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一ノ関城(いちのせきじょう、岩手県一関市釣川)はJR東北本線一ノ関駅から南西へ徒歩約15分、磐井川を眼下に望む釣山(つりやま)に構えた山城で現在は釣山公園となっています。<br /><br /><br />釣山公園入口に建てられた「釣山公園の歴史」と題する説明板には次の如く記載されています。<br /><br />「 釣 山 公 園 の 歴 史<br /><br />ここ釣山は大自然の営みから生まれた丘陵で、古くから道行く人々の目印でした。<br /><br />一関藩校初代学頭の関元龍(せきげんりゅう)の著した「関邑略史」によると釣山は古代から軍事上の要塞であり、高崎城とも篠見山とも呼ばれています。<br /> ○征夷大将軍 坂上田村麻呂の陣地 (大同年中)<br /> ○安倍貞任弟 磐井五郎家任の砦  (天喜年中)<br /> ○源頼義、義家親子の篠見山の陣地 (康平年中)<br /> ○葛西氏家臣 小野寺道照の居城  (天正年中)<br /><br />以上が中世まで釣山に関わった人物と伝わり、葛西氏の滅亡に伴い伊達氏の支配となり、一関城に伊達政宗の叔父・伊達(留守)政景が移ってきました。<br /><br />江戸時代にあって、仙台藩のうち三万石が分封され、「一関藩」がうまれ、最初の藩主は伊達政宗の十男伊達兵部宗勝でしたが、伊達騒動(寛文事件)で土佐に配流になり、一時仙台藩領に戻りました。<br /><br />その後、天和二年(1682)岩沼から伊達家分家の田村建顕(たつあき)公が一関藩主として移封され、以後明治維新に至るまで十一代の歴代藩主が治めました。<br /><br />田村氏の居城は現在裁判所のある城内で、一関城下絵図にも範囲が描かれています。釣山は田村氏の居館を見下ろす高所に位置するので、誰彼と入れる場所ではありませんでした。<br /><br />一関藩となってからの釣山は、その山中に、山王社、稲荷社、松樹堂(孔子の聖廟)が勧請され、藩主自らが祭祀を行っておりました。今では井戸や稲荷社が残り、近代に偉業を成した人々の顕彰碑や田村家累代の事蹟などの紹介碑もあり、梅の名所としても整備されています。<br /><br />釣山頂上には千畳敷と呼ばれる平坦地があり、その下には日本庭園などが公園として整備されています。日本庭園の北側にある四阿(あずまや)や千畳敷きから見る展望は素晴らしく、磐井川を眼下にし、市内全域ほか北上平野、蘭梅山、観音山、烏兎(うど)が森、さらには栗駒山、東稲(たばしね)山、室根山の展望が広がります。<br />      <br />      平成14年1月22日 寄贈 創友会」

陸中一ノ関 頼朝に絶大な信頼を寄せられた御家人の後裔である葛西氏没後は伊達氏一族として旧仙道地域領有の田村氏の居城となった『一関城』訪問

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2015/08/11 - 2015/08/11

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滝山氏照

滝山氏照さん

一ノ関城(いちのせきじょう、岩手県一関市釣川)はJR東北本線一ノ関駅から南西へ徒歩約15分、磐井川を眼下に望む釣山(つりやま)に構えた山城で現在は釣山公園となっています。


釣山公園入口に建てられた「釣山公園の歴史」と題する説明板には次の如く記載されています。

「 釣 山 公 園 の 歴 史

ここ釣山は大自然の営みから生まれた丘陵で、古くから道行く人々の目印でした。

一関藩校初代学頭の関元龍(せきげんりゅう)の著した「関邑略史」によると釣山は古代から軍事上の要塞であり、高崎城とも篠見山とも呼ばれています。
 ○征夷大将軍 坂上田村麻呂の陣地 (大同年中)
 ○安倍貞任弟 磐井五郎家任の砦  (天喜年中)
 ○源頼義、義家親子の篠見山の陣地 (康平年中)
 ○葛西氏家臣 小野寺道照の居城  (天正年中)

以上が中世まで釣山に関わった人物と伝わり、葛西氏の滅亡に伴い伊達氏の支配となり、一関城に伊達政宗の叔父・伊達(留守)政景が移ってきました。

江戸時代にあって、仙台藩のうち三万石が分封され、「一関藩」がうまれ、最初の藩主は伊達政宗の十男伊達兵部宗勝でしたが、伊達騒動(寛文事件)で土佐に配流になり、一時仙台藩領に戻りました。

その後、天和二年(1682)岩沼から伊達家分家の田村建顕(たつあき)公が一関藩主として移封され、以後明治維新に至るまで十一代の歴代藩主が治めました。

田村氏の居城は現在裁判所のある城内で、一関城下絵図にも範囲が描かれています。釣山は田村氏の居館を見下ろす高所に位置するので、誰彼と入れる場所ではありませんでした。

一関藩となってからの釣山は、その山中に、山王社、稲荷社、松樹堂(孔子の聖廟)が勧請され、藩主自らが祭祀を行っておりました。今では井戸や稲荷社が残り、近代に偉業を成した人々の顕彰碑や田村家累代の事蹟などの紹介碑もあり、梅の名所としても整備されています。

釣山頂上には千畳敷と呼ばれる平坦地があり、その下には日本庭園などが公園として整備されています。日本庭園の北側にある四阿(あずまや)や千畳敷きから見る展望は素晴らしく、磐井川を眼下にし、市内全域ほか北上平野、蘭梅山、観音山、烏兎(うど)が森、さらには栗駒山、東稲(たばしね)山、室根山の展望が広がります。
      
      平成14年1月22日 寄贈 創友会」

旅行の満足度
3.5
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 釣山公園入口<br /><br />釣山が一ノ関城跡で全山が公園化されています。

    釣山公園入口

    釣山が一ノ関城跡で全山が公園化されています。

  • 釣山公園の歴史説明

    釣山公園の歴史説明

  • 釣山公園案内絵図<br /><br />「城址公園」とされていないので城跡の遺跡など全く配されておらず残念に思います。

    釣山公園案内絵図

    「城址公園」とされていないので城跡の遺跡など全く配されておらず残念に思います。

  • 田村坂<br /><br />画面で見るよりはかなり厳しい登りとなっています。<br /><br />

    田村坂

    画面で見るよりはかなり厳しい登りとなっています。

  • 城郭跡の一部<br /><br />何の丸か判りませんが当時の城郭が公園化に伴い改変されています。

    城郭跡の一部

    何の丸か判りませんが当時の城郭が公園化に伴い改変されています。

  • 公園化された城郭跡の一部<br /><br />

    公園化された城郭跡の一部

  • 田村坂<br /><br />急峻な田村坂から城郭跡と思われる風景を振り返ります。

    田村坂

    急峻な田村坂から城郭跡と思われる風景を振り返ります。

  • 高平小五郎(たかひら・こごろう、1854~1926)像<br /><br />明治時代の外交官で日露戦争当時は駐米公使を勤め、日本海海戦で勝利した日本は継続に限界有と判断しアメリカに対し中立的斡旋を申し入れ、軍港ポーツマスで開催された日露講和条約に小村寿太郎(外務大臣)と共に出席してポーツマス条約締結に尽力します。

    高平小五郎(たかひら・こごろう、1854~1926)像

    明治時代の外交官で日露戦争当時は駐米公使を勤め、日本海海戦で勝利した日本は継続に限界有と判断しアメリカに対し中立的斡旋を申し入れ、軍港ポーツマスで開催された日露講和条約に小村寿太郎(外務大臣)と共に出席してポーツマス条約締結に尽力します。

  • 日本庭園<br /><br />あずまやを有する日本庭園が辺りの城郭跡の雰囲気に溶け込めきれてない印象です。

    日本庭園

    あずまやを有する日本庭園が辺りの城郭跡の雰囲気に溶け込めきれてない印象です。

  • 井戸跡

    井戸跡

  • おさん稲荷神社

    おさん稲荷神社

  • おさん稲荷神社由緒

    おさん稲荷神社由緒

  • 千畳敷への登り道

    千畳敷への登り道

  • 千畳敷<br /><br />山頂部は削られて平地となった千畳敷と呼ばれる長方形が本丸跡でこの地に建つ小振りの田村神社が見えます。

    千畳敷

    山頂部は削られて平地となった千畳敷と呼ばれる長方形が本丸跡でこの地に建つ小振りの田村神社が見えます。

  • 千畳敷<br /><br />田村神社側から東方向を望みます。田村氏が入封してからは釣山の東裾野(現在の裁判所辺り)に藩主の居館を構える事になります。

    千畳敷

    田村神社側から東方向を望みます。田村氏が入封してからは釣山の東裾野(現在の裁判所辺り)に藩主の居館を構える事になります。

  • 田村神社参道

    田村神社参道

  • 衛兵詰所?<br /><br />公園又は神社とどのような関係なのかよく判りません。

    衛兵詰所?

    公園又は神社とどのような関係なのかよく判りません。

  • 田村神社<br /><br />もとは東京の田村屋敷で祀られていましたが田村家が当地に常住するのを機に千畳敷きにその社殿を移転した経緯があります。

    田村神社

    もとは東京の田村屋敷で祀られていましたが田村家が当地に常住するのを機に千畳敷きにその社殿を移転した経緯があります。

  • 田村神社説明

    田村神社説明

  • 田村神社風景<br /><br />社殿付近から参道方向を一望します。

    田村神社風景

    社殿付近から参道方向を一望します。

  • 千畳敷全景

    千畳敷全景

  • 烽火台跡<br /><br />神社の裏側は土壇が施され傍らの説明板によれば烽火台であったようだと記されています。

    烽火台跡

    神社の裏側は土壇が施され傍らの説明板によれば烽火台であったようだと記されています。

  • 烽火台跡<br /><br />土盛の内部は樹木で覆われている為全貌が見えません。

    烽火台跡

    土盛の内部は樹木で覆われている為全貌が見えません。

  • 烽火台跡<br /><br />樹木の茂みに覆われて全体が良く見えません。

    烽火台跡

    樹木の茂みに覆われて全体が良く見えません。

  • 烽火台跡

    烽火台跡

  • 烽火台跡説明

    烽火台跡説明

  • 一ノ関市街展望<br /><br />千畳敷東端から一ノ関市街を望みます。

    一ノ関市街展望

    千畳敷東端から一ノ関市街を望みます。

  • 千畳敷<br /><br />

    千畳敷

  • 駐車場方向<br /><br />田村神社の南側は道路が造られその先には駐車場があります。<br /><br />

    駐車場方向

    田村神社の南側は道路が造られその先には駐車場があります。

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