-
時々、神苑と呼ばれる庭園を持つ神社がありますが、まさにそれに近いでしょう。
つまりこうして、境内がきちんと整備されているということは、神社の成り立ちとあわせて、ここ塩竃が実際に恵まれた立地を生かして、長く繁栄してきたことの証し。繁栄したからこそ、神社に対する感謝の気持ちも厚いものになったのだと思います。
明治になってからも、仙台から鉄道が敷かれ、東北地方の陸運海運の結束点として発展。特に流通業の発展が目覚ましく、カメイややまやといった宮城を代表する企業も出てくることになりました。 -
この立派な鳥居は、志波彦神社の鳥居。初めは、てっきりこれが鹽竈神社なのかと思ってしまいました。
-
同じ境内なので、ほとんど鹽竈神社と一体ではあるのですが、こちらは志波彦神を祭る神社。
-
明治時代にここに移って来たそうです。
-
鹽竈神社博物館は、鹽竈神社の宝物館といった施設。
-
展示室には刀剣、古文書、武具甲冑や絵画など。ただ、目を引いたのは、八角形の神輿。黒い漆塗の艶々した立派なもの。鹽竈神社のお祭りで使われたものだと思います。
-
えびや茶屋は、鹽竈神社博物館の前。日本庭園も見渡せるいい場所にあって、三色だんごが名物のようですね。
-
神社や寺の境内にあるだんご屋さんは割といい店が多いのですが、ここの三色だんごも当たりでしょう。餡子、みたらし、ゴマの三種類はそれぞれちゃんとレベルにあって、だんごのお餅もついたお餅だと思います。
-
それでは、いよいよ鹽竈神社の方に行ってみましょう。
-
これが本殿ですね。
-
イチオシ
透かし塀がいい感じ。東京だと根津神社と似た配色です。
-
イチオシ
けっこう目立っていたのは、この文化灯籠。
文化6年(1809年)、伊達9代藩主周宗が蝦夷地警護の凱旋の後奉賛として寄進したもの。 -
塩釜市指定文化財だそうですが、随所に手の込んだ意匠が凝らされていてなかなかのもの。ただ、逆に、これだけのものを作らないと気が収まらないという意味で言えば、蝦夷地警護というのがそれだけ困難な役目であったことも想像に難くありません。
-
本殿を確認して、
-
イチオシ
これが随身門。
-
もしかしたら、こっちの方が正面だったのかもしれませんね。
-
マコロンヤは、塩竃神社の随身門を下って道路に出た、その正面にあるお菓子屋さん。名前にもなっているマコロンが看板商品です。
-
小さな塊りになった典型的な焼き菓子ですが、生地にはピーナッツがたっぷり入っていて、サクサク食べるといい香り。歴史を重ねて、この加減が一番といったところまで追い込んだような完成度です。
-
そして、もう一つのお楽しみはお寿司屋さん。
塩釜には寿司の名店がいくつかあるのですが、このしらはたもその一つ。もう一つの有名なすし哲も近くです。団体客からの予約も入ったということで、店内はちょっと殺気立っていましたが、何とか入れてもらって、待つことしばし。 -
さて、出された寿司は、極端に言えば握ったかどうか疑わしいくらい、ふんわり柔らか。このふんわり感が最大の特徴なんですが、慣れない私にとっては不思議系のお寿司といってもいいかもしれません。
ところで、塩竃は日本一の寿司の街というアピールもしているよう。何が日本一かというと密集度なんだそうですが、小樽なんかと比べればやっぱりちょっと疑わしいかなあ。ただ、いずれにしても、このお店の活気などはそれなりの自負心の表れのようにも感じました。 -
で、仙台の用事があるので、塩竃はもうおしまい。最後に駅周辺の施設をチェックします。
しおがままちの駅は、東京だとアンテナショップになるんでしょうが、ここは地元ですから地元の名物の販売所。生鮮食品はなくて、海産物等の加工品が中心のように思います。ただ、もう少し入口の見た目を工夫した方が入りやすいかもしれません。 -
塩竈観光物産案内所は、塩竃駅から出てすぐの場所。派手な立看板を表に並べているので、すぐにそれと分かります。ただ、塩竃駅から歩ける範囲だと御釜神社、塩竃神社くらいに限られるので、それを確認するくらい。それ以上の情報は必要ないかもしれません。
-
仙台に帰ってきて。
宮城県庁は、勾当台公園も含めて、ちょっと小高い丘のようになった場所。ここには、かつて仙台藩校であった明倫養賢堂の跡地なのだそうです。現在の庁舎は、三代目。平成元年に完成しましたが、バブル期にしては一階のロビーが殺風景な気もしないではありません。 -
18階には無料の展望ホールがあります。
-
平成元年に建った時には、仙台では3番目に高いビルでもあったそうですが、自慢の眺望は、通りがしっかりした仙台の街並みの特徴がよくわかるもの。ただ、観光客はほとんどいませんでした。
この日は、仙台で用事をしたので、今日の旅はここで終了です。 -
翌日は、朝イチで仙台から一関に一気に移動です。ここから猊鼻渓に向かうんですが、待ち合わせの時間を利用して、早朝の一関を少しチェックします。
一関観光案内所は、一関駅をでたところ。駅周辺の歩いて行ける範囲で早朝に何か見どころはないかと情報を尋ねたのですが、お餅屋さんとかやっぱり限られますねえ。
ただ、観光案内所の人の言う通り、本来ならせきのいち。日を変えて訪ね直すことにします。 -
一関駅を出てすぐのところに、大槻三賢人像というモニュメントもありました。
三賢人とは、大槻玄沢、大槻磐渓、大槻文彦のこと。大槻玄沢だけはかすかに聞いたことがあるような感じですが、解体新書で有名な杉田玄白や前野良沢に学んだ人物のようです。 -
では、一関駅の周辺をぶらぶらしまして、大福屋という、よさげなお餅屋さんを見つけました。
-
一関は岩手県ですが、仙台藩の領地だったので、伊達の文化が残っています。そして、それはお餅をよく食べることなんですね。ということで、お餅をいただきたかったのですが、まだ朝早くてやっていない。
-
仕方がないので、どら焼きを買いました。これも悪くはないんですが、ちょっと残念は残念でした。
-
続いて目に入ったのは、佐々木製菓 一関大町総本店。大通り沿いのなにげない店舗です。
-
三色せんべいをいただきました。これは小麦系のせんべいなんですが、ものすごいボリューム感のあるせんべい。実は、この後、山歩きをした際にとても重宝しました。コストパーフォーマンスは抜群です。
-
一関からいよいよ猊鼻渓に到着です。駅からは歩いて10分くらいですね。
ところで、一関には、厳美渓と猊鼻渓の二つの有名な渓谷があるのですが、猊鼻渓は交通の便が悪いので、これまで来れずにいたんです。 -
これが船の乗り場です。
-
猊鼻渓に行ったら、この舟下りは必須ですね。やっぱり、これに乗らないと猊鼻渓の美しい景色は楽しめません。
-
さて、岸を離れて、船は静かに進み始めます。所要時間は1時間半です。
-
波もほとんどなし。
-
今日は曇りの予報だったのですが、少し薄日も差して、まあまあじゃないでしょうか。
-
この感じは勢いのある水流も魅力となっている厳美渓とは全く違いますね。
-
あくまでも静かな川面で、ゆったりと進んで行きますよ〜
-
そして、緩やかに流れる川の両岸には高さ50mを超える岸壁が連なって、
-
その岸壁には美しい緑の木々。
-
少し紅葉には早かったのですが、
-
見どころの岩壁に日が当たって、渓谷の美しさはこれで十分楽しめます。
-
こんな洞の神社もあったりしまして、我々も安全を祈りましょう。
-
岩壁の上には青空が広がりました。天気予報はこうじゃなかったんですが、ありがたいことですねえ。
-
紅葉もいいんでしょうが、新緑もよさそうですね。
-
切り立った岩肌と
-
イチオシ
それに張り付くように生えた木々の潤い。
-
イチオシ
これこそ典型的な渓谷の美というものでしょう。
-
そういえば、鳴子峡もこんな感じだったのですが、今は崩落の危険があるというので、立ち入り禁止になってしまいました。優雅な眺めですが、自然は優しい顔だけではありませんよね。
-
舟はこの辺りが終点です。
-
いったん岸に上げてくれて、
-
本当の終点はここからさらに少し歩くことになります。
-
林を抜けて、
-
この橋を渡ったところが本当の終点。
-
切り立った岩肌に
-
大きく囲まれたような一角です。
-
そして、このちょこっと出っ張ったところが猊鼻渓の猊だそう。獅子に似ているので、渓谷にこの名がついたという説明でしたが、私にはなかなかそのようには見えないような。。
まあ、いいでしょう。 -
イチオシ
帰りは来た道だし、もう心にすっかり余裕が生まれています。
-
イチオシ
ゆったり流れる川を進みながら船頭さんのおとぼけ話や
-
最後は美声の披露なんかもあって、
-
ちょっと、ほのぼのとした気持ちにさせてくれました。
-
こした景色を見ながら、自分で歩いて見るのと
-
こうして船頭さんの案内で見るのとではやっぱり気分が違います。
-
いつもはせかせか歩きの旅なので、たまにはこういうのもいいでしょう。
-
それに天気が回復したのもとてもうれしい。雨が降れば水墨画のような世界もあったかもしれませんが、やっぱりそうじゃない方がいいに決まっていますよね。
-
名残惜しいですが、のんびりゆったりの舟下りはもうおしまい。また現実の世界に引き戻されて、ここからはまた自分で歩くしかありません。
-
猊鼻渓は舟下りが観光のメイン。なので、猊鼻渓で賑やかなのは舟着き場の辺りです。
帰りにチェックしたこのげいびレストハウスは少し離れた場所なので、観光客も少し少なくて、寂しいような感じがしました。まあ、お土産物売り場も普通かなあというところです。 -
猊鼻渓を後にして、今度は最後の目的地、気仙沼に到着です。
気仙沼駅前観光案内所は、駅を出てすぐ。駅前にあってそれは便利なのですが、気仙沼の市街はここから歩いて15分くらいはかかります。観光情報をもらっても、ここからまずはそれなりに歩かないといけないので、ちょっとしんどさがあるかもしれません。 -
気仙沼はふかひれの街。そして、今静かなブームになっているのが、ふかひれの寿司なんです。事前の情報ではいくつかの店で扱っているのですが、ネット情報によれば双璧はよく知られたあさひ鮨とこちらの寿ゑ泰鮨でしょう。
-
イチオシ
ポン酢風の味付けのあさひ鮨の軍艦巻きに対して、こちらの姿煮風のにぎり。醤油で煮込んだんでしょうけど、なんともいえないおいしさですねえ。御主人によれば、何度も試行錯誤を繰り返してここにたどり着いたらしいのですが、本当にこんな味よく出しましたねという絶品です。握った方と脇の小さく切った方は味の濃さが少し変えてあって、そんな繊細な心使いも憎いです。これを食べずして気仙沼のふかひれ寿司は語れないと思います。なんかいきなり、テンションが上がってしまいましたよ〜
-
気仙沼の市街に入って、小山大は、小さな小麦粉系煎餅のお店。商品の種類は限られますが、絞り込んだ感じは悪くないでしょう。ピーナツ煎餅をお土産にしましたが、それなりのボリューム感があって、南部せんべいよりも柔らかくてサクサクっと食べれます。普通の煎餅ですけど、安心感があるように思いました。
-
うつみは、お菓子とパンの店。ビルの一階に売り場があって、きれいな店舗なんですが、ここも東日本震災の際はすっかり水に浸かったのだとか。
-
今回は、明日の朝飯用に調理パンをいただきました。
-
で、気仙沼のメインストリートを歩いている時は何ともなかったのに、この復興商店街はバラック造り。震災からもうかなり時間が経っていると思うのですが、この姿を見てちょっと愕然としてしまいました。
-
こちらは、南町紫市場の中にあるサイトウ菓子店。後で港の辺りを歩いていたら、被害にあったままのこちらのお店を見かけて、ちょっと心が痛くなりました。
-
女将さんは明るくて、紫市場の名前の由来などを教えてくれました。店の前に腰掛があって、そちらで生クリームのクレープをいただきました。
-
その紫という名前の理由は、商店街の被災者が当時近くの紫神社という神社に避難してしばらく共同生活をしていたからなのだそう。
-
さっそく、その紫神社の方にも行ってみましたが、それがこれ。本当に小さな神社で、当時の不便な生活がリアルに想像されました。
-
そのまま港の方に歩いてみると、工事中の場所ばかり。
-
土が積みあがったままだし、
-
長く放置されたんでしょうか、水たまりも出来てます。
-
これは先ほどのサイトウ菓子店さんのビル。赤いラインは津波がここまで達していたことを示しています。
工事がなんでこんなに遅れているのかと思わないではないのですが、いろんな事情があるのでしょう。NHKでもやっていましたが、新しい商業ビルを建てても採算が合わないので、建てるのがいいのか今のままがいいのかも悩ましいんだとか。力ずくで工事を進めても、その後の絵が描けないと復興にはならない。おまけに、日本全体には高年齢化や過疎化も進行しているし、甘くはない。誰が考えても難しい問題のように思いますが、気持ちが切れないよう願うしかありません。 -
もう少し歩いて、これは復興屋台村。南町紫市場は、まだ市街に近いのでいいのですが、ここまで離れるとどうなんでしょうか。
-
狭い敷地にお店が集まって、それはそれで賑やかではあるんですが、それだけ人も集まらないと成り立たないでしょう。まだ、営業時間前でしたが、夜になってどうなるのか。ちょっと心配になりました。
-
気仙沼が見えてきました。
-
気仙沼湾に沿って、魚市場の方に歩きます。
-
高台のホテルと結んだエレベータですが、これは震災の前からあったのか、後に出来たものなのかちょっとよく分かりません。これだけ立派な造りなので、震災を意識したものでしょうか。それなら後になって作られたような気もします。
-
これがお魚いちばです。
-
入ると、震災直後の写真があって、こんな状態から復興したんですね。
-
海産物の販売所であって、名前とは違って、本当の市場ということではないと思います。
-
豪快に鮮魚が並ぶというよりも、パッケージに加工したものとかの方が多いでしょう。売れるか売れないかわからないような商品を置いておくだけの余裕はないでしょう。
ただ、まあその分、買いやすいかもしれませんが。 -
気仙沼は、まさに気仙沼湾に面した街。
-
イチオシ
連絡船が湾内に入ってくると、気仙沼の市街に横付けするように向かってきます。船と陸にいるこっちの目線はほとんど変わらない感じ。これを見れば、水位が少しでも上がれば、水浸しとなる気仙沼市の地形がよく分かると思います。
-
五十鈴神社は、気仙沼港に突き出した神明崎にある神社。対岸のお魚いちばのほうから眺めると、五十鈴神社と同じ境内にある猪狩神社の鳥居や海岸端に整備された赤い柵が見えて、いかにも海の神社と言った雰囲気。たぶん、震災ではここも相当な被害を受けたのでしょうが、無事に復活していて心が和むようでした。
-
もう一度、南町紫市場に戻ってきて、あさひ鮨で晩飯にします。
-
こちらも、震災の被害を受けてこれは仮店舗。ただ、ネットの情報でも大人気のようですね。
復興スペシャルというのをいただきました。 -
この目玉は気仙沼のふかひれの軍艦巻。酸味でうまくまとめられた感じがやけにうまくて、インパクトは強烈です。
-
横田屋本店は、気仙沼のメインストリート沿い。立派な構えの店舗で目立っていました。
-
店内を覗くと海産物の加工品のお店。いろいろ話をうかがって、
-
海苔のビン詰めをお土産にしました。賞味期限とかを考えると手ごろなお土産だったかなあと思います。
なお、こちらも震災の時は天井近くまで水に浸かったということでした。
今日の泊まりは一関。なんとかこれで予定の列車に間に合いました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
111