2015/05/11 - 2015/05/11
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ローマ5日目の朝です。残すところローマはあと2日。毎日沢山歩いているので、夜はぐっすり眠れて、お陰様で体調はバッチリ。さあ、今日も歩くぞ〜!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ホテルIgeaの朝食風景を1枚も撮っていなかったことに気が付いて、遅ればせながらの1枚。
大したものはありません。私の顔を見ると「カプチーノ?」と訊いてくるおじいちゃんがすべて1人で取り仕切っています。このおじいちゃん、愛想がないけれど、結構面白い人で、私は1週間もここで毎日食事をとったので、終いにはハグをしあう仲になりました。 -
ささやかな朝食の材料がカウンターの上に並んでいます。イタリア人が好きなクロワッサンがプレーンとチョコ、クリーム入り、普通のパン2、3種類、チーズ、ハム、果物、シリアル、ビスコッティ数種類、あとはジュースと言ったところでしょうか。
珈琲紅茶、ミルクはセット済み。別途個人的に注文もできます。
今日は珍しく人が少なかったのですが、毎日結構な人で賑わっていました。 -
大好きなトラムに「おはよ〜!」
今日も君に乗る暇はないのだよ。 -
テルミニ発のトラムは、駅の北東側方面に行くものばかりのようです。私はテルミニ駅の隣、チンクエチェント広場から92番のバスで北西方面ブエノスアイレス広場に向かいます。
今日訪ねるコッペデ地区は、どなたかのサイトで知った町。観光地ではなく住宅地なので、ガイドブックには出ていません。グーグルマップとローマのバスのサイトを事前に調べて、92番のバスがブエノスアイレス広場を通ることをチェック済みです。 -
テルミニ駅からちょうど10個目がブエノスアイレス広場でした。早速、広場に面したこちらの教会に吸い寄せられます。ちょっと寄っていこうかな・・・
新しそうな教会ですが、ロマネスク様式の鐘楼、戸口の前のポルティコ、そしてファサードのモザイク装飾が目を惹いたのです。新しいところを除けば、どこを見てもローマの古い教会のスタイルそのものです。 -
扉の上の国旗を見てピンときました。アルゼンチンの国旗です。
そう、ここはブエノスアイレス広場。アルゼンチンと関係があると思っていました! 教会の名前はサンタ・マリア・アッドロラタ 日本語だと「ブエノスアイレス広場にある悲しみの聖母教会」アルゼンチンのナショナル・チャーチでした。1910年に建て始めたのですが、完成には20年もかかっています。 -
中に入ってびっくり!
想像より内部は広く、ここにもロマネスクとビザンチンの香りが漂っています。三廊式で、身廊は左右7本ずつのイオニア式大理石の柱によって仕切られています。 -
勝利の門には、6枚羽の熾天使がアーチの淵に沿って描かれていて、左右にアルゼンチンの国旗とこの教会の属する修道会メルセス会の紋章を持った天使、上方にはキリストと4人の福音記者の姿がありました。
そして後陣の壁には、「悲しみの聖母」のモザイクが! 聖母はキリストを抱きかかえ、天使達と共に深い悲しみの中にいます。モザイクはマルコ・トゥリオ・モンティチェッリの制作です。 -
今発見したのですが、祭壇前の石板には、コズマーティ模様まで彫られていますよ! くやし〜! 気が付かなかったぁ〜!
主祭壇は、オニキスで装飾されている中世風のスタイル。天蓋を支える4本のコリント式柱は鉱山資源が豊富なアルゼンチンから運ばれた花崗岩で、ピッカピカに輝いていました。
いやあ、これは入ってみて正解でした。 -
入り口側の写真です。2階にはオルガンがあり、1階と同じようなアーチが連続していました。使われている石材が素晴らしい! 壁面の装飾もローマの古い教会を見るようです。
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柱も組み合わされた石板も、どこかの国のように寄せ集めではなく、完璧に揃っていて、最高級の材料を使っていると確信しました。
こちらは、祭壇に向かって左側。 -
そしてこちらが右側です。
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駆け足で礼拝堂を廻ります。
こちらは、贖いの聖母に捧げる礼拝堂です。
眩いばかりの光の中にいる聖母子のモザイク。彼女が手に持っているのは、メルセス会の紋章のようです。石ばかり目につくのですが、礼拝堂の下部に貼られているのは木目のような模様の大理石で、モザイクよりこちらに注目してしまいました。モザイクは、1970年代にモンテ・プルチャーノにあるモザイク学校の学生によって作られたそうです。 -
聖心の礼拝堂。
まるで美術館のような重厚な雰囲気です。短いイオニア式の柱で支えられた祭壇と、キリストの磔像の一部だけが切り取られた小さなモザイクの祭壇画。祭壇画はコズマーティ模様が施された枠に入っています。
モザイクは巨匠ヴェラスケスのキリスト像を模倣したものです。
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Cristo_crucificado.jpg -
フィレンツェ風の十字架・・・
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こちらも大変モダン。まだ未完成なのかもしれませんが、これはこれで完結しています。
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全ての物の配置が計算しつくされたように整っていました。
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こちらは最後の礼拝堂 ルハンLujánの聖母に捧げる礼拝堂です。
ルハンの聖母は、アルゼンチンの主要な守護聖人だそうで、この日もこちらの礼拝堂にだけ、祈りを捧げる人が訪れていました。朝、仕事に行く前に教会に寄ってお祈り というのは、若い人にとっても極めて日常的なことなのだと思い知らされました。 -
イチオシ
教会を出て1分でコッペデ地区に到着です。
じゃ〜ん。
不思議ですよね。ローマの町から一瞬にして違う町にきたようです。写真だと分からないですが、この一角だけ、明らかに町の雰囲気が異なるのです。 -
ここは20世紀初頭、まだ一面の原野だった城壁外のこの地に作られた計画都市です。フィレンツェ出身の建築家ジーノ・コッペデ Gino Coppedèが作ったことからコッペデ地区と呼ばれています。
計画都市なので、町は碁盤の目のように作られていますが、何故かここだけ四角形の対角線の如く斜めに道が作られています。 -
もう夢中になって、何枚も何枚も写真を撮ってしまいました。
この地区は、20のパラッツォ(宮殿)と27の建物(ヴィッラ)から成り立っています。
1915年、新しい都市計画は、すでにジェノヴァの町づくりで実績のあったコッペデに委託されます。インパクトある町のイメージを求められた彼が選んだテーマは古代ローマ。町の顔として、フォロ・ロマーノにあるようなこの凱旋門がどうしても必要だったのです。 -
コッペデの凱旋門手前にあった、聖母子の像を祀った小さな祠。
躍動的な幼子のポーズが新鮮です。 -
凱旋門のアーチを跨ぐ壮大なこの建物は「大使館の宮殿」。1921年に完成しました。
様式は?と聞かれれば、「分かりません」としか答えられません。なぜって、この地区は当時流行のアール・デコ、リバティ、モダニズム、そしてルネッサンス、バロックなど様々な様式が取り入れられているからです。
様式そのものにとらわれず、自由奔放に彼の持つイメージを表現した建物としてとても貴重な作品。ご覧の通り、完成度はすごく高いと思います。 -
沢山の彫刻達も出迎えてくれます。
何故か中央にはメディチ家の紋章。フィレンツェ出身だからかな? -
こんなところにも、あんなところにも、たくさんの顔が迎えてくれます。遊び心充分ですね。
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アーチに向かって左側の塔を見上げると・・・
おお 天使が張り付いています。
搭の屋根の庇にもびっしりと手の込んだ装飾が施されていますね。 -
アーチをくぐると、そこには大きな錬鉄製のシャンデリアが吊り下がっていました。
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この重たそうなシャンデリア、どうやらプットが二人掛かりでえっちらおっちら運んでいるようですよ!
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アーチを出てすぐ左側にある宮殿(1)です。便宜上数字で呼んだ方が分かりやすいかもしれません。
宮殿(1)と後述の宮殿(2)はそれぞれ上から見ると三角形をした大きなビルで、双方は凱旋門の中の通路でつながっています。この二つを合わせて「大使館の館」と呼んでいるようです。
4階の窓の上にも、先ほど見た「おかしな顔」がずらっと並んでいますよ。
出窓部分の装飾も面白い・・・ -
右側の宮殿(2)にも、奇妙な顔が勢揃い。
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現在、宮殿(2)はロシア大使館の関連施設となっているようです。文字通り大使館の館ですね。
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建物に使われている鉄格子。渦巻き模様が特徴かな?
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6階建ての別の宮殿(3)出現。こちらはローマンカラーですねえ。
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凱旋門の「裏」風景です!
この通りが斜めの道、ドーラ通りです。 -
ここは、凱旋門の右側に続いていた、三角形の「大使館の館」宮殿(2)の端に当たります。この辺りが頂点かな。
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宮殿(3)の続き。5階には大層ご立派なバルコニーまでありました。
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凱旋門から亀のような歩みを進めて、町の中心のミンチョ広場にやってまいりました。真ん中に1924年に建てられた噴水のある小さな広場です。
名づけて「カエルの噴水」。 -
背中を向けた沢山のカエルさんたちがいるの、わかりますか? 左端のカエルは水を吐いていますね。カエルをひい、ふう、みぃと数えていったら、全部で8匹いましたよ。
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この広場に面した4つの宮殿と建物(区別がよくわからないのですが、多分宮殿は5階建て以上、建物はまあ、高くても3階建てという区分だと思われます。)を紹介しましょう。
こちらは、特に呼び名を持っていませんが、私が「鱗の館」宮殿(4)と名付けました。6階建てで、その上に塔が突き出ていますね。両翼の最上階はロッジア風のベランダ付です。バルコニーの手すりに1926年建設と書いてありました。 -
1階の出入り口の鱗模様が目を惹きます。イスラム調のようにも思える面白い造りをしています。
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どうやら個人向けのアパートのようです。管理人の方が清掃を行っていたので、断って中に入れてもらいました。
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鱗模様の中には別の装飾があしらわれていました。基調は紺色と白。
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天井には、6羽の鷲に囲まれた動物(これは何でしょう?)の紋章。
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メール室入り口。だまし絵が楽しい。
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ロビーまで潜入してしまいました。
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床にはモザイクですよ〜♪
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天井がまた凝っています。
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さすがにこの先に入るのは遠慮しました。階段とエレベーターにつながっているようです。
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お礼を言って、鱗の館を後にします。
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続いてこちらは、蜘蛛の館 宮殿(5)です。
蜘蛛の館は、1916年〜1926年にかけて建てられました。 -
なぜ、蜘蛛の館かというと、写真の顔のレリーフの下あたりをじっとご覧ください。
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ちょっと目立たないですが、こちらが館の名前の由来です。
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蜘蛛の館宮殿(5)は5階建て。その上に、やはり庇のついたロッジア風のバルコニーがあるようです。中央に小塔のあるあたりも、前の建物と似ていますね。
目を凝らしてみると、塔の真下に絵が描かれていて、LABORと言う文字が見えます。イタリア語でも「労働」かしら? -
ファサードを除き、蜘蛛の館の両サイドは、ローマの黄土色と煉瓦の壁のツートンカラーに仕立てられています。
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流石に、こちらの建物は入れそうな雰囲気は全くありませんでした。現在、南アフリカ領事館が入居しているとのことです。
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三番目の角に建つのは・・・ドーラ通りが対角線なので、二つに分かれていますが、前述の宮殿(2)「大使館の館」と、宮殿(3)。出っ張った大きなバルコニーが特徴です。
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そして四番目の角に建つのが、こちら「妖精の家」。
うわぁ〜 これなぁ〜に! と思わず叫んでしまいました。こんな奇抜な家、見たことがありません。 -
初めて、宮殿ではなく、建物(1)が出現しましたよ。基本的には3階建て。その上にやはり小さな塔が突き出しています。コッペデ氏にとって、塔は必須のようです。
では、詳細を見ていきます。 -
イチオシ
こちらはアテルノ通りに面した側。1階は緑で覆われてよく見えませんが、2階以上の壁には、様々な装飾や絵が見えます。
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もっと近づいたのがこちら。これ以上は無理です。今だって十分怪しい人間ですからね。
詳細は分かりませんが、3階にはローマ風トーガを着た女性たちが描かれていました。塔の下部には占星術の十二宮、上部にはブドウをつまんで食べる裸の男女の絵がそれぞれ描かれていました。 -
更にアテルノ通りを少しずつ進みます。
2階には中方立てで仕切られている窓があって、その上の幾何学模様が素敵。3階には絵が続きます。 -
左端の絵は、どこか中世の塔のある町の風景のようですね。
四連窓の左側の絵中の黒い服の男性はダンテ(たぶん)。彼の詩に合わせて楽器を演奏している人もいます。右側の絵の中にいるこれまた黒服の男性は、アレッツォ出身の詩人フランチェスコ・ペトラルカだそうです。
その右側に見える黄色い大きな屋根はフィレンツェのドゥオモ サンタ・マリア・デル・フィオーレを連想させます。
そうそう、その下に美しいフィレンツェと書いてあるので、間違いありません。コッペデ氏の故郷を想う気持ちでしょうか? -
建物のもう一方の壁には、古代ローマ風の男性、女性たちの絵が並んでいました。
今度は、アテルノ通りと交差しているブレンタ通り側を見てみましょう。 -
イチオシ
妖精の家は長方形をしていますが、ブレンタ通りの方が長い辺です。
搭を覗き込むと、窓ガラスが入っていないことがわかりました。屋上のロッジアと言う雰囲気です。
3階の壁に連続して描かれている絵画は、こちらにも続いています。一番上には羽のある鷲とライオンが1、2、 右側と合わせて3頭。これは、マタイとヨハネを表すのでしょう。ライオンの下には、大きな船が2艘描かれています。 -
こちらは中央の部分。二つの大きなアーチにあるモチーフは、蜂とブドウかな?
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厳重な警戒を感じさせる門扉ですが、渦巻き模様のデザインはなかなかユニークですよ。
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長い長方形のお終いのパートで目立つのは、やはりローマの雌オオカミとロルムス、レムスでしょう。
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少し離れて、2階部分を撮りました。階段に沿って、ずらりと紋章が並んでいました。うっとりするような空間ですね。
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お終いの壁はこちら。すぐに目に入ってくるのは日時計ですね。上部の絵は戦争シーンのようですが、絵の下に書かれているDomus Pacisというのは、ラテン語で「平和の家」ですって。
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2階の庇下にも何か書かれていますよ。
Domino laetitia praebeo
主は喜びを与える…と言ったところでしょうか?。
いやあ、完璧な家でした。どこにもスキがありませんでしたね。外側だけで十分満足です。私にも喜びを与えていただき、ありがとうございました。 -
ブレンタ通り側の全体像です。近づいてみないと、装飾の面白さがまるでわからないことがお分かりいただけますでしょうか?
建物を撮るときに限って、木々が邪魔だと思ってしまいます。 -
妖精の家 建物(1)は堪能したので、もう少し辺りを歩いてみましょう。
妖精の家の日時計側に近いこちらの宮殿(6)、私道かと思い、中には入りませんでした。
1925年に建てられた集合住宅の一つです。 -
ブレンタ通りを更に南東方向に進むと、右側に見えてくるのがこちらの建物(2)。今は高校として使われています。あまり建物の維持にお金をかけていないようで、やや荒廃が目立っています。
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ここで見つけたのは、こちらの雄鶏のモザイク。下にカップとさいころが、1、3、5の目を向けて重ねてあります。何か意味があるのでしょうか?
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かつてはフレスコ画が描かれていた最上階の壁もすっかり消えてしまっています。新しいといっても、もう100年立つのですから、仕方がないか・・・
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建物(3)は、写真が小さいので、見づらいかもしれません。壁にレリーフ、最上階には、ミツバチのモザイクとフレスコ画がありました。全体的な印象は山小屋の様です。
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建物(3)のお隣の家 建物(4)。 大使館の館についていたあのおかしな「顔」にまた出会いました。全体的に古さを感じます。想像上の動物をあしらった飾りが良いアクセントになっています。
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こちらは、妖精の家の小型版と言った趣きの建物(5)。コッペデ氏得意の切石積みが家の部分部分に効果的に使われています。細長い窓も面白いです。
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4つの細長い窓に下に、さりげなく、白いレリーフのおかしな「顔」発見しました!
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前方にまた、面白い火の見櫓じゃあなかった、塔が見えてきましたよ。きゃっほぉ〜!!
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これはまた、なんと形容したらよいのでしょう! ローマンカラーの家で、背後のローマ石松が大変よく似合う建物(6)です。特徴的な塔がここにもありました。ペンキの色あせ具合も最高ですね!
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見れば見るほど興味が沸いてきます。でも、色々な障害物に邪魔されて、良いアングルから撮れません。
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建物(6)の背後はこんな感じです。高い塀が全体像を隠してしまっています。変な人が真昼間からうろついているんだから、住民の立場になれば当然でしょうね。
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木に隠れてよく見えませんが、この辺り、本当に独特の雰囲気を持った建物が並んでいます(建物7、8)。他ではお目にかかれません。
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この建物(9)は確かアフリカはコンゴの大使館でした。こんなかわいい大使館良いですねえ。
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ここでも、管理人の女性と朝の挨拶を交わしました。でも当方イタリア語解さず。先方英語解さず なので話になりません。ジェスチャーを交えての珍妙なコミュニケーションとなりました。
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大体見終わったかなあ・・・楽しい朝のお散歩でした。
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ほかのどこにも存在しない町を見つけた気分です。しかし、コッペデ氏出っ張りがお好きですねえ。
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所々にある「顔」を探して歩くのも楽しいです。あっ忘れていました。こちらはモロッコ大使館 建物(10)です。
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何度も改修されているのでしょうが、コッペデ氏の遊び心を踏襲されていてうれしいです。
そうそう、ジーノ・コッペデのその後の人生。彼は1917年ピサ大学の教授となり、その後もメッシーナやスペインのセヴィリャで魅力的な作品を作り続けましたが、1927年肺がんを苦に自殺しました。コッペデ地区での残りの仕事は、彼の弟Paolo Emilio Andréが引き継ぎ、完成させたそうです。 -
妖精の家、蜘蛛の館が見えてきました。
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ミンチョ広場に戻ってまいりましたよ。
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どこを見ても、目に留まるものが何か必ずあるって凄い!
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帰りは、大使館の館(2)の脇を通って行きます。この白いタンクの存在とても邪魔です。
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コッペデ地区の凱旋門に戻ってまいりました。さあ、ここからバスに乗って今度はバルベリーニ広場に行きますよ。
この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その25 ローマ バルベリーニ広場〜サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネで!
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この旅行記へのコメント (3)
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- belleduneさん 2015/09/09 09:08:06
- コッペデ地区はユニークですね...
- junemayさん、いつも楽しく拝見しています。ジーノ・コッペデは初めてでした。面白い地区ですね。是非行って、見たいところです。中に入れないのが残念ですが。
またお邪魔します。
- junemayさん からの返信 2015/09/09 12:00:24
- RE: コッペデ地区はユニークですね...
- belleduneさん おはようございます。
いつもいらして頂き、また投票頂きましてありがとうございます。
ローマでは行きたい場所を全部ピックアップして、その中から優先順位をつけて見て回りました。コッペデはどうしても見逃したくなかった場所の一つです。
belleduneさんのサイト、素晴らしいです。これまで行かれた国々が、並みの場所じゃありません。女性では通常考えられない場所にもお出かけですね。アルジェリアの砂漠なんて考えられないです。建築への造詣も大変深くていらっしゃる。
時間をかけて、少しずつ勉強させていただきたいと思っております。当方建築大好きなんですが、知識が全くありません。色々お教えいただければ嬉しく思います。
まだ表紙しか見ていないのですが、私も2010年に南米、イースター島に行き、イグアスではbelleduneさんと同じホテル・カタラタスに宿泊しました。ホテルの前で手を挙げてバスを止めて、滝に向かったことを思い出しました。
つたない旅行記ですが、またどうぞお出かけください。
junemay
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- belleduneさん 2015/09/09 09:07:51
- コッペデ地区はユニークですね...
- junemayさん、いつも楽しく拝見しています。ジーノ・コッペデは初めてでした。面白い地区ですね。是非行って、見たいところです。中に入れないのが残念ですが。
またお邪魔します。
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