2015/05/11 - 2015/05/11
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
地下鉄でポポロ広場に戻ってまいりました。途中、サン・ピエトロそばの郵便局で、初めてのクレジットカードによるキャッシングを体験。この後泊まる予定のホテルがクレジットカードが使えないことが分かったからなのですが、両替所で両替をしたほうが良いのか、日本で両替していった方が良いのか、随分迷いました。
結果はキャッシングが一番お得でした。カードの支払日は6月10日なので、ほぼ1か月でしたが、250EUROで1か月間の利息が497円、他にATM手数料216円を入れても、1ユーロ当たりの手数料に換算すると2.8円。日本で両替するときの手数料はもっと高かったです。帰国してすぐに支払えば、利息分はもっと安くなるので、短期間の旅行者にも便利だと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ポポロ門をくぐります。フランチェスコ・モキがサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂のために作り、受け取りを拒否されて戻ってきたといういわくつきの彫像です。こちらはピエトロ。
http://4travel.jp/travelogue/11052808
ポポロ門の外側は1475年に出来上がっていましたが、二つの彫像は、1658年に追加されたものです。 -
こちらがパオロ。返品されるほどの失敗作とも思えませんが・・・
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先ほどお昼休みで入れなかった、サンタ・マリア・デル・ポポロにやってきましたよ。
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早速骸骨が出迎えてくれました。この教会、他の教会とは異なり、床の修復には断固抵抗してきたそうです。それで沢山残っているんですね。
実はこの教会、ローマ帝国時代の墓だったところ。あの皇帝ネロもこの辺り、ピンチョの丘の斜面に埋葬されたという話ですよ。
1099年のこと。この辺りに住んでいた人々は夜な夜なけたたましい騒音に悩まされていました。騒音はとあるクルミの木から発生していると知った人々は、その木こそ、ネロの幽霊だと考えました。当時の教皇パスカリス2世は、ネロの骨壺の灰をテヴェレ川に撒き、クルミの木を切り倒しました。
最初の礼拝堂が建てられた場所は、その墓があったところだと言われています。今でもネロの亡霊が彷徨っている???
私なら夜にこの教会訪問しませんね。 -
教会は、人々からの寄付で建てられた(ポポロというのは人々の意味)と言われています。1235年、教皇グレゴリウス9世によって献堂されました。絢爛豪華なサン・ピエトロを見たばかりのせいか、薄暗く、色彩に乏しい印象を受けます。左右の柱の柱頭が、コリント式とイオニア式の両方が盛り込まれた複合様式になっているところは特徴の一つに挙げられますね。
実は、ポポロ門の内側の装飾を手掛けたベルニーニは、この教会でもバロック風修復を行っています。工事は1660年に完成しました。彼一流の味付けは、エンタブラチュアに腰掛ける白スタッコの天使や聖人達でしょうか。
天井はシンプルなクロス・ヴォールト、15世紀からあまり変わっていないようです。 -
早速礼拝堂巡りに出発です。
主祭壇に向かって右側の最初の礼拝堂は聖ジェローム(ヒエロニムス)に捧げられているローヴェレ家礼拝堂です。彼はギリシヤ語やヘブライ語で書かれていた聖書をラテン語に翻訳した人として知られています。
おお〜 まず目に飛び込んできたのがピントゥリッキオの「キリスト降誕」です。
ドームの下部に並んでいる、半月形をしたフレスコ画は、ティベリオドール・アッシジによるもので、1485年〜89年頃の作品。この礼拝堂が捧げられている聖ジェロームの生涯からの場面が描かれています。聖ジェロームの生涯で、一番有名な、「ライオンの足からトゲを抜く」場面は、祭壇画のすぐ上にあります。ライオンとは思えない茶色い毛の獣ですねえ。 -
再度、ピントゥリッキオをじっくりと見ましょう。色彩が素直で明るいので、私が好きな画家の一人です。聖母の隣にいるのが聖ジェローム、そして一番左がヨセフです。
右側の小屋の形が少々いびつに感じますが、この頃まだ遠近法って使われていなかったんですね。
祭壇中央の樫の木の浅レリーフは、この礼拝堂を建てたローヴェレ家の紋章です。この樫の木と6つの山(月見団子 前の旅行記で「たけのこ山」と言いましたが、「月見団子」の方がしっくり来ます。)と星を組み合わせたのがキージ家の紋章。 -
余程気に入ったのか、何枚も写真を撮っていますよ。
祭壇の左側と・・・ -
右側に、それぞれローヴェレ家の墓がありました。
左側の墓には、樫の木がありますが、右の物にはないので、もしかしたら、右は現在この礼拝堂を所有している家族の墓かもしれません。右の墓はバロックで、他とは年代が異なる気がします。 -
右側廊二番目は、チーボ家の礼拝堂。大きなドームを持ったギリシャ十字の形をしています。この礼拝堂も、最初は15世紀の枢機卿イノチェンツォ・チーボによって建てられ、ピントゥリッキオの装飾がなされたのですが、1682年〜87年にかけて、アルデラーノ・チーボがカルロ・フォンターナに依頼してフル・リフォームを行ったのです。
その結果、全てのピントゥリッキオの作品は失われてしまいました。
様々な色の大理石を用いた大変豪華の造りです。特に黒っぽい大理石が他の色を引き立たせています。
祭壇左側の墓は、フランチェスコ・カヴァリッニ作「枢機卿ロレンツォ・チーボのモニュメント」1683年。 -
巨大な祭壇画は、カルロ・マラッタによる「無原罪の御宿りについて議論する教会博士たち」。この作品は、マラッタの最高傑作の一つと言われています。絵の中では、4人の教会博士たち 福音記者聖ヨハネ、教皇グレゴリウス1世、ヨハネス・クリュソストモス(4世紀のキリスト教の神学者)、アウグスティヌス(こちらも4世紀の古代キリスト教の神学者)が何やら話し合っています。赤い服を着た福音記者聖ヨハネが、無原罪について説明しているのだそうですよ。
この絵の一番の特徴は、石の壁に油絵の具で描かれているということ。もっと近くで見てみたかったです。
祭壇右側にある墓も、左側と同じくフランチェスコ・カヴァリッニ作の「枢機卿アルデラーノ・チーボのモニュメント」1684年です。
ドームはルイージ・ガルツィによる「永遠の栄光」というタイトルだそう。 -
3番目の礼拝堂は聖アウグスティヌスに捧げるバッソ・デッラ・ローヴェレ家の礼拝堂。最初のローヴェレ家の礼拝堂と雰囲気が似ています。親戚同士でしょうか? 礼拝堂を作ったジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ(長い!)は教皇シクストゥス4世の甥にあたります。
ピントゥリッキオがここにもありました。但し、本人だけはなく、弟子たちも加わっているらしいですが、ピントゥリッキオの特徴がそのまま出ていると思います。
祭壇画は、「聖母子と聖人達」。左に立っているのが聖アウグスティヌスです。
この礼拝堂、窓枠のグロテスク装飾から、礼拝堂の下部に見られる、レリーフのように見えるモノクロの「だまし絵」まで、とても手が込んでいて楽しめます。教会と言うより、丸ごと芸術作品と言った感じ。 -
イチオシ
ドームの天井もご覧の通り。ローヴェレ家礼拝堂によく似た造りですが、こちらの方が断然凝っています。ここにもグロテスク様式も取り入れていますね。ドーム下部の半月形には、聖母の生涯からのフレスコ画が並んでいます。中央の絵「マリアの神殿でのお披露目」の下の方に、小さな可愛い犬がいるのわかりますか?
天井の上の方にはトンドの中に預言者たちの姿が見えます!
左側の絵は、ピントゥリッキオ&弟子による「聖母被昇天」。雪の日を思わせる暗い日の葬送という題材なのに、何故か陰気くささを全く感じさせません。
どこを見ても「飽かず眺める」ことができる礼拝堂でした。お勧めです。 -
右側廊4番目の礼拝堂はぐっと渋くなります。アレキサンドリアの聖カタリナに捧げられているコスタ家礼拝堂です。創設者はポルトガル出身の枢機卿ホルヘ・ダ・コスタで、彼自身のモニュメントが祭壇に向かって左側にあります。
摩訶不思議なのは、祭壇前に置かれた枢機卿ピエトロ・フォスカーリのモニュメント。元々フォスカーリ家の礼拝堂にあったものですが、現在その礼拝堂は存在しません。1480年頃の作の立派な記念碑ですが、よその家の一番大切な客間に上がり込んだみたいで、墓の主は居心地悪いのではないかしら?
ドームの半円形部分の装飾は、だいぶ傷んでいますが、同じくピントゥリッキオの弟子たちによるもの。ピントゥリッキオ本人の作とされたものも含め、すでに失われてしまった装飾部分もあるそうです。 -
コスタ家礼拝堂の横にあった、ジョヴァンニ・ジローラモ・アルバーニのモニュメント。名門アルバーニ家出身の枢機卿だそうです。
ロミオとジュリエットではないですが、イタリア名門の貴族の方々はたいていにっくき仇敵をお持ちのようで、アルバーニ家にも御多分に漏れず、ブレンバティ家と仲たがいをしており、彼の兄弟がこともあろうに、彼の故郷ベルガモ一の教会で、その子息を殺害! そのため、アルバーニ家全員が5年間の島流しの刑を受けたそうです。
それでも、最後はローマで枢機卿にまで上り詰めた人というわけですね。 -
右翼廊にある「聖母のエリザベツ訪問」の礼拝堂。全く飾り気のないカーヴを描いた壁面のあるこの礼拝堂の設計はベルニーニです。ベルニーニは左翼廊にも対照的に、同じスタイルの礼拝堂を設計しました。
ドーンと置かれたモニュメント自体もベルニーニ作です。左右にあるキージ家の紋章がいやでも目につきます。樫の木と月見団子の組み合わせ!
祭壇画「聖母のエリザベツ訪問」は、ジョヴァンニ・マリア・モランディ作。天使たちは、左がエルコーレ・フェラッタ、右がアッリゴ・ギアルデによるものです。 -
翼廊奥の小さな礼拝堂。芸術的な価値はあまりないと、ウィキペディアに書かれていました。こんなところまで写真を撮るもの好きは私位なものなのかなあ・・・誰もいないので、ゆっくり見物できましたよ。
チカダ家の礼拝堂はカッシアの聖リタに捧げられています。この教会はアウグスティノ修道院を併設していますが、聖リタもアウグスティノ会の修道女でした。彼女は今でいう、DVに長い間耐えてきた人で、かなり年を取ってから修道女になりました。 -
芸術的な価値はないけれど、隣のフェオーリ家の礼拝堂にも訪問しましたよ。ヴィラノヴァの聖トマソに捧げられています。トマソは16世紀のスペインの聖アウグスティヌス修道院の修道僧で、貧者の救済に身を捧げた人です。
祭壇の絵が、何よりも彼自身を物語っています。 -
主祭壇上のドームは八角形をしていて、8つの窓がついています。中央のフレスコ画はファラエーレ・ヴァンニによる「栄光の聖母」。1658年の作品です。
時の教皇アレクサンドル7世はこの絵を嫌っていました。彼と同じ名前のアレクサンドル6世(在位 1492年〜1503年)は、史上最悪の教皇と呼ばれ、好色、強欲、サボナローラとの対立等、カトリック界の名を汚したことで有名な教皇ですが、このフレスコ画の聖母が、アレクサンドル6世の愛人ヴァノッツァ・カタネイに似ていたからだと言われています。 -
そして、こちらがサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の主祭壇です。バロック様式による、ベルニーニ1627年の作品です。ブレーニョが作った古い祭壇は現在、聖具室に置かれています。
前に置かれた祭壇と石目を合わせた多色大理石の装飾が目を惹きます。4本の黒い大理石の柱も目立ちますね。上に乗っているのは、天使とプット達。ほらほら!手を振っていますよ! -
祭壇の聖母子のイコンは、ポポロのマドンナとして広く知られているもので、1231年に教皇グレゴリウス9世から教会に贈られました。以前はサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノの宝物庫にあったものだそうです。聖ルカが描いたという伝説がありますが、鑑定結果では12世紀または13世紀の作品とされています。描き直されたという可能性もありますね。
聖母のちょっと首をかしげたしぐさは、とても優美です。 -
勝利の門(凱旋門)は、ブラマンテの設計。アーチの両脇に施された金メッキされたスタッコのレリーフは、後の17世紀に施されたものですが、深みのある荘厳な雰囲気を醸し出していますね。
祭壇の脇に立っている彫像は、アウグスティノ会の修道士たち。彫像の下にある通路は合唱隊席へと通じています。 -
勝利の門のアーチの天井部分のズームです。
皇帝ネロの墓の伝説と教会が出来た経緯が表現されているというのですが、中央の1枚のベッドに寝ている人は誰だろう?
少々おどろおどろしいレリーフですよ。 -
主祭壇のすぐ左隣にある小さなチェラーシ家礼拝堂、またの名を「聖母昇天の礼拝堂」と言います。
この小さな礼拝堂の前は黒山の人だかり。先ほどのチカダ家、フェオーリ家の礼拝堂と広さは変わらないのに、人の数は雲泥の差! 誰もがここを目指します。なぜって、カラヴァッジョがあるから・・・
教皇クレメンス8世の会計係をしていた(のちに枢機卿になった)ティベリオ・チェラーシは、自分の礼拝堂にピエトロとパオロの絵を2枚描いてほしいとカラヴァッジョに依頼します。
チェラーシは、出来上がってきたパオロの絵が気にいらず、画家に描き直してくれるよう頼みます。チェラーシにとって、この決断はとても幸運なものとなりました。
「聖パウロの回心」1601年、カラヴァッジョの2度目の作品です。礼拝堂に入れないので、このようにしか撮れないのが哀しいです。
1度目の作品をwikipediaで見つけましたので、興味のある方は覗いてくださいね。現在1作目はローマのサンティ・アポストーリ広場にあるオデスカルキ・コレクションが所蔵しています。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Michelangelo_Merisi_da_Caravaggio_-_The_Conversion_of_St._Paul_-_WGA04135.jpg -
「ピエトロの磔図」の方は、何事もなく納品されたのかな・・・こちらも2作目と言う噂もあるのですが、真偽のほどは分かりません。1601年。
登場人物4人の動きが生々しく伝わってきます。物凄い迫力! -
ティベリオ・チェラーシはカラヴァッジョに2枚の絵を、そしてアンニバーレ・カラッチにこの祭壇画を依頼しました。カラヴァッジョに比して影の薄い存在ですが、こちらも素晴らしい絵ですよ。聖母被昇天。こちらも1601年作。手前の二人はピエトロとパオロです。
こんな狭い礼拝堂に、色彩豊かなこの1枚と、その両側に暗いド迫力の2枚が同居していることに驚きを禁じえません。なんという強烈な空間なのでしょう! あくまでも、礼拝堂の主役はこの絵だということをカラヴァッジョは知っていたのですね。 -
チェラーシ礼拝堂のお隣はテオドーリ家礼拝堂。大変カラフルな礼拝堂です。あまり知られていませんが、マニエリスムの画家であり、スタッコ作家、彫刻家でもあるジュリオ・マッツォーニのライフワークが収められています。マッツォーニは1555年から20年かけてこちらの礼拝堂の装飾を行いました。
祭壇の像はサンタ・カテリナ。以前はカディス(スペイン)のサンタ・カテリナと呼んでいたそうですが、シエナでもアレキサンドリアでもないカディスのサンタ・カテリナ? (・・? 多分シエナだと思いますけれど。
ヴォールトには、預言者とシビュラが沢山描かれています。一瞬ティヴォリのヴィッラ・デステを思い出しました。じっくり見る時間がなかったことが悔やまれます。 -
また、ボケていますね。
左翼廊にある「聖家族エジプトからの帰還」の礼拝堂は、先ほど見た「聖母のエリザベツ訪問」の礼拝堂と対になっています。
写真を同じように撮っていないから、これじゃあ比較できないし、分かりませんよね。我ながらがっくり・・・
こちらも、モニュメントはベルニーニの設計。祭壇画はベルディナーノ・メイ。天使像は左がジョヴァンニ・アントニオ・マリ、右がアントニオ・ラッギの作品です。 -
これは、教会のオルガンを撮ったつもりだったのですが、肝心のオルガンが写っていない!
でも、その下でキージの紋章を抱えている天使たちがあまりに美しいので、お許しください。オルガンとその下の装飾はベルニーニによるものです。
パイプが樫の枝のような装飾を施された、(勿論これは、キージ家の紋章の一部になっている樫の木をイメージしたものなのでしょうが、)これまでお目にかかったことのないようなオルガンだったのですが・・・ -
反対側のオルガンは、極々普通のオルガンでした。1906年に製造されたもので、こちらの方が非常に高品質なものだそうですが、特徴は特にありませんね。
天使も、お向かいの方が出来が良いような気がします。 -
左側廊の「チーボ-ソデリーニ家礼拝堂」は、キリストの磔像に捧げられています。かつてチーボ家に属していたテオドリーナ・チーボによって作られますが、後にソデリーニ家に引き継がれます。
磔像は15世紀の作品。オラトリオ会の創設者聖フィリッポ・ネリは、この像の前で祈りを捧げているときに、ヴィジョンを得たそうです。
この礼拝堂は左右の絵画も十字架に関する作品で、左が「真の十字架の発見」、右が「十字架の高揚」。私は馴染みがないですが、カトリックでは十字架を高揚するお祭りは、年に12の主要な祭事の内の一つなのだそうです。 -
左側廊続いては、「メッリニ家の礼拝堂」、トレンティーノの聖ニコラスに捧げられています。祭壇画には、聖母、アウグスティヌス、そして聖ニコラスが登場しています。
ドームの上方には、聖人の生涯からの場面、半円形部分には、美徳の寓話像がフレスコで描かれています。
帆立貝のモチーフがアクセントになっていますね。 -
お隣は大変ご立派なチーギ家礼拝堂。八角形のドーム型をしたこの礼拝堂はロレートの聖母に捧げられています。ローマにある主要な礼拝堂の一つに数えられているそうです。
ここは中に入れるので、早速入らせて頂きました。
礼拝堂は、1520年に亡くなったラファエロ・サンティにより設計されています。パトロンは銀行家で、教皇の財務担当だったアゴスティーノ・チーギ、それにラファエロの友人たち、彼の兄弟のシギスモンドです。アゴスティーノとシギスモンドの墓はここにあります。
礼拝堂の建設は1520年にラファエロ自身とアゴスティーノの死により中断を余儀なくされます。そして130年後に、後に教皇アレキサンデル7世となる枢機卿ファビオ・チーギにより、ようやく完成をみたのです。 -
ラファエロは、1516年にヴェネツィア出身のルイジ・デ・パーチェにより作られたドームの素晴らしいモザイクの下絵を描きました。
背景の青の色がとても印象的で、金メッキのスタッコを引き立たせています。中央には、大空の創造主としての父なる神がいます。彼の周りに並んでいるのは、太陽や惑星を表すシンボルたちなのだそうです。 -
「聖母の降誕」を描いた祭壇画は、元々ラファエロが依頼を受けたものでしたが、取り掛かる前に彼は亡くなってしまいます。
ペペリノ石に油絵の具という、珍しい手法で描かれたこの祭壇画は、セバスティアーノ・デル・ピオンボにより1530年〜34年にかけて描かれました。ところが、まだ未完成のうちに画家が死亡してしまいます。
上部の聖なる父と天使達の部分を仕上げたのは、イル・サルヴィアーティと言う通称で知られているフランチェスコ・デ・ロッシ。彼は1555年頃にようやくこの絵を完成させました。
上と下のパートで雰囲気も手法もガラッと異なるような気がします。お目出度い絵のはずなのに、なんだか不穏な空気が漂っていますよね。 -
祭壇に彫られた浅レリーフ(写真では真っ黒に写っていますが、実はレリーフなのです(泣))、祭壇に向かって左側ニッチェの預言者ヨナの彫像は、フィレンツェ出身の彫刻家ロレンツェットの作。この作品はラファエロのスケッチを元にしているのだそうです。
向かって右側ニッチェの彫像は、ベルニーニ作の預言者ハバクク。どちらの預言者も存じませぬが、ハバククの天使を見つめる表情いいですねえ。
ヨナが乗っかっているものなんだか分かりますか? なんとクジラ! こんな小さなクジラがいるとは思えませんが、ジョーズのようなギザギザした歯が見えます。何も裸で戦わなくてもいいのでは・・・ -
祭壇と反対側にあったニッチェには、ロレンツェットとモンテルポによる預言者エリヤの像。エリヤの預言の中に、「救世主(キリスト)の再来」を告げるものがあったんですよね。1522年。
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ボケボケシリーズですが、こちらはベルニーニの預言者ダニエル。陰謀でライオンがうじゃうじゃいる洞窟に投げ込まれても、「神の力」により食われることはなかった人です。足元に「従順な」ライオンがいますね。1655年〜57年。
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ついでなので、再度紹介
ロレンツェットのヨナ。1520年。 -
ベルニーニのハバクク。1656年〜61年にかけての作品です。
これだけ撮って礼拝堂を出ました。肝心のここの主、アゴスティーノ・チーギとラファエロの兄弟シギスモンドのピラミッドの墓の写真は撮らずじまいでした。 -
チーギ礼拝堂の左側にあったのは、とても変わった形をした、1771年に作られた王女フラミニア・オデスカルキ・チーギのモニュメントです。バロックの最高傑作の一つで、バロック期の終焉を飾るにふさわしい墓と言われています。趣味悪い!っていう人もいるでしょうね。
王女は20歳の時に、出産が元で亡くなりました。大理石の肖像を見ると、とても20歳には見えないですが、貴族階級に特有な鷲鼻ですなあ・・・
設計者はパオロ・ポージ。彫刻家はアゴスティーナ・ペンナによります。モニュメントはチーギ家とオデスカルキ家両方の紋章から取ったデザインを全面にちりばめています。
下に見える月見団子・・・ではなく6つの山々、星、黒い樫の木はチーギ家。てっぺんにいる鷲、右側下に見える香炉、山に寄り添うライオンは、オデスカルキ家の紋章からの装飾です。 -
左側廊最後はモンテミラービレ家の礼拝堂です。ここは1561年以来、洗礼堂として使われてきました。洗礼堂ですので洗礼者聖ヨハネに捧げられています。
祭壇画はキリストの洗礼場面。パスカリーノ・ロッシによるものです。残念ながら、この絵下の方一部が消えてしまっています。
祭壇の両脇にある大理石の建造物は、アンドレア・ブレーニョが作った、ベルニーニ以前の主祭壇の両脇に置かれていた「洗礼」と「聖なる油」を象徴する祠です。これ以外の部分は、前述の通り聖具室にあります。
両側の壁には、二人の枢機卿フランチェスコ・カスティリオーネとアントニオ・パッラヴィチーニの墓があります。 -
あと二つだけ気になった物を紹介しますね。カウンターファサードにあったものです。
この気味の悪い骸骨は、ジョヴァンニ・バッティスタ・ギジエーニの墓。彼はポーランドの宮廷で働いていたバロックの建築家兼舞台デザイナーでした。この教会の中で、誰もが挙げる「気味悪いで賞」の作品です。なんと設計は彼自身だと言うから驚きですね。亡くなる2年前の1670年に作られたそうです。 -
最後は、マリア・エレノーラ・ボンコンパーニ・ルドヴィージの墓です。こちらもカウンターファサードにありました。彼女はトスカーナ州ピオンビーノ公国の王女で、1745年に亡くなりました。ドメニコ・グレゴリーニの1749年の作品です。
下の方には翼を広げたドラゴンがいますね。これはポンコンバーニ家のシンボルだそうです。多色大理石を使った中央部分は大変緻密な仕事が成されているのがわかります。羽の生えた骸骨は不気味です。左右の女性像はお馴染み寓話像、慈悲と柔和。そして中央部分はピオンビーノ公国の紋章で飾られています。 -
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 満喫いたしました。時間があるからって美術館に入らずに大正解だったと思います。下手な美術館よりずっと充実した内容、雰囲気、そして作った人たちの息遣いが感じられる空間でした。
また一つお気に入りの教会が増えてしまいました。 -
外に出ると、変わらぬ青い空が迎えてくれました。日本では雨女の私は、昨年も今年も(今のところ)、イタリアではほとんど雨らしい雨に会わずじまい。少々暑いけれど、毎日雨だったら、こんなに歩けませんよね。
ポポロ広場の真ん中に立つオベリスクは、ご覧の通り工事中でした。このオベリスクも、ヒエログリフが実に美しい! 土台のアルファベットはもう消えかかっているというのに、紀元前1290年の彫刻は大変クリアです。
それにしても土台はかなり傷んでいますね。これでよく崩れないなあと心配になります。 -
オベリスクの周りのライオンをようやく捉えることが出来ました。1823年にヴァラディエが広場を整備した際に「エジプト風に」作った4頭のライオンです。もの憂げな表情の割には、割と勢いよく水を吐きだしていましたよ。
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ポポロ広場の両端にあるローマの神々とピンチョの麓の噴水。その向こうは、つい3時間ほど前に立っていたピンチョの丘の展望台です。
ローマの神々の噴水って、いつも大体こんなイメージですね。ローマの象徴雌オオカミまでいて、サービス過剰です。 -
ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会と反対側には、ご存知双子の教会があります。こちらも、それぞれサンタ・マリアが頭につく教会なので、合わせて3つの聖母に捧げる教会が一つの広場にあることになります。
太陽の当たり方と、外壁の色の違いで、あまり双子に見えませんが、折角なので、寄ってみることにしましょうね。 -
まずはこちら、サンタ・マリア・イン・モンテサント教会。中央のコルソ通りに向かって左側の双子の片割れです。天界の女王聖母に捧げる教会です。
2014年には大規模修復工事のために閉まっていたようですが、今回は、大丈夫みたいです。修復したてだから、こんなに鮮やかなのかな?
修道会カルメル会の教会で、1640年に修道院を建てるために教皇の許可を取ったのが始まりとされています。1662年には、コミッショナーで枢機卿のジローラモ・ガスタルディが最初の礎石を置いています。
ポポロ広場からコルソ通りを中心に扇のように走る3本の通りの出発点に当たる場所に2つの教会を建てる計画が持ち上がったのは、またまた登場するアレキサンデル7世。工事はカルロ・ライナルディによって始まりましたが、教皇の死により中断、カルロ・フォンターナが後を引き継ぎ、1673年に完成させました。
実はこの教会は隣の教会の円形とは異なり、楕円形のドームを持っています。それを教皇に進言したのはベルニーニだそうです。楕円形の方が2つ礼拝堂が余計に作ることが出来るというのがその理由なのだとか。果たして楕円形のドームを持つ、6つの礼拝堂を抱えた教会が出来上がったのです。
見かけだけでは全く分かりませんね。
ファサードに立っている聖人像は、ベルニーニの弟子たちの作品です。 -
教会の入り口を入るとすぐにそこはドームの下です。コリント式の柱で支えられたエンタブラチュアが、ぐるりとドームを一周しています。クリーム色でシンプルな壁と、四角形を組み合わせた2色を使った床の組み合わせは好感が持てます。
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楕円形のドームは、なんと12角形になっていました!
シンプルさと曲線の美しさが目を惹きます。
幅は全てが同じ長さではなく、聖域の勝利の門とその反対側の入り口部分が広く、勝利の門の両脇はとても狭くなっています。
右下の勝利の門に掲げられているのは、コミッショナーの枢機卿ジローラモ・ガスタルディの紋章です。ここからだと3体しか見えませんが、全部で4体の彫像がドームのニッチェに収められていました。 -
ベルニーニの提案通り、左右3つずつ、計6つのサイド・チャペルが仕切り壁ごとに作られていました。どの礼拝堂にも、紋章が掲げられていますね。
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こちらは、祭壇に向かって右側のサイド・チャペルです。楕円形だと、どの礼拝堂も一目で見渡せるという利点がありますね。
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右側最初は磔像に捧げられた礼拝堂。アレッサンドロ・チェザーニにより1670年に完成しました。天井の少々けばけばしいスタッコ装飾はピエトロ・パパレオによるものです。
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右側二番目は煉獄に捧げられた礼拝堂。
煉獄って、ご存知ですか? ウィキペディアによれば、煉獄とは天国と地獄との間にあり、死者の霊が天国にはいる前に、ここで火によって浄化される場所だそうです。それに捧げるって、一体どういうことなんでしょう?
天井のフレスコ画を見る限り、決して居心地の良い場所ではなさそうです。
祭壇画は「エマオの晩餐」マネリズムやバロック芸術、特にカラヴァッジョに影響を受けたリカルド・フェッローニ(1934年〜2000年)という現代アーチストの作品です。
エマオというのは、復活したキリストが現れたエルサレム近郊の町の名前。カラヴァッジョも同名の絵を描いていますよ。 -
右側三番目は、聖母の母聖アンナに捧げられた礼拝堂。どの礼拝堂も、左右の柱が大変豪華。こちらの礼拝堂のシシリア産の碧玉は、特にに美しい柱でした。設計はカルロ・フォンターナの弟子だったカルロ・ビザッケリ。
祭壇画と天井のフレスコは、共にニッコロ・ベッレトーニの作品。祭壇画は聖アンナと聖家族が、天井画は父なる神が描かれています。 -
主祭壇です。光が反射して、肝心の祭壇部分が良く見えないのですが、伝えられるところによると、祭壇画はマウント・カーメルの聖母のイコンで、16世紀に作られたコピーで、カルメル会の修道院がここに移る前にあった、古い修道院で保管されていたものだそうです。
主祭壇両脇の2本ずつの柱も立派ですが、シシリア産碧玉ほどではありません(笑)。
主祭壇の両脇、黒い大理石の壁柱があるニッチェには、枢機卿ジローラモ・ガスタルディを支援してくれた教皇4名(アレクサンドル7世、クレメンス9世、クレメンス10世、イノケンティウス11世)の胸像が置かれています。教会を建てるのは、本当に大仕事だったようです。 -
続いて双子の隣の教会へ。こちらは、サンタ・マリア・デイ・ミラコーリ教会です。ミラコーリ=奇跡のマリア教会です。この名前にはやはり物語がありましたよ。
この教会の前身の礼拝堂には、人々に崇拝される聖母子のイコンがありました。1325年に、ある女性が誤って赤ん坊を川に落とし、急いでこのイコンに向かい祈ったところ、奇跡的に!!赤ん坊は無事岸辺に流れ着き、救出されたのです。じゃ〜ん!
というわけで、川のそばに新たに礼拝堂が建ち、イコンもそこに移されたというお話です。こちらの教会の建設に尽力を尽くしたのは、隣の教会と同じ枢機卿ジローラモ・ガスタルディ。こちらの教会の建設もカルロ・ライナルディ、カルロ・フォンターナまでは同じ道をたどりましたが、完成は片割れより遅れること5年の1678年のことです。ベルニーニはこちらの教会には関わっていません。 -
こちらの教会も入るとすぐにドームであるのは一緒でした。双子ですものね。入口の扉のすぐ上には、ガスタルディの紋章が恭しく掲げられていましたよ。隣と変わりません。
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そしてこちらが円形、正確には八角形のドームです。シンプルなところはそっくりですが、隣より更に地味な雰囲気です。
そしてこちらのドームの勝利の門の上にもほらっ! あちこちにガスタルディです。ドームはカルロ・フォンターナの制作です。 -
床の雰囲気も似ていますね。ドームの両脇には大きめのサイド・チャペル、主祭壇の両脇には小さめのサイド・チャペルが並んでいます。
巨大な柱に支えられたエンタブラチュアが、ぐるりと内部を一周しているのは隣と同じです。身廊部分はカルロ・ライナルディの仕事だそうです。
こちらの教会は、モニュメントや墓中心ではなく、あくまでの人々の祈りの場所の確保に重点を置いているようです。修道院が併設されていないと言うところが一番の違いかもしれません。 -
床の中央にも、カスタルディの紋章が大変目立っていました。少々食傷気味になってきましたよ。
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右側最初の礼拝堂は、聖母被昇天に捧げられていました。
祭壇画は、3世紀の聖人グレゴリオ・タウマトゥルグスが聖母の被昇天の場面を目撃しているシーンです。
ネオクラシック様式のブロンズがはめられた白大理石の祭壇は、バロックばかり見てきた目には新鮮でした。 -
聖ヨセフ キリストの養父に捧げられた礼拝堂は、何故か祭壇が撤去されていました。残されたのは、父子像の祭壇画のみ。
その前には白い大理石の聖母子像。アレクサンドル・ルノワールのベツレヘムのマドンナのコピーだそうです。左右の壁のトンドの絵が珍しいですね。 -
後陣のカーヴに沿って、奥行きのある主祭壇が置かれていました。天蓋の上には3人の天使たちがいて、中央の一人が十字架を支えています。後陣には聖霊のハトのレリーフがありますが、他の教会のように金メッキされていないので、とても地味な印象。
左右の壁には、左ジローラモ・ガスタルディと右その弟で兄を常に支援していたベネディット・ガスタルディのモニュメントがありました。この二つのモニュメントは、ペアとなるよう、フォンタナが設計したものです。
祭壇の前には、ブロンズで作られた最後の晩餐のレリーフがありました。 -
こちらが、奇跡を起こし、この教会の名前の由来となった「聖母子のイコン」です。四人の天使がイコンを支えている…と思ったら、右上の天使がいませんね。この部分壊れてしまったのでしょうか? まさかハンマー男の仕業じゃあないですよね。とても気になりました。
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磔像は、見るのが段々と辛くなってきたのでスキップして、最後はパドヴァのアントニオに捧げられた礼拝堂です。
祭壇画では、聖母子を挟んで、左にアントニオ、右にエジプトの聖アンソニー (日本では大アントニオス 修道士生活の創始者だそうです)が描かれています。アンリ・ガスカール作。
祭壇の下の蝋人形は、聖カンディダ。松の葉を握っています。プリシーラのカタコンベから運ばれた彼女の聖遺物が中に収められています。教会の説明では、4世紀、ディオクレティアヌスの迫害により殉教したとありますが、彼女の名前はローマの殉教者名簿にはなく、存在そのものも???らしいです。女性と言うより、まだ子供のような体つきですね。 -
ということで、急ぎ足で双子の教会を廻りました。見かけはそっくりでも、中身は異なるということがよくわかりましたよ。
もう一度奇跡の聖母を拝んでから、ドームからさんさんと陽が差しこむ明るい教会を後にしました。 -
コルソ通りの真中に立って、双子の教会の鐘楼を比べてみると・・・
ほらっ 形はかなり違いますよ。サンタ・マリア・イン・ミラーコレ(右)の方が細長く、歪んだ4辺を持っています。角に3本ずつの柱が使われているのも特徴の一つ。
サンタ・マリア・イン・モンテサントの方は箱型で、各面三角形のペディメントを持っています。
う〜ん、好みで言えば、ミラコーレでしょうか。 -
視点を下にずらすと・・・
ここからブランドものの店が立ち並ぶ、コルソ通りが始まります。この辺りは、歩行者天国になっていて、気持ちよく歩けそうですね。 -
さらば!ポポロ広場。サンタ・マリア・デル・ポポロ またお邪魔しますよ!
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さっきスペイン広場で食べ損ねたジェラートで休憩中。お味の方は?
う〜ん。普通かな? また食べたいと言う味ではありませんでした。 -
ポポロ広場から伸びている3本の道の内、一番右のリペッタ通りを行きます。
左に廃墟の様な教会あり。 -
これぞローマ!と言う色の住宅。もうテヴェレ川近くまでやってきましたよ。
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見たかったのは、この辺りのはずなんですが、う〜ん。木に邪魔されて見えません。
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あっようやく建物の一部が見えました。これ以上は無理そうです。ああ 残念!
この辺りはかつてのカンプス・マルテウスの一番外れ辺り。やってきたのはアウグストゥス廟です。巨大な円筒形 ツナ缶やシャケ缶のような形ですが、グーグルマップで確認したら、屋根はとうに落ちて、周りの壁だけ残っているようです。完成当時の廟は直径90m、高さ42mあったというのですから、とんでもない大きさですねえ。
紀元前28年に建てられたとありますが、彼が皇帝の座に就いたのは紀元前27年のこと。その1年前から建築開始したのでしょうか? 皇帝になる前に墓を建て始める・・・・ちょっとおかしな話ですねえ。 -
廟の前には、平和の女神の祭壇 通称アラ・パキスがありました。祭壇前面のレリーフは昨年、フィレンツェのウフィッツィでコピーを見ています。
見た時は、何のレリーフかわからずに、随分調べてようやく平和の女神の祭壇だと分かった次第。
アラ・パキスは近代的な建物で、古代の遺跡を遺跡ごとすっぽりと覆っています。ここは今回予定に入っていたのですが、今日は閉館まであと30分しかないため、泣く泣く次回に回すことにしました。サン・ピエトロで時間を食ってしまいました。十分すぎる訪問価値があったので、それはそれで良し!! -
昨年のウフィッツィで見たコピーから1枚だけ紹介します。
祭壇前面のレリーフの1枚です。本物は大理石ですが、こちらは漆喰でしょうか?
中央の子供が、アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの子、ガイウス・カエサル・アグリッパ 子供が袖をつかんでいる人が父アグリッパ。子供の後ろは、アウグストゥスの妃リヴィア。そして、その後ろがリヴィアの連れ子で、二代皇帝となるティベリウスです。
そうそうたる顔ぶれですね。 -
アウグストゥス廟のとなりにあったのは、アウグストゥスのサン・ロッコ教会ですChiesa di San Rocco all'Augusteo。1477年、ローマを襲ったペストの流行の際、ここはテレヴェ川のリペッタ港のそばにあったため、付近の宿屋の主人達や川運業に携わる人々が中心となって、船員のための病院を建てたのが、教会の始まりとされています。聖ロッコ(日本ではロクス)は、ペストに罹った人の守護聖人なのです。彼の彫像は、たいてい傷を負ったり、できものが出来たりした太ももを指さしていて、傍らには犬がいます。
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そのサン・ロッコ教会とアーチでつながっているのが、お隣のサン・ジローラモ・デイ・クロアティ。クロアチアのナショナル・チャーチで、聖ヒエロニュムスに捧げられています。こちらは現在、クロアチアの聖職者育成のための大学となっているようです。
二つの教会がアーチで結ばれているのは珍しいですね。 -
ホンの好奇心から、クロアチアの聖職者のための大学を覗いてみることにしました。ファサードは、マルティーノ・ロンギ(祖父)の作。彼はカンピドーリオ広場の市庁舎背後にそびえる鐘楼を作った人です。
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町でみかけた教会に、ふらっと入っていっただけなのに、またしても、圧倒されてしまいましたよ。なんて町なんでしょう。ローマって奴は・・・
身廊は、夥しい数のフレスコで溢れていました。19世紀中ごろのピエトロ・ガリャルディの作品です。 -
聖域は珍しいタイプで、主祭壇の後ろには、クワイア 合唱隊の席が設けられていました。小さな主祭壇の後ろで、未来の聖職者の卵たちが説教のリハーサル中?でした。
祭壇画はなく、背後には、大きな「聖ヒエロムニェスのシリア アンティオキアにおける聖職授任」のフレスコ画。聖職者の大学にとってはぴったりの絵ですね。 -
サイド・チャペルは7つほどありましたが、1つだけ紹介。
クロアチアというお国柄を反映して、スラブ民族の聖人達に捧げられた礼拝堂がありました。聖キリルと聖メトディウス。全く初耳の聖人達ですね。
祭壇画は、イル・ヴァンゲリーニによる二人の聖人を描いたものでした。モノクロームのようなタッチが面白い作品です。1650年。 -
壁には大きなフレスコ画。柱には細長い聖人画、そしてプット達のレリーフというパターンが多かったです。時間があったら、もっとじっくり見たかった教会でした。
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次にやってきたのは、mercato delle Stampe 印刷物市場とでも訳すのでしょうか?ヴィンテージものの本や古書などを扱うストールが立ち並ぶ市場です。時間が遅かったので、もうすでに大部分のお店は閉まっていましたが、古い楽譜やポスター、埃まみれのペーパーバックなどを眺める人たちが、まだたむろしていました。
場所はボルゲーゼ宮の南にある同名の広場で、毎日開催されているようです。 -
今日もまた、盛り沢山の1日でした。5月11日最後の写真は、議会広場piazza del parlamentoから見た、モンテチトーリオ宮殿裏側?の1枚です。モンテチトーリオ宮殿には、イタリア下院が置かれています。
明日はいよいよローマ最終日。あとどのくらい回れるかな?ぜひとも有意義な1日にしなくっちゃ。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その29 ローマ サン・ロレンツォ・イン・ルチナで。
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